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その人の生命の際(きわ)には、そのすべての瞬間において創造的なものが立ち上がるのだと思う。終えることで何かが始まっていく。生きるを終えるという行為が、ただ悲しい、という側面だけではないと願ってきた。2022.12.4

ケアの文化拠点として、軽井沢町のほっちのロッヂを運営している私自身が、生きるを終える場面に居合わせる機会は実はそう多くない。
そんな私にとって、2020年の1月に出会った、ある方の最期の3週間が忘れられない。

作家の藤田宜永さん。たった3週間。でも私が、”失ったのに得ることができた”現在地に対して、確かな自信を下さった唯一無二の方だった。

初めてご自宅に伺ったことはよく覚えている。
藤田さんはソファに座りカラーグラスをかけ、「あ、どうもどうも。で、あなたどんな人たちなの?」と開口一番に。

「俺はね、誰かと一緒、っていうのはいやなわけ」
「俺がいい、俺が頼むって言った時にさ、その時に動いてもらえたら助かるんだよ」
「俺さ、ほっちのロッヂのメールマガジン読んでるんだよ。時々届くやつ。読んでます。」
「俺、自由に生きたからね〜」
「これね、俺の遺作になるかもしんないけどさ、読んでよ!そんで感想も教えてよ。俺の新聞記事も渡すよ」
「これね、この本の原画。いい絵でしょ。好きでさ、飾ってあんの。」

少しの回数、言葉を交わしただけにもかかわらず、私たちとの出会いを慈しんでくださっているような、そんな気持ちになったことを覚えている。

藤田さんとの最後の応答は、他界される1日前。ご自宅から民間救急車で病院へ運び出す時。
民間救急車の方2名が寝室にドカドカと入ってこられ、もうすでに肩で息をする藤田さん。

「いいですか、早くこの体勢になってください!!」と民間救急の方。
「・・・・」
この沈黙に、「俺がいい、俺が頼むって言った時にさ、その時に動いてもらえたら助かるんだよ」の言葉がこだました気がした。
「・・・ちょ、ちょっと待ってください。藤田さんのタイミングがありますから、ちょっと待ってください。」と私。

なんの資格もないし、移乗のプロでもないし、もちろん民間救急車の方達の方がご経験があることは百も承知。でも、たった3週間でも藤田さんと交わした言葉をないがしろにしたくない一心で、今思えばほっちのロッヂから駆けつけた私たちの形相もすごかったかもしれない。

もしかしたら、この瞬間が藤田さんの最期の家で過ごす瞬間になるかもしれない。そんな時間を、慌てて剥ぎ取って欲しくない。そんな泣きそうな願いがはち切れそうで、私たちはどうしても譲れなかった。

結果、かなりの時間をかけてご自宅から民間救急車へ移動し、緊急入院。それが藤田さんと私たちの、終わりの交わしだった。


藤田さんの伴侶であり、作家の小池真理子さんは、そんなご様子をずっと見つめていらっしゃった。人の精神性から飼い猫のお話しまで。藤田さんをお送りしてからも折々でお話しをさせてもらい続けてきた。

藤田さんが他界され、その5ヶ月後。小池さんは朝日新聞日曜版beの誌面にて、連載「月夜の森の梟(フクロウ)」を始められた。この連載は全国各地からあまりにも多くの共感と反響を呼び、数ヶ月も経たないうちに誌面幅を拡大。連載中からすぐに出版する企画も開始されたという、異例の速さだったそう。

編集者の方曰く、普通連載はある程度(数ヶ月分)ストックを溜めてから誌面なりの連載をスタートされるそうだが、なんとこの連載は一切のストックなし。毎週毎週、小池さんが綴り、編集者の手に渡り、ほぼ初稿のまま連載が続いた。

そんな小池さん、そして聞き手に小宮山洋子さんをお迎えできる機会を得た、第25回在宅ホスピス協会全国大会in福井。大会2日目・広く一般に公開されることを目的にした、公開講座。
ほっちのロッヂから完全にオンライン配信、という形で、藤田さんの最期の時間を見守った小池さんのご経験を話していただくことから、お二人の時間が始まった。

「自分の中を通り過ぎる風を感じ、言葉にした。(月夜の森の梟)は構成、狙いも、(原稿の)ストックもなし。」

「水気が失われていく手先。足の腫れ方。死のにおいが漂っている家の中に、(ほっちのロッヂの働き手が訪問に入ることで)健康的な空気、命が飛び込んできてくれた。」

「在宅医療というものを経験し、私にとってはその9割は精神的な支えとして、ケアがあった。」

「医療に携わる方々に。1つ1つ同じケアはないと思う。それに対して迷わない方がおかしいとさえ思う。医療者の感情、想い、想像力が豊かであってほしい、そう思います。居てくれるだけで支えになるのだから!」

プライベートでもご友人のお二人。この関係性だからこそ
引き出される応答がいくつも続いた

お二人から発せられる1つ1つの言葉を噛み締めながら、死や喪失の1つの側面についての一節を思い出した。

生命を脅かす病気にかかると、見逃されてきたものが、しばしば見直される。ある人が重ねている望まざる経験も、まだ経験していない人々には有用かもしれないし、その人の感じる恐怖も、より経験を積んだ者であれば対処することができる。このような場合に、新しい経験といえる。障害を乗り越えるための新しい社会的・実践的アイディアは、それまでほとんどだれも思いもしなかったような生命を脅かす経験によって生み出され得るものである。
死を予期するときに人は、万人に恩恵を与えるような、歌、芸術作品、詩あるいは物語を生み出すことができる。多くの新しい才能が死の影のなかで見出されてきた。この時期[死に際した時間]に生じた新たな思考や感情を表現しようとする鋭い必要性や欲求によって、こうした創造的な貢献がしばしば増進されるものなのである。

さらに、喪失は、加齢と深刻な病気と同様に、深い悲しみだけではなく、喪失の後に残された遺産を受け入れる新たな決意をももたらしうる。(中略)
喪失とともに生きる人びとは、死者との関係を新たな仕方で継続し、その関係に新たな意味を与えながら、その関係を結び直すことができる。死者は、その人が生きているときにそうであったのと同じように、亡くなった後もロールモデルであり続け、重要な他者であり続けることができる。これらは、自分自身とコミュニティへのポジティブな貢献であり、加齢、病気、そして喪失における、十分に認識されていないポジティブな側面からもたらされるものである。(kellenhear 2002)。

『コンパッション都市』第四章 コンパッション都市の政策 -操作上の政策2b  ポジティブ・エイジング、慢性疾患のポジティブな面、そして喪失のポジティブな面を促進し支援する

その人の生命の際(きわ)には、そのすべての瞬間において創造的なものが立ち上がるのだと思う。終えることで何かが始まっていく。生きるを終えるという行為が、ただ悲しい、という側面だけではないと願い、軽井沢町でほっちのロッヂというケアの現場に、表現活動が身の回りに当たり前にあるような環境を目指してつくった。

「ケアの現場と芸術の根っこには通ずるものがある」、と昨年、『こここ』に言葉にしてもらったように、根っこに通ずるものがきっとあるはず、というそうした願い。

その人が願う限り、ペンを取れるような、筆を取れるような、弦を鳴らし続けられるような、土を耕せるような、飼い猫にエサをやり続けることができるような。

出会うお一人お一人が、たったお一人の表現者として最後まで表現し続けられるような、そんな環境を、ほっちのロッヂの仲間とつくっていきたいと、心から思っている。

お二人の語りを間近で聞くことができ、とても幸福な1時間。現地でも、オンライン先でも、支えてくださったり、聞き手としてご一緒してくださった多くの方々が。ありがとうございました。

配信後、3人で。敬愛するお二人です。

*noteトップ写真は、2020.4.2。開業して2日目の夕方。まだ眼下には雪が残り、何かの前触れのような夕焼け。初心、忘れるべからず。いやぁここまで、色々あったなぁ。