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Q. 不登校は誰のせい? A. 親から見れば親のせいで、子から見れば子供本人のせい。〜本当の原因と解決方法〜

不登校も3年が経過

卒業を間近に控えた
小学校6年生の1月から始まった
娘の不登校もついに3年が経過。
 
中学校は入学式と翌日に行っただけ。
そしてこの3年の間
娘はひたすら絵を描くことと
ゲーム、漫画、小説それからSNSだけを
して過ごしてきました。

ちなみに私のnoteの挿絵は
娘に描いてもらっています。

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幸い夫も
近くに住む私の両親も
「このご時世、そんな選択もあるよね」
という感じで
あっさり受け入れてくれたこともあって
 
不登校自体を問題と感じたり
悩みに感じることはありませんし
 
不登校が誰のせいか?
 
ということが話題に
なったこともありません。

 
けれども
不登校の文脈では
「親のせい」とか
「学校教育のせい」とか
「いじめのせい」とか

何かのせいにしたがる人も
いますよね。
 

不登校が誰のせいかは
はっきりしてます。

 
今日はその本当の原因と
解決方法について
私が思うところを書いてみようと
思います。

不登校は誰のせい?

では早速ですが
不登校は誰のせいなのでしょうか?
 
あなたは誰のせいだと思いますか?
 
答えは簡単です。


ズバリ
親の私から見れば私のせいで
不登校は起きているし
 
娘本人から見れば
本人のせいで不登校になったのです。


なぜなら、
私の見ている世界と
娘の見ている世界は違うからです。


私と娘は
「娘の不登校」というイベントを
共有してはいるけれど

その原因や
それがもたらすものは
私と娘の世界では違うんです。

 
そして
私の世界は私が望んだ通りだし
娘の世界は娘が望むようになって
いるんです。

 
なんかスピリチュアルで
怪しく感じられるかも知れませんが

もしもあなたが
親としてあるいは子供本人として
「不登校」に悩んでいるのなら
ぜひこの先も読んでみてくださいね。

人生は自分が望んだ通りになっている

この世界の本質とは
自分が望んだことが叶う
ということです。
 
もちろん
「望んでなんかないよ!」と
言いたくなる出来事も起こりますし
 
望みが叶うまでには
時間がかかることもあるので
望んだことを忘れかけていることも
あります。


例えば簡単な例を挙げると
これは息子の話なのですが

* * *
 
七夕の短冊に
「ピアノが上手くなりますように」
と書いて願った
 ↓
合唱コンクールのクラス合唱の
ピアノ伴奏に選ばれた
 ↓
ピアノをめっちゃ練習しなくては
ならなくなった
 ↓
練習した
 ↓
ピアノが上達した

* * *

ということがありました。
 
七夕の短冊に願ったことと
ピアノ伴奏に選ばれたことは
何の関係もありません。

でも、最終的に
願いは叶っていますよね。

 
実際、息子自身が
「伴奏に選ばれたから練習しなくちゃ!
っていうか、願い叶ってるね」
と認識していました。

 
と、こんな風に
私たち一人一人の世界は
自分が望むことでできています。
 
言葉にするのは難しい
感覚なので
伝わったかどうか
自信がありませんが…。

 
まぁとにかく一旦
この世界に起こる出来事は
自分が望んだことだ
と仮定してみてください。

そしたら何が起こると
思いますか?

ならば必ずメリットがあるはず


そうなんです。
自分が望んだことなのであれば
そこには自分にとっての
 
メリット
 
があるはずなんです。

 
だから、
あなたが今悩んでいる
不登校についても

必ず

メリットがあります。

 
メリットは何でも良いのですが
ちょっと私の話をしてみると。
 
* * *
  
私は両親とは仲が良いですし
私が何をやらかしても
親は見守っていてくれると
信頼してもいます。
 
けれども子供の頃から
もっとベタベタに甘えたかった
という気持ちが
あったんですよね。

(自分が外に飛び出して
帰ってこなかったんじゃないかと
いうのはさておき)

 
だから子供が生まれた時も
正直なところ

子育てが終わらなくてもいいし
ずっと手元にいてくれたら
ちょっと嬉しい

と思う気持ちがありました。

だから娘が不登校になって
毎日一緒に過ごせることも
今だに一緒の部屋で寝ていることも
私にとってはメリットで

それによって
子供時代の私が癒されて
いると感じています。

* * *

ご自身が不登校なら
単純に学校に行かないことが
メリットかも知れないし

親を困らせることが
メリットかも知れません。


あなたが親なら
子供時代の小さいご自身を
癒しているのかも知れないし

話が合わない人と
言い争うことをしたいのかも知れないし

「あの人とは意見が合わない」と
誰かを嫌いになる理由を
作っているのかも知れません。


不登校はあなたにとって
どんなメリットをもたらしていますか?
ちょっと考えてみてくださいね。

「悪い」ことなんて存在しない


上でメリットの例として
・親を困らせること
・誰かを嫌いになる理由
などを挙げました。

もしもあなたが
親を困らせることや
誰かを嫌いになることを
 
悪いこと
 
だと信じていたら
 
それをメリットとして挙げることに
抵抗があるんじゃないかと思います。


そもそも
不登校=悪いこと
と思っているから
悩んでいるのではないでしょうか。


けれども世の中には
本質的に悪いこと
なんていうものは存在しません。

悪いと思っていること
があるだけです。


なので
メリットを考える時には
「悪いこと」でフィルターを
かけないでください。


感情はちょっと横に置いて
「こんな見方もできるなぁ」と
他人事のように
考えてみてくださいね。

それでもメリットなんてない!なら

もしもそれでも
メリットなんて思いつかない!
というのであれば

それはシンプルに
「不登校に悩む私」を
堪能したいのです。


ですから中途半端にせず
 
とことん!
悩んで、苦しんでください。


誰も味方がいない
なんていう状況であれば
めちゃめちゃラッキーです。


なぜなら
一人では抱えられないくらいの
悩みや苦しみ、不安を感じた時、
 
人はついに
 
この悩みも不安も全て
自分の一人芝居であった

 
と理解して、悩みを
あっさり手放すことができるからです。


そしてその後は
良い方向に向かうだけ。


* * *

私自身も、仕事関係でですが
猛烈な不安に襲われたことが
あります。

フリーで1人で仕事をしているため
誰に愚痴ることもできず

ただただ不安に苛まされていたのですが
よくよく自分の脳内を見てみたら

まだ起きていないこと
起きているか分からないことを
勝手に想像して
猛然と不安に感じているだけでした。


それに気づいた時
「なんだ、自分が不安を感じたくて
勝手に不安になってるだけじゃん」
とバカバカしくなって

その不安を手放すことができたんです。

* * *

悩むことは何かの通過点です。
せっかくなので
とことん悩み、堪能しましょう。

自分のせいなら気がラク

長くなりましたが
この記事では

不登校は誰にとっても
自分のせいである

ということについて
書いてきました。


分かりづらい文章だったかも
知れませんし

なかなか受け入れられない
考え方かも知れません。


私は子供の頃から
人は自分を映す鏡なんだなぁ
とか
叶ったことが望んだことだったんだな
ということを
感じながら生きてきました。


どんなことがあっても
世界は自分が作っています。
だからどんなことも
「自分のせい」です。

「自分のせい」だと
思うことができれば

いくばくかは
自分が変えられることも
あるんだし

全部を他人のせいにするよりも
気がラクではないですか?


「自分のせい」
「責任を負う」
ということに拒否感を示す人も
多いですが

全てが他人のせいで
自分は巻き込まれているだけ
なのであれば

それは自分には
現実を動かす力がないということと
同じ意味になりますよね?


「良くしたい何か」
「変えたい何か」があるなら
それは自分の力が及ぶ範囲でだけ
動かすことができて

それが
私たち一人ひとりの世界
です。


重いと思っていた荷物も
持ち上げてみたら
案外軽かった、
そんなことも多々あります。


人生の山も谷も
楽しんでいきましょう🎵


ここまでお読みいただき
ありがとうございました💖
 

🌈マガジン:不登校ですが何か?【不登校への対応】


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