大手電機メーカーでの4年間 中

私の最初のキャリアは日本電気(NEC)という大手電機メーカーでスタートしました。最終的には4年弱で退職したのですが、当時を思い出しながら3回に分けて書きたいと思います。

日本電気では半導体のプロセス開発や生産技術のエンジニアとして就職しました。なぜこの選択をしたのか、なぜ退職しようと思ったのかについてお話したいと思います。


4.半導体産業の凋落

 当時経産省を中心にSeleteだとかASPLAだとかいろいろ活動していましたが、その内情は悲惨なものでした。
 決してトップクラスとは言えない人材を出向させて国内ライバル企業の動きを探っているだけのつまらない活動だったといまだに思っています。
 ALPLAに至っては相模原のUC棟に300mmラインを構えていましたが、全く成果が見えませんでした
 当時はまだsamsungがようやくDRAMで追いつきつつありプロセス技術で5年遅れ、TSMCやUMCはプロセス技術で10年遅れていると先輩方は言っていました。
 決して当時の日本の半導体メーカーのエンジニアの能力が劣っていた訳ではないと思っています。当時言われていたのは投資に対する考え方。総合電機メーカーとして半導体にどこまで注力するかが問われていたのだと思います。
 私が入社して3年目には残業規制や次期プロセスは開発凍結など様々なことが起こりました。その中でSONYや東芝など、まさかこんな人が!?というような優秀な方から転職していきました。
 やはりプロセスエンジニアとして、次の開発や立ち上げがないということは、やりがいがないことだと感じました。その中で私もこのままNECエレクトロニクスに居てもプロセスエンジニアや半導体の生産技術エンジニアとしての成長や楽しみがなくなるのだろうなと感じてきました。

5.転職活動の開始

 当時私はプロセス技術事業部で生産技術のエンジニアとして働いていました。自分で言うのもアレですが、毎年出張立ち上げをして短期で立ち上げ完了するなど、非常に優秀だったと思っています。
 3年目で会社が残業規制や開発の65nmや45nmプロセスの開発凍結と言う話、さらにTSMCの話や東芝のメモリ事業の話に加えてSONYなどに転職した人の話を聞いて、とてもこの会社にいても成長がないと感じました。
 当時はリクナビNEXTというサイトをつかって転職活動を開始しました。
 その中でも熱いオファーを頂いたのはブリヂストンでした。転勤はあるものの、私の生産技術エンジニアとしての能力を買って頂いたのだと感じていました。ただ、当時の私にとって転勤先が福岡や東南アジアといった点が非常に難しいと感じていました。結局このオファーは私からお断りさせて頂き、NECファブサーブという新たな組織への出向のスタートとなりました。
 理念としてはNECファブサーブという会社でNECエレクトロニクスの相模原試作ラインで他社の少量試作を受けるというTSMCのコピーのような体制ですが、読者の方には何となくご理解頂けると思いますが、決して現場レベルまで落ちた活動ではありません。中身はNEC、掲げる旗はTSMC、こんなのがうまくいくわけがありません。結局NECファブサーブってなんだったんだろう?レベルで最終的には解体されていきます。。。。
 一度は転職活動をしてブリヂストンを断った身ですが、さすがにこの会社はヤバイと感じて2度目の転職活動を開始しました。
 この活動で私の2社目の会社が決まっていきます。


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AIやITの時代ですがモノづくりにこだわるビジネスマン 今までの経験や失敗を共有し、これからの未来を皆さんと考えていけたらと思います。 大手電機4年⇒大手自動車12年⇒外資系自動車部品1年 ベンチャーという名の中小企業2年 現在は宇宙系スタートアップ