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私はプラトニックラブを愛する

 私はプラトニックラブを愛する永遠の純情派である(笑)。
 恋愛下手とは言っても、六〇年も生きているのだから、それなりの数の恋愛を経験しているが、今も深く記憶に刻まれ美しい思い出として残る恋愛はすべてプラトニックラブである。もちろん性的交渉を否定するつもりはない。私だって若い頃は性欲旺盛だったし玄人相手の女遊びもした。だが真面目な恋愛で性交渉が絡むと長続きしなかった。理由ははっきりしていて生活臭が苦手だったからだ。
 これは当然のことで、真面目に交際していて性的交渉があれば、結婚を考えるのが普通の流れであり、多くは家庭を持つ。子宝に恵まれれば絵に描いたような家庭ができあがる。それはすなわち生活そのものだ。つまり、交際相手と性的交渉を持った時点で「定番の生活ルート」に乗ったことになるのだから生活臭がするのは自然である。
 そして私はこの生活臭が苦手だった。また、ある理由から子供の頃から結婚を嫌悪していた。大いに少子化に貢献しているのだが、私はとにかく限りなく透明に近いブルー(笑)に生きたかったのだ。
 一方、プラトニックラブからは生活臭をまったく感じない。相手の姿や立ち振る舞い、感情の機微、精神的なもの、何よりも心を愛する。性器などに触れなくても、愛おしい相手の目や鼻、耳、唇、髪の毛一本から口癖や声質、匂いにいたるまで、存在自体を心で愛でる。まあ、実際には接吻くらいはするが。
 実際、私の場合、性的交渉を持った相手との恋愛は長続きしなかったが、プラトニックラブで交際した相手とは長く続いた。今考えると、相手は性的交渉や求婚を待っていたのかもしれない。いやきっとそうだろう。だが当時の私にはそうは見えなかった。この子には手を出してはいけないという気持ちが逆に働いた。うかつに触れると壊してしまいそうな、とても脆くて大切な存在に見えた。
 今から思えば、女性にとって何年も男が手を出さないまま、放置しているのは無責任なように思うが、性分だから仕方ない。私自身は、プラトニックラブで十分に満足だったのだから。
 こういう私は変だろうか。
 相手は迷惑千万だろうか。
 私と同じようにプラトニックラブを愛する者はいないだろうか。
 まあ、こんな人間だから小説を書いていても今ひとつ女性の心理が書き切れないんだろうなと個人的には思うけれども(笑)。

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