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聖ステファノ教会 祈りの言葉|カミーノ・デ・サンティアゴ

巡礼 El Camino


”この旅路はあなたを巡礼者にします。なぜならサンチアゴへの道はただたどり着くためだけの道でもなければ、何かご褒美をもらうためにやってみることでもないからです。
サンチアゴへの巡礼の旅はひとつの「たとえ話」であり、ひとつの現実なのです。この巡礼があなたに何かを語りかけることを許すならば、またあなたがこの巡礼によって変えられようとすならば、そしてあなたが真の巡礼者となるならば、それは特定の時間の内と外とで階段ごとに、また一生をかけて歩く道だからです。

巡礼はあなたを単純にしてくれます。それはリュックがより軽ければ、背中の緊張はより少なくなるし、生きるためにどれだけわずかなものが必要かを体験するからです。
巡礼はあなたを兄弟・姉妹にしてくれます。あなたの持っているものは何であれ他の人と分かち合う準備ができていなくてはなりません。というのは、たとえあなたが一人でこの巡礼を始めても途中で仲間に出会うからです。
巡礼はコミュニティを生み出します。他者を受け入れるコミュニティを。他の人がどう旅路を歩いているかに興味を持つコミュニティを。お互いに与え、受けるコミュニティを。
巡礼はあなたに要求します。どんなに疲れていても、足に豆ができていようとも夜明け前に起きて、暁の中を歩かなくてはいけません。歩き続けるための少しの休息だけしかとれないでしょう。

巡礼はあなたを観想へ、驚きへ、歓迎へ、内省へ、立ち止まることへ、沈黙へ、聴くことへ、感嘆へ、祝福へと招きます。また、自然へ、旅路の仲間へ、私たち自身へ、そして神へと。”


この祈りの言葉は、カミーノを歩き始めて3日目の小さな教会で出逢いました。

矢印通りに進むなら通ることのない、巡礼路を少し離れたサバルディカという小さな村の教会でのことです。親切なことに日本語訳の印刷があり、優しそうな女性がわたしに紙を渡してくれました。

一人でこの場所にたどり着きこの言葉を読んだ時、ふいに涙がこぼれました。歩き出してから、わたしがカミーノで感じていたことがそこには書いてあったからです。まだ、巡礼3日目。それでも2日間ひたすら歩き続け、巡礼とは何かを考えはじめた頃だったように思い出します。

この祈りの言葉は読む人によって捉え方が違うかもしれません。わたしは久しぶりに読んで、あの頃と同じ気持ちで感動し、そして巡礼をすべて終えた今だから胸に響く言葉でもあります。

もし、カミーノ・デ・サンティアゴを歩くと決意したのならば、ぜひ聖ステファノ教会に足を運んでみてください。そして、カミーノの中でこの言葉に出逢ってください。

今、この言葉を読んで何か感じることがあるならば、それはもうカミーノに呼ばれていのだと思います。


参照

サンバルディカ 聖ステファノ教会「巡礼 El Camino」

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