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そろそろ語ろうか(其の参)-後編

さて、前編は、広報について、あまり語る事のなかった裏事情、また、変化球的な活用の例につきお話ししました。
後編は実話をネタにしながらも、IRを中心にお話しします(後半はしくじり先生的な・・)。

広報は誰に対して発信するかが重要と指摘しましたが、IRについては何のためかを自覚する事が大切だと考えています。また、IRという単語に引きずられない事も。

そもそもIRって何?

証券会社時代に最初にこの単語に接したのは80年代末期だったと思う。
Investor Relations を、そもそも何と訳すかから議論されていた。
「え? 結局IR(アイアール)にするんですか? まんまじゃないですかぁww」
当時30歳になりたての私は、直接関わってもいないのに先輩をからかった(1990年6月、野村インベスター・リレーションズ設立)。

実際には、当時、非常に大切な意識転換を促そうとしていた。
株価ではなく時価総額、経理の決算説明(数値かつ過去)だけではなく経営トップの戦略説明(定量・定性の双方、かつ未来)。

ところが活用される場面はファイナンス現場に偏る。
そりゃ証券会社がリードすればそうなるわね(悪い意味ではなく)。
当然ではあるが、進むほどにバイアスはどんどん強くなり、いつしか「株価上げプレゼン合戦」の色彩が濃くなっていった。
いまやすっかり普通名詞として万人が使う単語になったのは喜ばしいが(「IR来たー」などという書き込みは、広報との区別ができていない人達にまで浸透した証左)、精神が風化してきた感は否めない。
また、公開企業の開示規則がどんどん詳細になっていき、IR=開示義務資料のような誤解もされるようになっていった。

本来、趣旨は明白。
「潜在も含めた」投資家とのコミュニケーション。

私は社長時代、アニュアルレポートの「株主の皆様へ」は必ず一人で書いた。これは開示義務のある資料ではないが、世界的なフォーマットとして受け入れられていたため和英双方作成に適しており、義務でない分、自由度が高かった。
ここで、環境認識と戦略、事業報告を述べる。結果の説明をしつつ未来にも触れる。幾分、熱めのプレゼン。
一方、決算短信、有価証券報告書等の開示義務資料は事務局一任(放置してごめん)。
しかしながら決算説明会は、財務概況はCFOにお願いするも、私自らが決算短信を原資料として過去につき戦略の検証をするとともに、その後の展開についても説明するようにした。また、その議事録は必ず和英で作成しウェブにアップする事としていた。

IRで提供されるべきは、投資家が検証でき、将来見通しの一助にするための「履歴」であると考える。
継続性、累積が何より重要。できるだけ同じフォーマットで。かつ決して削除も事後修正もしてはならない。
経営トップの抱く仮説(or 世界観)の説明、変更が生じたら必ず表明。その上での、数値を中心とした実績開示=事後検証。

以上、概論。
どんどん硬派になっていき、いずれ石化しそうなので、そろそろ湯戻ししますね。

コーポレート・ストーリー(E3の活用)

IR的には(広義)エクイティ・ストーリーと言いますが、広報、IR双方に資するものと捉えているので、ここではコーポレート・ストーリーと呼びます。

事業戦略より広く、若干趣も異なり、要するに、「落ち込む事もあるけど、私、この事業が好きです」的な流れを分かりやすく伝える事(何のこっちゃ)。

スクウェア・エニックスは「ドラゴンクエストとファイナルファンタジー(以下、各々DQ、FF)の合体」と表現された。
いつ合作ができるのですか?
ごめんね、作りません。
期待いただくのは嬉しいのだが、新会社発足の意図は全く異なる。

まとまった話は、インタビュー等、断片的な発信では伝えきれない。また、記者のバイアスも排除できない。
従って、他のメディアに依存せずアニュアルレポートを標準テキストと位置付け、新会社の最初の決算時に「株主の皆様へ」で新会社設立のビジョンを書いた。
(17年程前の文章ですが、今読んでも面白いと思うので、お時間のある方はどうぞ。https://www.hd.square-enix.com/jpn/ir/library/pdf/ar_2004.pdf

ただ、こんなの誰も読まないよね。
いいんです、資料的意味を考慮して残しただけなんで(サビシイ...)。

というわけで、ゲームユーザー、取引業者、IT産業万般、株主といった広範なステークホルダーに、スクウェア・エニックスは何者でどこを目指しているかを一気に伝える方法が何かを見つけなくてはならなかった。

新会社発足当時のゲーム産業は現在と異なり、ゲームコンソール産業と定義できた。また、北米市場が大きく立ち上がり、欧州市場も伸び盛りの時期。
従って、情報発信拠点としては、E3(Eletronic Entertainment Expo, @Los Angeles)が圧倒的に強かった。
タイミングとしては、2005年5月開催回が「次世代コンソール」発表タイミングに当たり、5年に一度のお祭り騒ぎになる。
PlayStation 3 (2006年11月発売)、Xbox 360(2005年11月)、Wii(2006年11月)が初出し。任天堂のWiiはまだコードネーム"revolutin"として発表されていたくらいの出来立てのホヤホヤ。
スクウェア・エニックスにとっても、2003年4月発足後順調に利益を伸ばした2年目決算の直後で、次の展開を期待されていた時期。

この舞台で、いかに目立つかに照準を絞った。

実は、スクエニ社内に意識を持ってもらうために、2003年から2年連続で(2004年から2年かも。記憶が曖昧)、100人以上のスタッフをE3に参加させた。
始めてパスポートを取得する者が半数以上の状況。社内スタッフでお上りさんツアーを組み上げて団体旅行を実施。
とにかく百聞は一見如かずの精神で敢行したが、観光とのカン違いも当然出てくる(S君! 君の事だ!w)。
この手の下ごしらえは、一見無駄でも、全社を動かす際には極めて重要です。

2005年E3、2大プラットフォーム・カンファランスでの登壇

次世代コンソール時代のリーダーの一角として存在感を示すのがゴール。
全てのプラットフォームに対応し広くユーザーとの接点を持っていると、印象付けたい。

プラットフォーム事業者はこの年、会場での展示もさることながら、各々のプレス・カンファランスでじっくり次世代機をアピールするに違いない。であれば、ソニー、マイクロソフトの発表会に潜り込むのが最も効果が高い。
2社双方に取り上げられるのが肝。登壇できれば最高。
(ちなみに任天堂のカンファランスでは主催者以外の登壇はない)

しかし、次世代機向けのゲーム開発はまだ着手できておらず、新規コンテンツでアピール出来ない。
さて、どうするか。

ソニーについては、開発陣との情報交換が非常に活発に成されており、あと一押しでなんとかできそう。
主役級をもぎ取る交渉をスタッフに委ねた。
マイクロソフトとの交渉にあたるため、私自身、あえてE3案件についてはソニーとの距離を置き、万一の時のバックアップに回れるようにしておいた(プラットフォーム間は一触即発なので、結構マジ話です)。
最終的にスクエニスタッフの頑張りとソニーの好意的なご協力のおかげで、共同プロジェクトとして、FF7を素材に、「取り」としてテック・デモを発表させてもらう事となった。
プレス・カンファランスに主催者以外で登壇したのは、技術系の Jensen Huang(NVIDIA CEO)、Tim Sweeney(Epic Games CEO)と、コンテンツ系では Larry Probst(Electronic Arts CEO)と私の4名。私を除けば、現在でも産業を牽引する重鎮中の重鎮。

問題はマイクロソフト。
2005年時点で、まだ取引実績がない。

実は、個人的にはXbox参入は一大テーマと捉えていた。
第一に、Xboxは、日本では存在感が薄いものの、欧米では、Playstation と勢力がほぼ拮抗。マルチプラットフォーム対応(同一ゲームタイトルを複数のゲーム機で販売する事)を前提としなければ市場の半分をギブアップする事になる。かつ、Xbox360 については PlayStation 3よりも準備が先行しており、この世代の競争については、欧米においてマイクロソフトに逆転の可能性があった。
ところが、当時のスクエニ社内開発スタッフは Xboxには極めて懐疑的。単なる食わず嫌い(無論、表現細部については諸点格差があるが、欧米市場の半分を捨てる理由にはならない)と、欧米市場と日本との落差(状況の際だけではなく、サイズ、成長率も)を実感できていなかった点が大きかった。
強引にきっかけを作らなければ動く気配がない。
第二に、Xbox の方が、よりオンラインに注力していた。さらに、360 については、ユーザーのコミュニティ作りを意識した議論がなされていた。
スクエニのゲームを、いかにオンライン中心とするかは大きな課題だったため、是非関わっておきたい。

考えた末、FF11(オンラインゲーム、2002年ローンチ済)を突破口とする事にした。
しかし、新ネタではない。受け入れてくれるか?

初代 Xbox は、日本市場参入に苦戦していた。また、日本の開発者の動員もうまくいっていなかった。
厚かましく、こう切り出してみた。
「FFをXbox 360 に提供するご提案に応じようと思います。
しかし、空手形を切りたくはありません。
当社に開発経験がない以上、2005年末目途にPlayStationでリリースするFF12(実際には2006年3月になりました。。)の移植作業には2年かかるでしょう。また、FF13はまだ企画段階のため、4年後になります。
それよりもFF新作という抽象論ではなく、割り切ってFF11を使う手があります。FF11は既にWindows版も運用しているため、開発作業もスムーズで即効性があります。さらにオンラインに強い Xbox を印象付ける効果も期待できます。」
勝手なゴタクを並べてみたのだが、当時日本のXbox事業ヘッドだった泉水さんに助けられた。非常に前向きに捉えてくれて、話がどんどん進んでいった。

だったら、もうイッチョ悲願をと思い、クロスプラットフォーム(異なるゲーム機、PCから、同じサーバー=ユーザーにアクセスできる事)を差し込んでみた。価値の源泉が、プラットフォームからコンテンツに移る象徴としてアピールできる。
通らばリーチ!
先述の通り、当時はゲーム産業というよりゲームコンソール産業だったので、プラットフォームの相互乗り入れは断固として避けたいはず。実務的な障害も山ほどある(セキュリティ・ポリシー等)。
しかし、すったもんだの末、これすら通していただいた。
数年後、あるパーティで、米国本社のXbox事業のヘッドが話しかけてきた。「クロスプラットフォームを認めたのは最悪の汚点だ。もう二度と過ちは犯さない」
怒ってはいなかったものの慙愧の念に堪えない体だった。
当時の社内調整は本当に大変だったんでしょうね、ありがとうございます。

方針が決まった以上、最高にインパクトがある手法にしようという事になり、E3のカンファランスで、私がサプライズ・ゲストとして登壇するアレンジにしてくれた(ラッキー!)。
さすがにFF11そのものを出すわけにはいかないので、MMORPGとしておいて(当時はFF14を想定)、プレゼンの映像を作った。
こちらも「取り」として登壇し、大反響。
E3当日は、サプライズゲストなのでバックヤードで私の姿を見られるのは不味い。建屋の外に泉水さんと喫煙に出たのが懐かしいw

結局、マイクロソフト・カンファランスの主催者以外の登壇者は、Don Mattrick(Electronic Arts COO)と私の2名。ソニーと被ったねw

当時の記事に、「世界初のクロスプラットフォーム」との記述あり。
マルチプラットフォームと峻別するため、IT産業から単語を拝借してクロスプラットフォームと名乗る事にした(当時のゲーム産業にはこの単語はなかった)。タイトルに関わっていたスタッフにも、マルチプラットフォームではなくクロスプラットフォームと言ってくれと徹底していたが(こういう事はとても大切)、きちんと守ってくれたんですね。でなければ、この表現にはならない(記事の周辺インタビュー、事前校正において制御していたという意味)。
ありがと!
https://www.4gamer.net/games/021/G002130/20050517171213/

2005年の世界デビューは大成功だった。
知る人ぞ知るイケてるRPGブティックから飛躍し、産業を代表する企業の一角との認識を得る事が出来た。
これは、その後の事業展開の強力な後押しとなった。

この年に、マルチプラットフォーム(さらにはクロスプラットフォーム)展開の現実性を示すことが出来たので、2006年、2007年は、米国のE3、日本の東京ゲームショーにおいて、具体的なゲームコンテンツの発表に注力していく。

実は、以下の展開も視野に入れていたため(個別具体的案件ではなく、方向という意味)、スクエニの外延が拡張していく上での「起点」を設定したかったのが本心。
・2006年にタイトー(ゲームセンター等)、2008年に Eidos(有力IPを持つ英国ゲーム会社)を買収し、開発能力を拡充。
・スマイルラボ設立(2008年)、スタイルウォーカーをJVとして設立(2008年)。これによって、PCブラウザ、携帯の新ジャンルに挑戦(この結果がスマートフォンゲームの事業成立の基礎の一つとなる)。
・SGラボ(2006年、シリアスゲーム専業、学研とのJV)で新たなゲームの活用につき挑戦。
・パナソニックと、TVをコンテンツ提供環境にする共同プロジェクトを発足させ(2006年)、プラットフォームの概念拡張に挑戦。
・その他、インテル、KDDI、オンデマンドTV、ESPN等との技術提携。

以上の展開をステークホルダーが「ストーリー」として追えるように作っていった。
2002年の記者会見で「攻め」を謳い、合併初年度のアニュアルレポートで新会社発足趣旨を書いた。
その後の展開は、趣旨通りの実現の過程なのだが、「起点」がなければ単なる拡散、発散に見えてしまう。このため、2005年を節目となる年にしたかった。
(90年代末期から2000年代初期のITバブルでは、なんでもかんでも買収する、M&A過食症が蔓延っていたため、これと区別したいとの意図もあった。ほら、私が証券出身なんで、こちらの「ストーリー」の方がメディアが印象付けやすいでしょ)

IRに限定せず、また手段も、多様に広範にアピールするのが「コーポレート・ストーリー」のポイントだと思う。

露出の分担

和田さん、本当は出たがりなんでしょうって?
まさか、登壇なんて羞恥プレー、やりたいわけないじゃん。
仕事ですよ、まじめな話。

だってさ・・
E3カンファランスに何回か登壇したが、マイクロソフト、ソニー共、ステージ演出のメリケン君達が超うざい!(社名はうざい順)
ここで振り向け、手をあげろ等々。
舞台上の主催者の肩をトントンと叩いて登場、主催者が驚いて振り向く、とか。
ないわー、どんな寸劇だ。コントかよ。
それに、私をディスる時によく使われる写真。頭悪そうにガバァーって手を広げてるやつね。あんなのも断固拒否!だったのに、やってくれなければリハ終わらないと座り込みの勢い。時間切れで仕方なくやったら、案の上、エサですわ。どんなセンスしてんのよ。(ん?手の込んだ罠だったのか。。)

閑話休題

私が着任するまでのスクウェアは、坂口さんが全面に露出していた。
これは機能していたと思うが、本人がいなくなった以上、別の戦略を策定しなくてはならない。
会社、個人、タイトル、各々のブランドの考え方を整理した。
・会社については私だけが話し、他のスタッフには一切語らせない。
従って、IRの文脈では、私以外のインタビューは受け付けない。
逆に私は、個別タイトルや個別クリエーターの事を一切話さない。
(今でもそうだが、個別タイトルのリリース状況で煽るのがゲーム業界アナリストの常道だったので、この方針は彼等への拒否表明を意味する)
・タイトルについて横断的に話す象徴的存在(以前の坂口さんの位置)は、あえて置かない。
・タイトルとクリエーターを紐付け、クリエーター各々を全面に出す(これはユーザーと取引先向け)。

スクウェア時代、8つの事業部を設置したのは、独立採算等、教科書的な観点ではなく(実際、賞与はタイトル収支に連動していたが事業部収支とは関連付けていない)、ブランド確立の意図が大きかった。全事業部の長をクリエーターとし、各々の主管タイトルだけでなく、その事業部で作る新作にも事業部長の顔を出した(ミニ・スタジオの見せ方)。
エニックスと合併してからも事業部を2つ追加しただけで運用は踏襲。
(後に事業部は解体し、クリエーターとタイトルのみを紐付ける方針に転換)
ヒントにしたのは古巣の野村證券。
軍隊、金太郎あめと揶揄されていたが、90年代央にアナリストの固有名詞が全面に出された。これによってブランド向上に大きく寄与し、スタッフのモチベーションも飛躍的に上がった。

私が、社長として露出すると割り切ったのは、スクウェア・エニックスを世間に定着させるための初期3年程度のみ。後は、極力、露出を避けた。
ただし、2006年からコンピュータエンタテインメント協会長に就任することとなり、その時点では業界の発信が弱かった状況に鑑み、業界代表としてアピールするようにはした。無論、協会長としての発言においては、一切スクエニには言及しなかった。

まぁね、最近流行りの「承認欲求」で露出するなんざ、ジャイアンのカラオケ大会と何も変わらんからね。みっともないから止めときなよ。
他方、出なければならない時は、どんなに嫌でも出るしかないね。

2000年代後半、死の彷徨

さて、偉そうに書いてきたが、正直に言えば無理して突っ張っていた側面もある。2005年時点で、目の前にバックリ火山口が開いているのが見えていたのだ。後少しで全員が吸い込まれる。

スクウェア・エニックスの発足は、ゲーム産業の構造変化に立ち向かうためだと主張したのは本音だが、コインの裏の表現は次のようになる。
・ゲームコンソール産業は経年劣化でジリ貧
・オンライン要素が主流になっていくに違いないが、ビジネスモデルの最適解は不明
・ゲーム立国日本の世界での位置づけは、さらに下落していく
何を危惧すべきかは正確に把握していたつもりだが、2005年時点で、実のある対策は暗中模索中で確信に至っていなかった。

2000年代後半5,6年間の環境がいかに過酷だったかは企業業績を見るだけでも分かる。コンソールゲーム(シングルプレイ)のビジネスモデルは壊れていた。
下図:営業利益チャート(単位百万円、暦年ベース)

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当時欧米を代表する3社の営業利益は軒並み連続赤字。
オンラインゲーム(World of Warcraft)が半分を占める Activision Blizzard ですら例外ではない。THQは倒産し(2012年)、他の老舗もほぼ死に体になっていった。
国内でも、バンダイナムコはこの間下降の一途。他社動向もほぼ同じ。
事後的にみれば、「2010年過ぎから潮目が変わるのね」となるが、回復のめどが全くないままに、毎年々々、業界がどんどん沈んでいく状況は、渦中では不気味でしかなかった。
そして、2009年から、異分野からの新興勢力台頭が始まる。
スクエニは、この環境下では無理やり踏ん張り、2010年3月期(表中2009年)に最高益達成。売上もスクウェア時代からすれば5倍に伸ばせた。
しかし、その後、大きなツケを払う事になる。

ある人に聞いたことがある、変わり目で環境が悪い時にはどうしますか?
「僕だったら、嵐の時は動かずに籠る。納まりかけるタイミングを虎視眈々と狙うね」
私は我慢できなかった。

とにかく、もがきにもがいた。
買収(含む買収先のポスト・マージャー)、提携等々、個人で切り込んでいった。社内リソースだけに依存していては突破できない、フロンティア開拓は俺がやる、皆で現在の地盤をしっかり守ってくれ!と駆けずり回った。
とんだ勘違い。バーサーカー・モード、狂気に近い。
あがいてもあがいても、手応えが感じられなかった。
冷静に振り返れば、「社員を信用していません」と言っているに等しい。
やはり、うまくいくわけないよね。

先述の「拡散、発散」の危惧は、表面上の業績、ストーリーの見え方において回避できていただけで、社内の成長は伴っていなかったのだ。

私自身、フロンティア開拓と言っても、実際には買収したタイトーと Eidos の2社に莫大なエネルギーを割くことになった。また業界、財界活動も並行していた。
結果、他の案件は、成立直後からスタッフに投げてしまうという中途半端さ。
本体のコンテンツ開発のマネジメントもどんどん雑になっていった。

実力と成長速度のギャップに耐えられないのは未熟さゆえだが、渦中での暴走の自覚は難しい。楽にこなせる目標設定が間違っているのは明白だからだ。
では、暴走と適正との境界はどこなのか。
今後の人生においては、若手経営者達に対し、経験者としてアドバイスしていきたいと思っている(連絡待ってますよ~)。

さて、ついに、2011年3月期、無理が表面化する。
収益の基盤と位置付けていたFF14が頓挫。他の国内タイトルも蓋を開ければ壊滅的。
フリートゥプレイのゲーム(現在市場の中核となっている基本無料のゲーム、スマホ等、以下「F2P」)が全社を支える柱として完成しない限り、その後3年間の収益目途が無くなった。また、FFブランドそのものも消滅の危機に瀕していた。
実際の業績に現れるのは2年後の2013年3月期。トップになって初めて営業赤字に転落。
この年、社長を辞任した。

幻の5年計画

2000年代後半あがきつつも、泥沼から抜け出す糸口は2008年頃には見えていた。
ただし、未熟だった私はフォーカス仕切れず、まだ事業を全方位に広げようとしていた。

そして2010年後半の大事故。
冷水をかけられたという感覚ではない。窯一杯の煮えたぎる油を頭上から浴びせられた激痛だった。

スクウェア再建時と異なり、環境が大きく変わる逆風のタイミングだ。
構造改革には5年かかると腹を括った。

考え方を変えなければまた同じ過ちを犯す。そのためには形から入るのが効果的なはず。ルーティーンから徹底的に変える事にした。
・自身のリソース配分として、事業開発は後退させ、社内の組織構築、人材育成を最優先に置く。
・M&Aは禁じ手とし、オーガニックな成長に徹する。
・業界活動、財界活動は一切行わない。

戦略については、2008~2009年に確立したものを継続し、より先鋭化させた。
すなわち、安定収益としてのMMO(多人数オンラインゲーム)、次代の中核となる事が予想されるF2P、そして、これまでの収益の中心だったHigh Definition(以下、HD) と、ゲームの3階建ての構造確立を完成させ、各階については以下の通り遂行する。
・F2Pをスクエニ事業の柱に育てる。
ヒット生産では足らず、持続的にヒットが出る組織作りをゴールとする。
・FF14(MMO)は、何が何でもサルベージし、復活させる(この頃、同じくMMOのDQ10は、既にリリースに向かって軌道に乗り始めていた)。
・HDは、開発工程の近代化とテクノロジーのキャッチアップに専念する(この頃のテクノロジーのレベル低下は、実は非常に深刻だった)。開発タイトル数は抑制する。

この際には、社内外に「5年計画」等のプレゼンは一切しない事にした。
言葉が空虚に思え、言葉にすると実態が消えてしまうような感覚を持っていた(私も、さすがに人の子なので若干荒んでいたんですかねw)。

結局5年計画は成就し、スクエニは大手一角として存在感を示す事が出来たが、広報IRの観点では零点だった。
この失策は社長辞任時に効いてくるが、開始時点ではそこまで考えが及ばなかった。

ごく一部に対してを除き、社内外、誰にも体系だった言い方をしなかったため、どこを目指し、何が起こっているかの共有が行われず、私の辞任以降、会社に戦略の引継ぎが成されなかったのではと反省している。
ここでいう引継ぎとは消化するという意味。踏襲するか変更するかは後任の判断。
いきなりコックピットからパイロットが消えていては、会社が持つ知見の蓄積をドブに捨てる事になる。
対外的な戦略説明であるIRは、外部に設計図の一部をコピーしておき、万一の際に社内に逆転写する保険の機能も担わせうる。
(これ一般論ね、念のためw)

社長辞任

スクウェア社長就任時に熟考したのは、この会社を救うべきなのか、だ。
未経験者(当時)が傲慢に過ぎると思うかもしれないが、これは、当該企業の存在意義を明確にするために絶対に必要なプロセスだと考えている。
同時に、退くトリガーも決めておいた。
1:持続的成長ができる企業として確立した時(事業の確立 and/or 後任の育成)
2:あるいは1円でも赤字を出した時
権力は魔物なので、余程意思が強くても麻痺してくる。実力経営者の多くが晩節を汚すのを見るにつけ、うまくいっていても、いかなくても、老害に堕ちないように、あらかじめ自分の中に退任にかかる鉄の掟を作っておいた。

実は、2010年末からの5年計画は、折り返しの2013年現在、極めて良好に進捗していた。

MMO:
・ドラクエ10は無事ローンチ、FF14は目覚ましい復活を見せ、2013年夏のローンチに最早不安要素はなかった。
HD:
・クリエーター上層部の世代交代が進められていた。
・テクノロジーについては、ゲームエンジンの開発が進捗していた。エンジンが出来ても開発現場が受け入れなくては機能しない。供給、受容、双方のコンセンサスが完了していたという意味で進捗していた。さらに複数のタイトルで活用する事も決まっていた。複数である事が最重要ポイント、そうでなければ、単なる独自エンジンに過ぎず、戦略的展開はなくなる。
・懸念だったFF15は、(対外発表はしていなかったが)体制変更がほぼ完了し、ようやくリリースが現実的になった。
・セールス・マーケも国内についてはデジタル化に舵が取れ始め、立ち遅れた米国については痛みを伴う大改造も着手していた。
F2P:
・なかなか飛躍しないものの、地盤作りは計画通りであった。

ところが、2月頃、2013年3月期の赤字転落が見え始めた。
2011年3月期の惨事によって、パイプラインが大幅に乱れ、2,3年後に壊滅的減益となる事は予想出来ていたが、まさか赤字になるとは夢にも思わなかった。なぜか同じタイミングでアーケードゲーム部門も赤字となり、全社で赤字となる。

計画の進捗は順調。また、経営者としてのスキルも、トップ就任10年にして、ようやく自ら及第点を付けられるまでになったとの実感もあった。
なのに、赤字。

天の声だと思った。

これだけやっても降りろと言われている。
2011年3月期は経営者としてショックだったが、今回は人生を否定されたような衝撃だった。私人としてはもう何も考えたくない。しかし、逃げる事は許されないので、経営職人に徹して、「意味付け」とアクションプランを考えた。およそ1週間。

その時点で冷静に考えても、5年計画は正しいと思えた。また、進捗も悪くない。
であれば、2000年代央の中途半端さを反省し、徹底せよという事か。
つまり、社長辞任は、5年計画の強化イベントという事だな!

計画中の弱点はF2P事業が未だ不安定な事だけだ。後はほぼ出来上がっている。
であれば、ここに全エネルギーを投下せよという事になる。
・社長を辞任するだけではなく、後任が気兼ねしなくて済むよう取締役会からも降り、経営者としての全権限を放棄する。
・F2P事業と新興市場開拓(特に中国)のみを管轄する事業本部長となり、5年計画の完結に集中する。
・評価損・廃棄損を前倒して全て2013年3月期に取り込む。FF14のローンチと合わせ、社長交代初年度2014年3月期は、これで確実に利益が出る。2015年3月期にはF2Pが立ち上がってくる見込み。
つまり、辞任と経営責任の全うとが両立すると考えた。

2013年3月26日、業績の大幅下方修正と社長交代の記者会見を行った。

「巨額の赤字で引責辞任」
はい、皆さん、お望みの見出し。
これ、日本によくあるやつですが、退任する事が何で責任取った事になるのかね。生贄を捧げると甘露が降るとかw
引責辞任って四字熟語、廃止した方がいいと思うよ、本当に。全員勘違いするので。

個人としての真意は、
・営業赤字は天の声、経営者の矜持として辞任する
・経営責任は、スクエニの次の柱であるF2P事業確立のコミットと、交代後2年間の黒字維持の保証(損の前倒計上、MMO完成、F2P確立)によって果たす

近しい人はご理解いただけるでしょうが、普通なら信じ難いでしょうね。
ましてや、あのタイミングで本人から言うのは不味いよなぁ。
「矜持? 格好つけんな、赤字こいただけだろ!」ってなるし、5年計画の進捗は順調と言えば「じゃ、なんで辞めるんだ」となる。。
「社長を辞任しておきながら事業本部長として働くなんて聞いたことがない。行き先がないから、お情けで雇ってもらうように土下座でもしたんだろ」なんてね。
ほとんどの人は、事業と業績に時間差があるという当然の事実を意識できていないからこうなる。
事業が大変な事になった、そんな酷いことした奴は見せしめに切り刻んでやる、というワイドショー的感覚に従うなら、私は2011年3月期に辞任し、後はほったらかせば良かった(ちなみにこの年度は、先述の私自身の退任基準に合致していなかったので辞めていません)。しかし、そうしていたらスクエニは確実に三軍落ちし、以降じり貧になっていたでしょうね。
で、そもそもなんで2011年3月期にそうなったかと言えば、2000年代後半に業界が沈んでいく中、無理にに突っ走ったツケが回ってきたから。

この辺りの状況は、よほどの達人でも聞かされない限り分からない。
社内外への発信は一切しなかったので、憶測に任せるままとなった。
2010年末は経営者として崖っぷちに立たされたが、シビアな一方アドレナリンも出まくっていた。2013年は個人の人生を天に否定された思いだったので、恥ずかしながらメチャクチャ憔悴していましたね。あんな顔見せたことなかったから、何かとんでもなく酷い事が起こっている。これからどうなるんだと、ひたすら不安を煽ることとなってしまった。
事業はもう成長軌道に乗っていたのにね。修行が足りんわぁ。

2011年3月期に5年計画をプレゼンしていないので(この年のアニュアルレポートは、開き直ってゲーム産業史なんて書いてるからなぁ、小僧め!)、社長交代のタイミングになって今更戦略は語れない。
だって戦略は、後任社長の専管事項だからね。
2011年3月期に逆サイドに極端に振ってIR活動から遠のいたのが、ここでツケとして回ってきた。やはり、ブレたらアカン。継続が大切。

結果として、スクエニのレシピを社員に伝える機会を失ってしまった。
これが唯一の後悔。

さて、5年計画はどうなったかと言うと、下の図の通り(営業利益チャート:単位百万円、2011:2012年3月期)。

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全体の景色としては、F2P・スマホ事業が立ち上がったか否かでハッキリ企業格差がついた(中国等、海外の景色が様変わりしたが、本稿とは直接関係しないので割愛)。
スクエニとバンダイナムコは勝ち組に返り咲き。
(バンナムとの差が縮まらないのが気に入らないw、スクエニはF2Pに加えて最強のMMOを二つも擁しているのに..ブツブツ)。
DeNA、GREEは、ガラケー時代にプラットフォーム事業者として君臨したものの、スマホ時代になり通常のスマホゲーム・パブリッシャーの位置になり、水準訂正。
ガンホー等、大ヒットに恵まれた企業は、一タイトルへの収益依存が極めて高く、巨額の利益を計上しつつも継続性に乏しい。つまりタイトルの成功であって、事業、組織は依然として弱いと思う(その中ではCAのゲーム部門の継続性は素晴らしい)。

スクエニのレシピは、また改めてお話しします。

業績予想はやめてしまえ

さて、最後に一般論。

決算時に業績予想を出せとの謎の決まりがある。
野村時代、「市況の影響が大きいのにわかるわけないだろ、むしろ、野村の業績予想で相場が動いたらどうする」なんて言いつつ、記載しなかった記憶がある。今でもそうしていると思う。
つまり、必然ではないという事。

証券アナリストは、産業・企業の動向を分析するベーシックレポートを書けてこそ価値があるのに、業績予想があるばかりに「会社側の業績予想は固め。従って上値の余地あり」との死ぬほどショーもないメモが書けてしまう。業績予想がなければ、力のないアナリストは一行も書けないはず。
これはアナリストのレベルダウンの根本原因の一つだと思っています。
結果、産業全体の活性化が緩くなる(アナリストが本来の機能を果たせば、産業に有意だと思いますよ)。

さて、経営の観点で言っても、これは大迷惑。

業績の事前数値には、目標、予算、見込みの3つがある。
目標は、あるべき姿を数値でイメージしたもの。
予算は、達成すべき数値。コミットメント。
見込みは、中間シナリオで、そうなりそうな数値。

開示を強要される「業績予想」は、当然「見込み」になる。
しかし、社内で、「見込み」と「予算」の差など理解できない。

スクエニ時代、個別ゲームタイトルはセグメントの一構成要素なので埋もれてくれるが、出版事業はむき出しになる。
担当役員が予算として出してくる低めの数値に対して、私は、自らの「見込み」でいつも上方修正して開示していた(概ね、その数値に着地する)。
これは、私が数値をよく見せたいとか、担当役員がコンサバだからという事ではない。
私からすれば、担当の申告通りにすると、全社見込みを前提とすれば他のセグメントに皴が寄り辻褄が合わなくなる。
他方、担当役員の意見も正しい。開示数値は社内的には「予算」に見えるので、営業がアグレッシブになり、押し込みが始まる危惧があるとの事だった(出版業界では無理して流通に押し込むと、後日大量の返品を食らう事になる)。

いったい誰のための業績予想なのか。

また、アナリストに対して「目標」も通じなくなってしまった。
「それはコミットできるんですか!」ーだから、そういうのは予算って言うの。
「根拠は何ですか、現実的な数値なんですか?」ー経営はビジョンと決定力、目標は(将来の)結果ではなく、ドライバーなんだってば。

結果、牽制が働かないので、経営者から3つの数値の相違の自覚も薄れていった。
・目標を持たない運営は、意思のない単なる馬なり
・予算を持たない推進は、成り行き、なれ合いで学習もない
・見込みが立てられないのでは、現状認識ができていないメクラ運転
3つが意識されているか否かで経営者のレベルがかなり暴ける。
肩書だけの経営者なんて、給料が不当に高い中間管理職に過ぎないからね。

確かに経営者もアナリストも悪いところは多くありますよ。
しかしですな、制度が行動を規定してしまい、レベルを落とす一因にもなっている点を少し考えた方が良いと思います。

最後に苦言を呈したところで、長くなったので今回はこの辺りで。



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