下山事件を読む 第8章 事件前後の不可解な出来事
この章では、犯行グループの実像に迫るための鍵となるかもしれない、事件前後に起きた謎の出来事について見ていきたい。
「引揚者血盟団」からの脅迫状
事件の一週間前(または7月4日)、前橋局の消印がある「引揚者血盟団(または引揚者同盟)」名義の封書が吉田茂(首相)宛に届いた。それは、政府首脳や国鉄総裁などを殺すという内容の脅迫状だった。
矢田は著書『謀殺 下山事件』において、57ページでは上記のとおり「引揚者同盟」と書いている一方、232ページでは「『引揚者血盟団』という差出人名義で吉田総理宛の封書がきた」と書いており、これらが別々のものか、同一のものを誤ってそのように書いたのかよく分からない。
「下山を暁に祈らせろ」というビラの貼付
事件の2、3日前、新宿駅近くの陸橋に貼り付けられた「下山を殺せ」「下山を暁に祈らせろ」というビラが見つかっている。「暁に祈らせろ」とは、暁に祈る事件の「暁に祈る」をもじったもので、「下山を殺せ」という意味になるという。「暁に祈る事件」とは、モンゴルの捕虜収容所において、ソ連軍から捕虜隊長に任命されていた元日本兵が、労働ノルマ未達の隊員にリンチを加え死亡させたと言われている事件のことである。「暁に祈る」とは、木に縛り付けられ瀕死の状態になっていた隊員が、明け方に首がうなだれ、祈るような格好になっていたことを意味するようだ。
鉄道弘済会への下山総裁殺害予告電話
下山が失踪した日の前日、1949年(昭和24年)7月4日、鉄道弘済会の本部に下山総裁殺害予告の電話がかかってきた。この電話を受けたのが社会福祉部に勤務する宮崎清隆という人物である。電話の主は宮崎に「吉田か下山か、どっちかを殺してやる」と言った後「いずれ革命の時期が到来したら、戦場で白黒つけよう」と言って電話を切ったという。
この一件については、核心に触れる出来事であると思うので、後に詳しく取り上げたい。
国鉄労働組合(東京支部)への謎の電話
東京鉄道局(国鉄の一機関、通称「東鉄」、後に東京鉄道管理局となり1970年3つの管理局に分化後1987年に東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継される)にある国労の東京支部に謎の電話がかかってきた。7月5日午後7時過ぎに東鉄渉外部員が鉄道専用電話で受けたもので、「総裁が自動車事故で死んだ」と伝えられた。後日、この電話は田端駅機関庫内の詰所からかけられたものであることが判明した。5日午後6時に管理責任者はドアを施錠してこの詰所から退出したが、6日の朝にはドアの鍵が壊されている状態であった。
アリマからの怪電話(1回目)
7月5日午前10時過ぎ、「総裁はいつもどおり家を出たかどうか」という問い合わせの電話を下山邸で下山夫人が受けた。電話の主はオノデラともアリマとも言った。
アリマからの怪電話(2回目)
7月5日午後9時のニュースが総裁の行方不明を伝えた直後、再びアリマから下山邸に電話がかかってきた。「今、ニュースで総裁の行方不明を聞いたが、今日総裁が自分の所に立ち寄った時は元気だったから心配はいらないと思う」という内容の電話であった。電話を受けたのは、同居人の中村量平夫人だった。
この電話ついては、犯行グループが、仕事が終わるまで騒がないでくれと言っているように思える。具体的には、駐在所の警察官などが見回りに出てくることを警戒したのではなかろうか。
アリマについては、有馬登良夫という人物が捜査線上に上がってきた。有馬の下山との関係は、下山の企画院時代からつきあいがあった古くからの友人であった。戦後復興のために技術者を活用する目的で設立された科学技術者活用協会では、下山が協会理事長、有馬が専務理事であった。オノデラについては、科学技術者活用協会のスポンサーでもあった料亭経営者の小野寺健治という人物が実在することが判った。有馬については、本人の話が矢田の著書に載っており、事件とは無関係のようである。
柴田哲孝は、柴田の叔父から小野寺健治に関する情報を得ている。
以上の文章を読めば、下山邸に二回電話を掛けてきた「アリマ」の正体が、つい本当の名字を言ってしまった小野寺健治であったかもしれないと思えてくる。
早すぎる警察発表
下山の死体が発見される直前、7月5日午後10時、警視庁の坂本智元(刑事部長)は「下山総裁は誘拐ではなく、何らかの事故にあった公算が大きい」という見解を発表した。
綾瀬駅に落ちていた田端機関区の分解図
下山の死体が発見されて数時間後、轢断現場に程近い綾瀬駅構内の線路上に落ちていた田端機関区の分解図が発見された。「分解図」とは、列車の場所と動く時間をひと目でわかるようにしてある図表のことらしい。この分解図は限られた者しか持っていなかったため、落とし主は簡単に見つかった。警察の取り調べに対して、落とし主(田端機関区に所属する二人の青年)のうちの一人が、「落としたものは自分たちのものだが、何故あんなところに落ちていたか理由を言う訳にはいかない」「死んでも言わない」と拒否し続けた。その結果、警察の捜査は中止され、落とし主は釈放されたという。
日暮里駅トイレの「落書き」
当時、田端駅から上野駅・東京駅方面に向かう上り線の一つ目の駅が日暮里駅であった。7月6日朝方、この駅の男子便所の荷物棚にチョークで書かれた「5.19 下山缶」という文字を駅員が清掃中に発見した。下山の死体が発見されて間もない時の出来事である。
この文字は、5日19時に下山総裁の死体をドラム缶に入れたことを意味し、その内容を誰かに伝えるために書かれた可能性があることを指摘する者は多い。このドラム缶の中に、前章で言及したヌカ油が入っていた可能性もある。
破られた田端駅機関庫の宿直簿
警視庁の捜査員が田端駅機関庫の夜勤者を調べるために宿直簿を提出させたところ、7月1日から5日までの部分が破り取られていた。
松本清張は「宿直簿」「7月1日から5日までの分」と書いているが、矢田喜美雄は「宿泊者名簿」「7月5日の宿泊者の分」と書いている。
発車が遅れた轢断列車
下山総裁の死体の轢断は、最終電車の前に通過した貨物列車によってなされたものと認定された。この貨物列車の乗務員は、山本健(機関士)・荻谷定一(機関助士)・横田一彦(車掌)の3名で、全員水戸機関区の所属であった。
この貨物列車は、田端駅を7月6日午前零時2分に出発する予定であったが、実際には8分遅れの午前零時10分に出発している。原因は、将棋に夢中になっていた「起こし番」が山本と荻谷を仮眠から起こすのを忘れていたから、ということになっている。荻谷は、山本から「出発が遅れた理由を話すな」と言われていたので、発車が遅れた理由を警視庁の捜査員に話さなかった。なお、山本は下山事件から10か月後の1950年5月に死亡している。
山本の死が自殺かどうか定かではないが、自殺であるならば、世間を震撼させるような大事件に巻き込まれたことを気に病んで自ら命を絶ったというのが真相ではなかろうか。
発車が遅れたことについては、犯行グループが現場で手間取ったため発車を遅らせる必要があったのではないかと推測できる。死体発見場所に眼鏡やライターがなかったこと(第6章で言及)を考えると、犯行グループが現場で慌てていた様子が窺える。
牧胤吉の怪しげな助言
7月6日早朝、下山と親交があった牧胤吉は、下山常夫(下山の実弟)に次のような助言をしたという。
下山総裁の残された2,500円
下山夫人は、下山が失踪した日の朝、下山の財布には100円紙幣で2,000円より多くは入っていなかったと証言しているようだが、事件後下山の財布からは4,500円分の100円紙幣が出てきた。この差額である2,500円は、失踪直前に立ち寄った千代田銀行の貸金庫から持ち出されたものであると考えられている。
千代田銀行の貸金庫には以下のものが保管されていた。
・現金(100円紙幣の10,000円束が3束と米ドル紙幣が4、5枚)
※米ドル紙幣について、矢田は「4枚」、畠山は「5枚」としている。
・株券
・家屋登記証明書
・春画
下山が2,500円持ち出すには十分な現金が保管されていたことが判る。矢田によると、「現在の時価に換算すると3千円は10万円以上に相当する」とあるので、2,500円なら83,000円以上になる。では、この2,500円は何に使われる予定であったのだろうか? 畠山清行は次のとおり推理している。
松本清張は、現金の使途については言及していないものの、畠山とよく似た見立てをしている。
第6章で既に引用した加賀山の文章であるが、重要な点だと思われるので再掲しておく。
以上の不可解な出来事により、国鉄内部、とりわけ田端機関区が世間から疑いの目で見られたことは容易に想像できる。しかし、ここまで露骨にやられると、内部犯行を印象づけるために行った謀略の可能性も捨てきれない。矢田によれば、日暮里駅で「5.19 下山缶」という落書きが見つかったことに関して、専門家の中には次のように言う者もあったという。
下山が抱えていた情報屋に関して、諸永裕司は次のとおり書いている。
この「情報提供者らしい十数人」の中に、下山総裁を誘き寄せた情報屋がいたのであろうか?
(つづく)
参考文献
畠山清行 著『何も知らなかった日本人』祥伝社文庫(2007年)
矢田喜美雄 著『謀殺 下山事件』講談社文庫(1985年)
松本清張 著「下山国鉄総裁謀殺論」(『日本の黒い霧』に掲載)文春文庫(2004年)
柴田哲孝 著『下山事件 最後の証言』祥伝社(2005年)
雑誌『真相』(昭和29年3月号)人民社(1954年)
加賀山之雄 著「下山事件! その盲点と背景」(雑誌『日本』に掲載)講談社(1959 年)
諸永裕司 著『葬られた夏』朝日文庫(2006年)
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