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読書期待文。今日の午後のかけがえのない人と本との出会い。

「読書期待文」

今日は頭が疲れていて、気分転換もしたかったし、本屋さんに行った。けれど、どの分野もどの本もタイトルからしてかまびすしい。この疲れている頭に、我が本を読んでみよ、という叱咤は全然作用しないのであった。

父の馴染みの喫茶店に行くようになったのはここ最近だ。居心地がよく、珈琲片手に読書するには打ってつけであるのに、今日は読みたいと思う本は手になく代わりにデザートを注文することにしてやおら席に着く。あろうことか、ケーキの類はないと告げられ珈琲をしみじみ味わう。

しばらくすると、疲れた様子を見せていたが優しい女主人は、ちょっと取りに来て、と一皿のきれいな羊羹二切れを呉れた。クルミが入っているのは直ぐに分かった。けれどもとらやのものではない風味なので訊くと、内陸のものです、お客さんにいつも買ってきて貰っているの、と楽しそうに応える。

あとでプラスしますから、と申して頂いた羊羹だったが、珈琲のお代だけしか受け取らず、微笑んで見送って呉れた。

雨が降っていたが傘を差さずに一人満たされた感覚。

信頼が巡っているのだと。


その後ふとした思い出が思い出されて、そうだ、あの本なら、と再びさっきの本屋さんへ走る。

私に有ったとするならば、だが、この本の著作者の著作は、私の青春時代を丸ごと飲み込んでいた。

決して人前では読むことができない本たちだ。なぜか?あっ!と気づく間もなく吹き出してしまうからだ。その後笑いが止まることを知らない。だから、決して本屋さんでは読んではいけない。

今回の本にはちょっと切なそうな帯の言葉。

このあまりに壮大な読書家の中の読書家の本は、しかし、いつも私にとって他では味わえない読書を、謂わば読書でライブを体験させるかのような激情を与えて離さない。

だから信頼し読んでみようと思うのだ。


読書前の、読書期待文でした。

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