12年間、タイを離れたいと思ったことは一度もありませんでした。〜WAFCA事務局長の熊澤友紀子さんのキャリア〜
このnoteはアジア車いす交流センター(WAFCA)のスタッフが交代で書いていく交換noteです。本日担当の恒松奈於です。
今日はWAFCA事務局長の熊澤大先輩へのインタビューを記事にしていきます!
ひとりでも多くの人に、熊澤さんの魅力を発信できたらなと思っています!
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アジア車いす交流センター(WAFCA)は、車いすと教育を通じてアジアの障がいのある子どもたちの自立とバリアフリー社会の実現を目指して活動している認定NPO法人です。くわしくはホームページをご覧ください。
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熊澤 友紀子(くまざわ ゆきこ)
愛知県出身。
アジア車いす交流センタータイランド(WAFCAT)のプロジェクト・コーディネーター、のちに事務局長として12年間タイで働く。
昨年日本に帰国し、現在はWAFCAで事務局長を勤めている。
座右の銘は、“石の上にも三年”
「留学に行く前に実は4年間教員をしてました」
恒松:まず、現在の仕事までのキャリアを教えてください。
熊澤:大学卒業後は、ゼミの先生にすすめられて、1年間オーストラリア・メルボルンへ行きました。
そこで小中高一貫の女子校で日本語教員をしました。
大学受験のアシスタントでスピーチ試験の練習などをしていましたね。
帰国後は、1年間、日本の中学校で常勤講師として英語を教えました。
その年の教員採用試験に合格し、翌年から3年間中学校の教員をしました。
恒松:先生になりたかったんですか?
熊澤:というよりも、まだ自分が進みたい道がわからなくて、一般企業よりは教育分野に興味があったのかな。
先生を3年でやめて、国際開発の勉強をするためにアメリカの大学院へ留学に行きました。
大学院を修了する頃、WAFCAで働かない?という声がかかったので、ここだ!と思いました。
「日々の仕事を一生懸命でやっていたら12年経っていました」
恒松:最初から12年もタイで働く覚悟で行ったんですか?
熊澤:全然(笑)最初はとりあえず3年頑張ろうかなという感じでした。
ただ働き始めると仕事の奥が深くて、、、
障がいの知識、車いすの技術、交流プログラムのこと、、、
あまりにも日々の仕事を一生懸命でやってたら時間が経ってました(笑)
恒松:帰りたいと思ったことはありましたか?
熊澤:12年間で一度もありませんでした!何度か日本に帰国しないかと声を掛けていただいたこともありましたが、やんわり断っていました(笑)
わたしは30代の生活のすべてがタイにあって、日本で1から新しい生活をはじめるってその時は想像もつきませんでした。
恒松:タイで働いていて辛かったことは?
熊澤:信頼関係を築くまでの時間は大変でした。それはお互いだと思いますが。
なので、タイ人のやり方、文化を自分の中に掴むことにしました。
日本だったらこうするのにとか、日本人の感覚をずっともってたらお互い辛いですよね。
それに気づくのに5年くらいかかったと思います。
あと、2010年に、バンコクで赤シャツ(タクシン派)による大きな政治デモがありました。タイ国軍がデモ隊を武力鎮圧した日には市中で銃撃戦や放火があり、職場から家に帰れませんでした。それが1番大変だったかな。
恒松:タイで働くことに不安はありましたか?
熊澤:不安というか、、、
最初の3年は迷惑をかけていると思うことの方が多かったですね。
大学院では開発教育を専門に学んでたのですが、障がい分野は未知でした。
はじめはあまり知識がなくても、長くやっているとそれだけで周りの役に立てることが増えてきました。それが嬉しくてやりがいになってきました。
恒松:去年、日本に帰ると決まった時は断らなかったのですか?
熊澤:さすがにいつまでもタイにいるわけにもいかないなって(笑)
2018年のはじめ頃、あと1年で身をひこうと決めました。心の準備をしてから帰国したので、心残りはないです。
「今は日本でキャリアを積んでいきたい」
恒松:帰ってきてからはどうですか?
熊澤:WAFCATとWAFCAでは全然ちがうなと感じます。
WAFCAでは日本に現場がない分、広報とか啓発とか、今までの自分が培ってきたスキルとはちがうものが求められて。
でも、何もできることがないと思わず、研修にいったり、自分で勉強したり、
タイにいたら思わなかったことをやれています。
日本でキャリアを積んでいきたいと考えるようになりました。
恒松:今後の目標は?
熊澤:場所はどこでも、国際開発のプロジェクトに関わっていきたいです!
新しいことをはじめるより、今ある仕事の中でより良くする方法を考える方が自分にあっていると思っています。
プロジェクトマネジメントのスキルをあげていきたいです。そのためにまだまだ勉強もしたい。
とりあえず目の前の仕事を頑張ります!
ちょっと脱線しますが、スキューバダイビングの潜水本数が今ちょうど200本なので、目指せ300本!(笑)
あと、タイの北部とかラオスの食べものや雑貨が好きなので、好きなものだけを集めてショップやるとか。
あ、そういうことじゃない?
インタビューを終えて
わたしが初めて熊澤さんと出会ったのは、大学2年の夏、学生団体としてタイへボランティアに行った時でした。
日本人たったひとりで、現地のスタッフとコミュニケーションを取りながら生き生きと働く姿が本当に輝いて見えました。
ありきたりな言葉にすると薄くなってしまうのですが、当時19歳のわたしにはそれはもう衝撃的で、、、。
雲の上の存在だと思っていた人と、今こうして一緒に働いていることが、まだ不思議な感覚です(笑)
熊澤さんのキャリアを伺う中で、すべてにおいて、とにかく自分から行動して、チャンスを掴んできたことがわかりました。
色んな経験をされていますが、まったく奢らず、どんな人とも同じ目線に立って話をされる方です。
そんな熊澤さんだからこそ、タイ人からも日本人からも信頼されるんだなと思います。
心からリスペクトです!
ありがとうございました☺︎
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