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誰かに自分の時間を委ねる、という小さな勇気の重ね方は、ひとを優しくさせるのかも。なんていびきかきながら思っていた。2023.2.3
子育てを始めて10年、3人の子育てをする時間はあっという間に過ぎ、それまでに何度となく海外に出たことはあっても、子ども連れだったり、仕事の予定がたっぷり入るなど、何かしら急ぎ足すぎていた。 昨年ふと10年目を迎えたあたりから、自分のバランスが少しずれてきたように感じ、これはあんまりヘルシーでないなと思い始めた。母である私と私だけである私のぶつかり合いが始まってしまったのだ、とやや落ち込みながら暮らす日々だった。 年明けからしばらく、娘とともにアジアの港町に滞在した。 現地
その人の生命の際(きわ)には、そのすべての瞬間において創造的なものが立ち上がるのだと思う。終えることで何かが始まっていく。生きるを終えるという行為が、ただ悲しい、という側面だけではないと願ってきた。2022.12.4
ケアの文化拠点として、軽井沢町のほっちのロッヂを運営している私自身が、生きるを終える場面に居合わせる機会は実はそう多くない。 そんな私にとって、2020年の1月に出会った、ある方の最期の3週間が忘れられない。 作家の藤田宜永さん。たった3週間。でも私が、”失ったのに得ることができた”現在地に対して、確かな自信を下さった唯一無二の方だった。 初めてご自宅に伺ったことはよく覚えている。 藤田さんはソファに座りカラーグラスをかけ、「あ、どうもどうも。で、あなたどんな人たちなの?
表現者が新しい表現を見つける舞台になれたことが嬉しい。 そしてそんなことがケアの現場で出来るんだという記録。交換留藝の今。
お寺という場に行くことと、グリーフケアという誰か大切な人を失った人に向けられた何かしらが苦手だった。私が得てしまった体験を普段は横においているつもりが、実はそれはあまりにも生々しいもので、不用意に呼び起こされ、自覚するからだ。 生きると生きるを終える狭間の場所交換留藝という構想の発端は、ケアされる人とケアする人の役割を逆転させてしまうきっかけが欲しい、にあった。 とはいえ、突然に純粋的な芸術、いわゆるオペラや歌舞伎などがきっかけに欲しいわけではなく、いわゆる生活文化、鶴見