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2019年は自分の命と人生と家族について向き合うことから逃げられなかった年でした

ビジネスパーソンとしては、2019年は何もしていない、何をも成し遂げなかった、と言っても過言ではありません。

本当に残念ながら、悔しい気持ちも大きいのですが、もっている病気が手術が必要で、手術後もかえって悪化したり、リハビリにも苦戦した1年でした。
1年もかかりました。

おかげさまで、今は有楽町から銀座のアップルストアまで歩いて行ったり、Macに6時間向かってコードを書いてみたりなど、出来ることもだいぶ増えて、いまや何事もなかったかのように回復してきたのは本当に幸せなことです。

しかし、苦しむ期間が相当長かったし、その苦しみ方も尋常ではありません。
「死ぬかと思った」とよく言われるセリフですが、本当にその名の通り、体中から血の気が引くような感じを4回も経験したり、何度も救急車に運ばれたり、普段の近所の道ですら歩けなくなったり、もう思い出せば思い出すほど、想像以上にギリギリのところにいたのを思い出します。

そんな時に、若い頃のように「将来は○○になって、こういう生活を目指したいなぁ」という上向きな人生を思い描くことはできません。
その表現の通り「お先真っ暗」なのです。明日はどうなっているかわからない、今日より明日は悪化しているかもしれないし、死んでいるかも知れない。そんな日々の繰り返しでした。

なぜ、これまでの人生でもうちょっとまじめに生きていけなかったのだろうか、あの時転職したのは正解だったのか、あのときもっと勇気を振り絞ってチャレンジしていたら良かったのだろうか、そして、趣味も勉強も続けていれば今頃もっと別の人生を歩んでいたのであろうか、と後悔に苛まされることばかり。

次第に精神的にも滅入ってきます。
そんなときに救ってくれたのは、YouTubeに映るコントです。
コントとしておもしろいのは当然ですが、何よりもネガティブな思考になりかけていたところに“笑い”をもって、支えてくれたのは事実です。
これがなかったら、どんどんネガティブスパイラルにとらわれていくところでした。

そしてもう一つ考えさせられたことが家族です。
家族がいたからこそ、支えられた。なんとか乗り切れた、と思います。

具合が悪くて寝込んでいても、家事や子どもの面倒すべて引き受けてくれました。これには感謝しかありません。
一方、元気になったときに僕には何ができるのだろうか、と疑問に思うのです。

現にこれまで、だいたい深夜帰宅するという日常でした。もしかしたら、これからも仕事で忙しくなってそうなる可能性は否定できません。
しかし、少しでも子どものお風呂を手伝ったり、買い物に行ったり、何かで貢献できるものはあるはずです。
そして何よりも大切なのが家計を支えることです。

そう考えたときに、きちんと収入を作る、というシンプルな原理原則に則れば、自ずとやることはきちんと働くことです。
きちんと働くためには以前のように身体も心も頭脳も動ける状態に戻さなければなりません。

そこでリハビリです。
思ったように回復しない体力がとても大きな障壁でした。
手術をすることによって、まさか体質がここまで変わるとは思ってもいなかったし、さらには、苦しんでいた期間の分、きちんと体力も集中力も落ちていました。

そして「もう大丈夫だ」と思えるタイミングが何度かやってきますが、まったく「もう大丈夫」ではない、事実に直面させられます。
予想以上に出来ないことが増えていたり、やることが無くてスマホばかり見ていたいせいか視力が落ちたり、同時にやってくる「老い」という逆らえない抵抗勢力に打ち負かされそうになったりするのです。

それでも諦めずに、前を向こう。ひとつずつクリアしよう。でもやりすぎないで、悪い癖は「やり過ぎることだから」と言い聞かせながら、少しきつめのやり過ぎ気味のペースでリハビリを繰り返しました。

おかげさまで、もうある程度は大丈夫、というところまで来たし、アルバイト的にお仕事も始めています。

残り少ない人生、といままで真剣に考えたことが無かったけど、残り少ない人生ではなくて、あっという間に終わってしまう人生なんです。

だから今やれるうちにやりたいことを思う存分やって、良い人生だったと言えるようにしたいと考え、今日も手を動かしていきます。

読んでくださり、ありがとうございます。