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ニコチンの幻。⑰「21歳大学1年生になるまで。」part 4



はい、今日は続きです。

ついに自己紹介シリーズもpart 4まで来てしまいました。

早速ですが、始めたいと思います。

(前回のものはこちらから。)

半年間の登校拒否生活といっても、もともと登校拒否をするつもりでいたわけではありませんでした。


今更学校に戻れるとも思えず、戻るつもりもなかった私は学校をやめようとしていました。


ただ両親との折り合いが一向につかず、お互い疲れてきていたこともあり、決断を先延ばしにするためにとりあえず進級だけはといいつつ半年がたった、という形でした。


その期間中、脱走当初のやってやった感はしっかり消え、自他よりその生活そのものを否定され続けたわたしはすっかり自己肯定感こじらせgirlになっていました。



そして結果的に登校拒否となった半年間を経て、高校3年生の5月半ばごろ学校に戻りました。


学校に戻ったきっかけは、高3のクラス担任が私がやってきたことを知らない新任の先生になったことでした。

当時こじらせにも限界が来ていた私は、もう何でもいいから生活する場所を変えたいと思っていました。

そこで、もう自分のことだけやっていればいいから、何も気にしなくていいから、受験のために勉強だけしててもいいから学校に一緒に戻ろうと言われ、何故かそうできるような気がして頷いたのです。


学校に戻ってから2か月ほどはなんとか寮生活に体を慣らしつつどうにかやっていけました。


勉強は圧倒的に遅れていたけれど、このまま普通に卒業までどうにかなるような気がしていました。


しかし、半年間こじれにこじれた情緒不安定はそんな簡単に私をもとの普通の生活に戻してはくれませんでした。


夏休みに入り、一度実家に帰ったあたりから着々と情緒に亀裂が生じ始めました。


勉強しようと思えば思うほど、生活すらままならない自分にイライラして、いわゆる負のスパイラルってやつに捕まってしまいました。


そして秋、登校拒否期間中によくしてくれた友達が学校を離れようとしたこと(結果的に離れることになってしまいました)をきっかけに、また一度実家に戻ってしまいました。


両親もあきれていたと思います。


納得してもらおうにも考え方も感情もあまりに違いすぎて話し合いはどこまでも平行線。


あまりのどうにもならなさに、両親も私ももう疲れ切っていました。


念のためとセンター試験は申し込んでいたものの、このままでは学校生活での学びも友達関係も、勉強も、全部が中途半端になってしまうと思うと限界で、とりあえず受験のことはそこまで気にせず「全力で生活をする」ことに落ち着き学校にまた戻りました。


そしてなんとかギリギリ、出席が足りていない授業もあったけれど、どうにかこうにか卒業できることになりました。結局センター試験は会場にすら向かえませんでしたが。


皆の進路が決まっていく中、進学も就職も選ぶことができなかったわたしは卒業後、単身北海道でフリーターとして生活することになりました。


よく聞かれます。なんでフリーター?どうして浪人生にならなかったの?しかも、なんで北海道?



ただもうとにかく遠くに行きたかったのはあります。なんとなく北海道に行けば、新しい生活をはじめれば、どうにかなるような気がしました。

試したかったのかもしれません。肩書なしで自分に何ができるのか。
どうして大学に行きたかったのかわからなかったからかもしれません。


とにかく北海道に行くことに決めたんです。


今思えば、就職も進学も選べず、残念な人として学校の人に評価されるのが嫌で、せめて突拍子もないことをする人間だと思われなければ耐えられなかったという説明が一番しっくりきます。


そして私は、北海道で生活をはじめました。


はい。今日はここまでです。

驚くほど終わらないですね。

ここまで付き合ってくださっている方本当にありがとうございます。


あと少し、よろしくお願いします。


2020年9月24日 23:15 24℃ 66% 長袖を着ていても寒くなってきましたね。

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