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noteことはじめ: 予告編(1)

ブログ的な情報発信は約15年ぶりです。1990年代後半、HTMLでホームページを作成していた時代を考えると、noteのような便利なツールの登場は本当にうれしいかぎりです。

このページでは、大学論や学びについて情報発信します。
ひとまず、以下の二つのテーマに沿って情報発信する予定です。
今回は、まず「コロナ時代の大学論」予告編です。

  ◆コロナ時代の大学論
  ◆スローを武器にしてくれ~普段使いの学び術~

◆コロナ時代の大学論

 新型コロナウィルスの感染者数が世界で10万人を超えたと発表された2020年3月、巷にあふれるウソばかりの大学論にあきれはてて、『大学論の誤解と幻想』(弘文堂)を出版しました。

 その後、コロナの感染拡大により、全国の大学がオンライン授業を導入せざるをえなくなりました。さまざまな課題を抱えながらも、何とかオンライン授業が実施できることがわかると、コロナが一旦収束したあとも、大学での授業のありかたも変わらざるをえなくなります。また、「大学の授業はオンラインだけで十分だ」とか「オンライン授業があれば大学自体が不要だ」などという極論もではじめました。そこで、まず「オンライン授業の誤解と幻想」について論じる予定です。
 オンライン授業が小学校から大学までで実施されるようになると、特に高校までの児童・生徒の学習格差が問題になりはじめました。そして、学習格差を解消するとともに、入学時期を「グローバルスタンダード」にあわせるという理由で「9月入学」に関する議論がおこりました。
 しかし、9月入学によって学習格差が解消される、あるいは生徒・学生の海外留学と海外からの優秀学生の獲得が促進される、というのは根拠薄弱な議論です。6月5日、萩生田文科大臣は9月入学の見送りを正式表明しましたが、児童・生徒、学生、保護者、教育現場に大きな混乱をもたらすような政策について、この時期に議論すべきことではありません。しかし、政治家や評論家のなかには、「いましか9月入学を導入するチャンスはない」「できない理由をならべるな」などと煽るひとがいます。このような意見を聞くたびに、何のために9月入学を導入するのかという目的が忘れられ、9月入学を導入すること自体が自己目的化しているように思えてなりません。そこで、特に大学を中心に「9月入学の誤解と幻想」についても論じます。結論の一部を先取りすれば、大学の場合、「4月か9月か」という二者択一ではなく、「4月と9月」に二回入学の機会を設けるのもひとつの方法ではないかと思います。
 さて、今回の9月入学に関する議論のように、拙速な議論に危うさを感じるのは、これまで文科省が検証なき教育改革を続けてきたからです。これは、バックミラーを一切見ることなく運転を続けるようなものです。検証なき教育改革については、『大学論の誤解と幻想』の第二章・第四章を中心に、じっくり説明しています。特に英語教育についてふれた第二章は、子育て中のお母さん・お父さんや高校生諸君に、ぜひ読んでもらいたいです。

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 もうひとつ論じていおきたいのは、「新型コロナウィルスを教材にする」というテーマです。いま全国の大学では、教員が慣れないオンライン授業の準備にあたふたし、学生も充分とはいえないオンライン環境のなかで、何とか授業についていこうと必死です。こんな状況のなかで、コロナについて学問的に考えろといっても酷かもしれませんが、これだけ生活実感に根差して、しかも切実なテーマはほかになく、これを授業のテーマにしない手はありません。
 コロナというと、感染症をはじめとする医学の問題だと思われがちですが、コロナによってわれわれの生活がいかに変わったかを考えれば、それは自然科学だけではなく人文社会科学の問題でもあります。
 たとえば、カミュの『ペスト』が再び注目をあび、感染症の歴史に関する本が売れはじめたように、文学にみる感染症や人類はいかにして感染症に向きあってきたかという歴史について考えることができます。また、コロナ禍における経済政策のありかたは経済学の課題ですし、経営者がコロナ禍をどう乗り切るのかは経営学の課題です。さらに、コロナのリスクを国民にどう伝えるのかはリスクコミュニケーションの課題ですし、人々の行動をどう変容させるかは行動経済学や社会心理学の課題です。
 このように、コロナは各学問分野の研究テーマになりうるだけではなく、自然科学と人文社会科学がともに考える重要なテーマになりえます。文科省は「予測不可能な時代」という言葉が好きですが、われわれはまさにそのような時代に生きているわけですから、今後の社会を考えると、コロナ禍を学問的に検証しておく必要があります。9年前の東日本大震災については、東京電力の組織的な問題や日本の科学技術行政に関する問題に矮小化して論じられる傾向がありますが、本来は、さらに多角的な視点から検証すべきものでした。だからこそ今回のコロナについては、「予測不可能な時代」に生きる若者たちとともに、人文社会自然科学を総動員して考える必要があると思います。
 以上のように、「コロナ時代の大学論」では、以下の三つのテーマについてお話します。『大学論の誤解と幻想』の補足版にあたりますので、ぜひ本もあわせて読んでいただければと思います。

 ・オンライン授業の誤解と幻想
 ・9月入学の誤解と幻想
 ・新型コロナウィルスを教材にする 



 



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