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飲み会

個人的な話をなんとか意味のあるテーマに持っていってみようと思う。


今日参加した飲み会は少人数のゼミ内のもの。気心の知れた(?)人どうしで普通よりちょっぴり高めのお店で今年を振り返った。いや結局振り返ってはいなかったな。

当初はこの飲み会にあまり気乗りしなかった。1週間かその前くらいに話を聞いていて、だいたい行くメンバーが固定化されていることがわかったので、いつもの話になるだろうと思い、参加を渋っていた。いつもと言いつつ毎度覚えていないけれど。

行こうと思ったのは、同じゼミの子のひと言だった。せっかくのゼミ内で、しかも先生と飲める場はあまりないと思ったし、なぜか何より食べたいものを選択できる権利(笑)が僕にはあった。

鍋料理が食べたかったので、それを伝えたら通った。こうなったら行くしかないじゃん。少し遅めの電車に乗り、少し遅めの忘年会が始まった。

参加したらとても楽しかった。日を置いてまた行きたいなと思うくらい。
どうして楽しかったのだろう。いろいろ回顧してみた。


話題がカジュアルで話しやすいテーマだったこと。お酒、雑談、男女間での認識の相違、あとはあんまり思い出せない。。

マウントをとる人もいなかった。何ができるだの自慢話だのそういうのは違うからか、誰もしなかった。不快な想いはしなかった。

ぼくをめちゃくちゃ立ててくれた感がある。思い上がりすぎかもしれない。一言に、ツッコミに、リアクションがある感じだった。簡単に盛り上がる雰囲気はすぐ楽しくなっちゃう。難しくない。飲み会慣れしているメンツだったからかもしれないけど、すぐにスイッチが入って楽しかった。

先生が本当に打ち解けていた。生徒や先生みたいな間をあまり感じさせず、(鈍感なだけかもしれない可能性あり)フラットに話せた。以前に、飲みに行ったこともあったけど、別の感じでまた楽しかった。

生産性は多分なかったなと思った。飲み会に生産性は求めるべきなのだろうか。お金を払って時間も切り売って参加しているわけで、そこに投資している以上は身になる話をシェアしたい、されたい気持ちがある。もしくは目に見えない別の何かが動いていたかもしれない。仲間意識とかそういう類の。

印象的だったこと。それは幸せについての話。どういう状態を幸せと感じるのか。今回はぼくは今の状態を幸せと位置づけたけど、実際にはっきりと感じているかと言われると正直わからない。健康で、友達もいて、ワクワクした気持ちも持っていて、たぶん良い状態だと思っている。しかも基準は主観的で個人的。けれどもそうではない人もいて、ぼくと離れた場所にいることを感じた。その子の考え方はとても参考になった。


良い程度に飲みすぎたし、最寄駅を寝過ごして2時間かけて帰宅したし、後始末は散々だったけど、”楽しかった”という感覚は確かに残っている。楽しかったからリピートしたい、当たり前の法則。

年の瀬を迎える。2019年が幕を閉じる。また年齢を重ねる。いろいろ思うところがある今。また明日が始まる。もう始まっている。

うーん、やっぱり抽象化は難しいなあ。

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