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米日リーダーシッププログラム。まるで甲子園スタンドのような熱量が続いた夏の一週間。2023.8.6

〇〇塾だとか〇〇卒の〇〇会だとかそうしたコミュニティに属したことがなく、いわゆる学歴とは派閥というやつに無縁の私にはなんだかそうしたものが違う世界のように感じて。

町の友人が何気なく教えてくれた「米日リーダーシッププログラム」にアプライしてみたいと思ったのは、その当時の2022年、少しずつ自分を開いていこうと思った年だったこと、ダメで元々、というよくわからない動機だった。蓋を開けてみれば、10倍もの倍率の中(後で知った)、日本から選出される10人の1人となったとメールが届き、そこから準備までに怒涛の時間を要することとなった。
6月初旬に開かれたプレカンファレンス会場でも、もう何がなんだかわからないけれど熱烈な歓迎を受けて目が点になる。とにかくそこで「nijikaiが大事だからね!」とこれまで触れたことのない世界なような気がして、そう言われたことだけが頭に残った。

プレカンファレンス nijikai

京都で開催されるwelcome dinnerまでに終えたい仕事はあまり成果を見ず、米日から40人強が集まり、かつあらゆる分野のプロが集まっているはずなのに誰が誰だか憶えも出来ず、ほとんど知り合いがいないコミュニティにどっぷりつかることになった。それはそれでこの30代でもはや経験しなくなったことでもあり、そうそう、このアウェー感が欲しかったんだよなと。
いかに予定調和の中で自分がオーナーシップを握っているかのようにしていたかを自覚した。不確実性の中にいると自分が本来得たい意識が露呈してくる。そうした感覚は創造性においてとても大事だ。

welcome dinner @京都

米日リーダーシッププログラム(USJLP)は2000年に始まり今年が23年目。USJLPを主催する米日財団は1980年代の米日の緊張感緩和を目的にこの交流プログラム構想を開始したという。例年42歳以下のDelegateを両国から10名ずつ/年間選出し、一週間の合宿形式を2年間続けて行なうプログラム。日本(京都/広島/東京)、米国(シアトル)を交互に開催地として行なってきた。
この一週間に、安全保障から日本の人口減少、文化の保全や教育、男女平等、LGBTQ、そして世界平和を考えるトピックが連日並び、相応しい人選が組まれパネラーとして話題提供し議論をリードする役割を担う。
朝9時から17時は食事を取りながらもトピックが続き息がつけない。しかも米国のコンテクストがわからないと話がついていけない。夜はスペシャルディナーが用意されその後はエンドレスなnijikai時間へと続いていく。朝6時から座禅プログラムが組まれた日はなぜかほぼ徹夜した。それまでずっと議論とカジュアルトークの応酬。そうして一週間の合宿の最後の週末に、USJLPの卒業生(Fellow)がたちが両国から集まってきて、Delegate達が一週間”生き抜いて”きたことを讃え、それぞれの再会を喜び合う。

Fellowは500人を超えたそうだ。Fellowには政治家や補佐官、そして活動家(私の期はオバマキャンペーンを牽引した弁護士もいる)、スタートアップ起業家から家業を継ぐbig事業家に上場企業経営者、スーパーVC、世界遺産の寺に住まう住職や各方面での活動的な弁護士や医師、大学教授に研究者、米軍自衛隊のそれぞれのスター達や、極めつけには多数のオリンピアン、オペラ歌手にハリウッド作曲家も。スペシャリティを挙げたらキリがない。

Day1の最初のトピック、"Population Decline and Revival: How to Thrive in a Smaller, Older World".登壇の1人として。なかなかに大きなトピックに対して1人1人後に大切な友となる人たちと語らえたことは大きな弾みとなった。楽しそうやな私。

しかしここから続いたトピックに自身を揺さぶられる事実にぶち当たる。確かに日本の抱える課題は大きくあるにせよ、米国の移民、宗教、銃規制の現実にLGBTQの取り扱い、#BLMの抱える根底にある仄暗さやコンテクストは私が思う以上の現実があり、それを同じDelegateたち(黒人女性、ラテンアメリカからの移民女性)が事実として淡々と同じテーブルでパネルディスカッションを補完する形で話始めた。
この選出されたDelegateたちの中でさえも、あらゆる立場があり葛藤や理不尽さ、そして希望を内包しているコミュニティだということを改めて自覚し不意に涙が止まらなくなった。普段明るいSatoに何があった?とみなにハグされる始末。自身の視野が本当に狭くて苦しさが溢れ出た。

アンバーのプレゼン。素晴らしかった。

極め付けは「Hiroshima」である。京都の会議会場に被爆者の方をお呼びし全員で聴かせていただく。Delegateの中には報道分野のプロもいたけれど、ここまで自分の語りを(しかも英語で)できる方は早々いない、ということもあった。
先述した通り、アメリカ人とAtomic bombについて話をしたこともなければ、終戦日間近のタイミングで共に広島原爆資料館を訪ねることなど想像もしていかった自分の甘さと弱さにさらに打ちのめされた。それ以前にday2からの自身の葛藤も拭えていないままで突入していった。平和ボケとはこのことなんだと。

被爆者、kokoさんと

移動時間やちょっとした隙間時間に、私の様子を気にかけてくれる何人ものDelegate達が、自分の体験をたくさん語ってくれるようになった。
カンボジア移民2世の友は素晴らしいビジネススタートアップ社長として著名だが、アメリカに居る息苦しさについて吐露してくれた。国際結婚した友は、黒人の子どもを養子に迎えたある家庭の話を。ずっとアメリカで育ってきたがここまで感情を露わにアメリカの課題を感じている人はSatoが初めてで私も何かしなければと感じた、という友。

このUSJLPで自身が葛藤し、その姿を見せ合える仲間達がいること自体が希望なのだと感じ始めた。

人種で括られる大勢のステレオタイプではなく、1人1人への解像度が圧倒的に高まったこの一週間で得られたことは、大きすぎる現実と共に、それを真っ向から見据える40人の大切な友だった。

居酒屋でnijikai

一週間が終わった今でも、ほぼ毎日のようにメッセージが飛び交っている。今は目下”バーベンハイマー”に関するやり取り。この夏、Hiroshimaを共に訪れた20人のアメリカの友はこの出来事に大きく揺さぶられ、反抗している。そうした20人がいて私はとても嬉しく思う。
あぁ世界は繋がっていて、心を共にできる確かな友がいるんだなと感じる。

来年はシアトルで。新しく両国で選出された20人と、私と同じ期の20人と合わせて40人で何を語ろう。
圧倒的な存在感を放つFellowのみなさんとの新しくtightな関係性がもっと私を私らしく在らせてくれるだろうという期待も大きくある。

受賞会場

そういえば10代の頃、あの熱気を感じたくてろくに野球を知らないくせに甲子園に通った夏があった。20年を経て同じ気持ちになったような。まぁ人ってそんなに大きく変わらないモンだし。

人生の転機って、そう何回もあるものじゃないかもしれないけれど、今年は特に私が開いたなと、もう年末のような気分でいる。すっかり〇〇の会、と言われるやつにとりこ。調子いいモンだな〜。

妹のように可愛く素敵な友に囲まれてクルーズに乗船。美しい飛行の線を見た。

2023.8.6