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冗談で「人権ない」って言わないで欲しい。 憲法を勉強した法学部生から言いたいこと

プロゲーマーが「人権」という言葉を使って特定の人間の身体的特徴を揶揄する事件について、法学徒としての使命を感じて走り書きしたくなった。

人権というどんな人間でも与えられる理想への挑戦みたいなものを利用して、見た目をバカにするのが当たり前になってるのって、けっこー悲しいし悔しいわけですよ。

ぼくの憲法の出会いはけっこうドライです。

さいしょは、司法試験の勉強のためという、いたって無味乾燥な理由で勉強しはじめたのが憲法でしたが、憲法って聖書みたいなもので、解説書には情の熱い精神論であふれてて凄くびっくりした記憶があります。

憲法そのものに、どんな者でも、平等に扱います。どんな者でも、あなたは個人として尊重されます。って書いてあるの。憲法学者も結構熱い人ばっか。無味乾燥な資格試験かと思ったら、法律っておもしれぇっていきなりノックアウトされたわけ。

憲法は、どんな人間、本当にあらゆる悪口の対象になってきた、どんな人間にも、どんな見た目・性格・人種だろうが、どんな人生を生きたとか関係なく、たとえ能力がなかろうが、生産性がなかろうが、犯罪をおかした人であろうが、あなたには生きる価値があるという前提からスタートします。

現実とは違うって?そういう意味で、憲法の人権って、理想への挑戦なの。

世界の歴史をみてみれば、平等ってイレギュラーだからね。そして現実の社会も人間の差異にきびしい。ちょっとの差異で差別やいじめの対象になる。哲学者アンナ・ハーレントは自転車の乗り方さえみんなと違えば悪口の対象になるとか・・ばからし。でもそれが現実。

そう考えると憲法は結構すごい。「現実みろよwwww」って言われたとしても、憲法は真顔で「みんな平等であるべき」「個人として尊重するべき」「どんな人間も価値があるよ当たり前じゃん」っていうわけ。ぶれないの。かっけーよね。芯が通ってるていうかさ。

憲法のいってることって、道徳くさくて笑う人もいるかもしれない。

でもねーー。僕にとっては、ほんとに有難いことだった。嬉しかったんだよね。苦しんでる人にはくるのよ、心に。

憲法の言葉で喜んでるなんて、きもいなんて思わないでくれ。それぐらい、不平等が当たり前で、人権なんて事実上ないと思ってたから、権威ある憲法が「あなたは生きる価値がある」というところから出発してるのが驚いちゃったわけ。

僕は、社会にでてあらゆる形態で差別されてきたとおもってます。だから、憲法に生きることを全面的に肯定されたとき、ほんとに不思議な気持ちになったのを覚えてます。こっちはただ資格勉強のために憲法の勉強してたのに、人生を肯定されちゃったんだから。

高校中退して通信の高校出て、正社員やったことありません。派遣でバイトしてるときなんて、「お前に人権ないよ」とは直接言われなかったけども、事実上、人権なんてありませんでした。

何も技術もないし、勉強もしてないし、冷遇されるのは致し方ない事情だったのですが、圧倒的な不平等と、誰も個人として尊重されない自分の状況は本当に苦しかった(し、今も苦しんでいるかもしれない。)。

綺麗事みたいであまり響かないとおもうけど、人権って大切だよねーって話。憲法そのものが大切であるという客観的事実が大事というよりも、大切にしてほしいと思ってくれてることが大事だと思うの。ただの身勝手な個人的な願望だと思わないでくれ。

そうみんなが思うことは、みんなにとっても得だと思う。

いつ病気になって障がい者になるかわからない。いつ認知症や統合失調症にかかるかわからない(若者だってなる。)

そのときに、憲法の人権という言葉で救われる側になるんです。

ていうか、人権にいっさい配慮しない、いや〜な社会に住みたくないよねって話です(そういう社会は、いつか僕たちに返ってくるよ・・)

結論:人権という言葉を使って、人をバカにするのやめてくだちゃい・・お願いします・・


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