5.「9歳の女の子の言動を通して、目に見えない権力の動きに注意を払い、時に痛快に笑い飛ばす」さわひろあや『アスリッドとピッピがおしえてくれたこと (zine 2020)』
さわひろさんのnoteを通して、20代最後に訪れた、一度は永住を考えた国の両面に想いを馳せている。
公共図書館で司書として働いた経験があるさわひろさんが、ある女性についてnoteを掲載されていた。アスリッド・リンドグレーン。
ふと思い立ち読み返した梨木香歩さんの2冊のエッセイ『エストニア紀行(新潮社 2012)』、『やがて満ちてくる光の(新潮社 2019)』に、伏線かのように登場したアスリッド・リンドグレーンにまつわる話に、勝手にシンクロしていた数ヶ月だった。
ついにアスリッド・リンドグレーンについてのさわひろさんのzineが出たという。到着した翌日、日曜日の朝方から読み込んだ。
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書き手の波乱万丈な人生、特に恋愛や出産にまつわる話は人の興味を引くだろうが、私は、「なぜその選択をしたのだろう」に紐づく、時代・歴史の背景を知りたいと思うたちだ。
どんな時代でも、ここではないどこかへ、わたしではないわたしになりたい、という気持ちはもあったはずだ、と思いたいから。
作品はいわばその時代を投影したもので、その作品が支持され続けたり、ある国では禁止されるほど影響力を持つ。結果論とはしても、作家が生きた時代に残すべきして残された、作家の未来を生きていく私たちにとっては縁(よすが)となってきた。
第二次世界大戦後すぐに出版された当時から、現代のような民主主義がとても進んだ世の中を構築していく過程で、北欧の人々は権力が独り歩きしないように監視し、共に社会を作っていくという連帯の精神をもち続けています。それでもわたしたちの身の回りの小さな社会では、権力というものは放っておくとすぐに育ち、周りをコントロールしようとするもの。だからこそ、この9歳の女の子の言動を通して、目に見えない権力の動きに注意を払い、時に痛快に笑い飛ばすことで、民主的で平等な社会や人間関係の大切さを再確認しているのではないかと思うのです。
さわひろあや『アスリッドとピッピがおしえてくれたこと』 P39 わたしとピッピの出会い
既存の制度にとらわれたり、他者の指示は自分の意志よりも尊重すべきである教育を受けてくると、すっかりそれに囚われる。それもギッチギチだ。
渦中にいる人たちは、「誰かが自分の代わりに言ってくれないか、変えてくれないか」と期待する。
でも、ある時出てきた自分たちとは違う”反乱因子”に対して、期待しているはずなのに、拒絶し始める。隣で共に行動するには、とても勇気がいるのだ。それは現在においてもそうかもしれない。
アスリッドが生み出したピッピというある種のアイコンは、作品の中においても渦を生み出して、教師やサーカス一の怪力、お菓子屋の店員さえも圧倒させるし、不愉快にされるし、プライドを傷つけられる。多分それもその他大勢の人の気持ちを、ここでもアスリッドは代弁している。
アスリッドはピッピを登場させることによって、ピッピ以外の様々な立場のものの感情に沿い、問いかけながら、連帯を生み出してきたことにこそ、この作品の価値があるのかもしれないと思う。
もちろん、小さな読み手にとっては、ピッピはヒーローそのものだろう。でも、小さな読み手が年齢を重ねた時に作品に対する受け取り方が重層的だろうなと思う。実際に私もそう思うし、さわぐりさんもそうだったと、 zine内で綴っている。
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手紙は個人的な告白や悩みのオンパレードだ。それでも、サラが最終的にこの往復書簡の出版をオーケーしたのは、「世間の人がどう考えるか」より「自分が大切だと思うもの」を選び続けてきたリンドグレーンの勇気を思ったからだった。
「わたしは、あることをしようと決心しました。手紙に、手を加えないで出版することにしたのです。」彼女の決意により、これから先、これを読んで「もう一度、人を信じてみよう」と思う人間が何人いるか想像もつかない。リンドグレーンは積極的には公開を望まなかっただろうが、公開を決意したサラを誇りに思うだろう。
梨木香歩『やがて満ちてくる光の (新潮社 2019)』P32 奇跡の往復書簡
日記以外にもアスリッドはたくさんの手紙を書いた。後年、世界中からファンレターを受け取っていたアスリッドは(その数は7万5千通ともいわれている)、ひとりに一度は返事を書くというポリシーで返信していたそうだ。
さわひろあや『アスリッドとピッピがおしえてくれたこと』P25 「書く」ということ
マスに対して作品を発表すること、パーソナルに対して応答すること。簡単なようで大いに勇気のいる行為だと思う。
反応が知りたいという好奇心と、否定されるかもしれないという恐れを抱き合わせて、生涯に渡って手紙をやり取りし合った。
この行為にアスリッド・リンドグレーンの、人としての強さを感じ得てならないし、本気でこの世の何かしらの変化を望んでいたのだろうなと思う。
実際彼女は政治活動や、家畜保護法にも大きく関わっていたことも、さわひろさんのzineを通して知った。(P30 意見するということ)
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イロン・ヴィークランドは、アスリッド作品の挿絵画家。エストニアから難民としてスウェーデンに渡った過去がある。
エストニアの港町ハープサルから、戦火を逃れてバルト海を渡る途中に漂流せねばならなくなり凍え病気になりながらも、叔母によって絵画の才能を開花させた人物。この挿絵画家の豊かな幼少期、愛犬との過ごした時期、氷上のバルト海で遊んだ記憶、全てが戦禍によって失われ喪失感の中で、彼女は絵を表現として『やかまし村の子どもたち』シリーズをはじめとして、豊かな世界を取り戻していく。
(梨木香歩『エストニア紀行(新潮社 2012)』P159)
ある人は言葉で問いを投げかけ、時に笑い飛ばそうとする。ある人は絵で、失われた光景を取り戻そうとする。
私は何を使って、私の未来を生きる人たちの縁(よすが)になれるのだろう。
少なくともその表現や活動が今は理解されなかったとしても、未来に何かが通じるのならそれだけでも少しだけ希望がある。
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さわひろさんのzineの記事はこちらから。
直の申し込みは https://sawaguricph.stores.jp/ まで。
さわひろさんを通しての問いに、少し時間をかけつつも応答していきたいと思う。
藤岡聡子
株式会社ReDo 代表取締役/福祉環境設計士
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