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ひとは死んだらどこにいくのか

ひとは死んだらどうなるの?

命は絶えても、たましい、こころは、なくなりません。これは証明はできませんが、私は「エネルギー保存の法則」だと思っています。こころというのは、いまだに「どこにある」のか分かっていません。そして様々な表現をされます。気持ち、というのは、こころのことです。そして、「気」をつかった表現は、ほんとうにたくさんある。気力とか、元気とか・・・気に似たような言葉には「精」もありますね。精神、精力、精気・・・。それは、みなさんもご存じのように、ひとのエネルギーをさします。

見えないエネルギーってある?

言葉は必要だから生まれるもの。見えないモノを「言う」ためにすでにそういう名前がついているのだから、(しかも無数に)見えないエネルギーは「ある」と言えます。それは、死んでもなくならないんですよね・・・。エネルギー保存の法則です。こころというより、「思い」って言うとわかりやすいです。思いって、残る。それはエネルギーだからです。思い残すことはないって死ねたら最高。ほんとそう思います。

死んだら、どうなりますか?

死というのは肉体が死ぬことです。でも、「思いエネルギー(わかりやすいのでそう言います」は、死にません。ずっと残ってます。それを神仏では「御霊」とか「たましい」なんて言います。英語で言うとスピリチュアル。その思いエネルギーは、死んだ肉体にはもういられませんから、死んだら「からだから」離れます。それが幽霊、などといわれるものです。

どんな形をしていますか?

かたちはありません。エネルギーなので。でも、死んで間もない人って、まだその「思いエネルギー」が、死ぬ前までにつかっていた「肉体」をよ〜く覚えています。そりゃそうですよね。長年一緒にいたんですから。だから、思い残したことが「たくさん」のひとは、つぎの旅にでられず。ずっと、とどまっている。それが、まさに幽霊です。それはこの本にくわしくかいてあります。著者ではありませんw

死んでまもない人は「思いエネルギー」は人のカタチですが、「ちゃんと死ねたひと」はそのうちかたちを変えて、ただの「思いエネルギー」になるようです。でも、ちゃんと人間時代にやっていた修行の記憶はあります。その「思いエネルギー」は仏法にあるように、つぎの旅にでるようです。すぐに人間にはなれません。(と学びました)その旅がどんなものなのかは明確にはわかりません。死んだことないのでw

幽霊って、こわいものですか?

死んだ後にのこされた「思いエネルギー」は、まさに幽霊だと書きましたが、幽霊はじつは怖いものではありません。たまに見えることがあるひといますが、向こうからはこっちが「みえない」から安心です。だって肉体がないのでw。
でも、すでに幽霊って状態で「いまもある、いる」わけなので「思いエネルギー」は強いです。だから「いま」にとどまれている。とどまるしかなくなっちゃっている。何百年も前の落ち武者の霊とか、ヤバイよね。どんだけ死にきれなかったんだよ。って思います。かわいそう。
それらは人間をしていたときに「思い残し」があるわけなので、悪さをすることはあります。いろんな霊障とか。それはとても強い「エネルギー」ですので、それができます。やっぱ怖いですね幽霊w

地獄や極楽はありますか?

残念ですが、あります。人間に生まれてくるのは、上の本によると、たましいの研鑽に手っ取り早いからだそうですが。たましいの研鑽は、上手くいく場合とそうじゃない場合があります。修行なので、そういうことになる。
わたしが分かっている範囲でお伝えすると。地獄や極楽にいけるかどうか、は、「こころのありよう」できまります

こころのありようってなんですか?

楽しい楽しいと生きてきた人は、こころからありがとう!楽しかった!って死にます。往生際よく。で、人間道がおわってときどき天道に行くひともいるそうです。つまりその逆もしかり、なのです。畜生!畜生!って生きてきた人は、畜生道に墜ちます。たとえばこんな感じ。その行き先は、六つあります。

六道(ろくどう、りくどう、梵: ṣaḍ-gati[1])とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。

六道には下記の6つがある[2]。

天道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう、阿修羅道とも)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)

こころのありようといったのは、そのひとが「どんな生き方をしてきたか」ということです。人間は欲がないと生きていけませんから、こころがきれいな生き方なんて、なかなかできない。だから、人を助ける、だれかの役に立つ。それのくり返しです。それを「徳を積む」っていいます。現世はRPG的な、たましいの、修行ですよね。
よっぽど、おてんとうさまに顔向けできない生き方をしていなければ「人間道」です。ほとんどのひとは同じ人間道で、つぎの命をもらうのを待つらしいです。カタチのない状態はながくつづくらしいです。カタチのない状態での仕事もありそれらは、子孫の守護とかだったりするそうですよ。
そうだ、お墓参りにいこうw

長文、読んでくださってアリガト!


わかっちゃった、ことを、伝わるように一生懸命書こうと思います。難しいことはわかりやすく、わかりやすいことは興味深く、伝えたいです。みんなをよくしたいというピュアな思いで書いています。みんなが活き活きしてくるのを見ると、うれしくて。