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人が写真を撮る理由

はじめまして、いま写真が楽しい 和伯|Wahaku です。

最初の投稿でわたしが写真に執心するに至った経緯について少し触れておきます。

「ワーク・ライフ・バランス」という言葉がありますが、ここ数年は仕事を除くと外出の機会もすっかりと減っていました。オリンピックでも注目されているボルダリングにハマった時期もありましたが、コロナ禍と腰痛で長い間シューズも押し入れに放り込んだままになっています。余談ですが、クライミングは良いのもです。腕力だけでなく、身体の使い方やムーブの組み合わせも考えるので頭の体操にもなります。

話がズレてしまいました。
昔から何かを表現したい欲求はどこかあったのでしょうが、如何せん何をやっても続かない性分なので、音楽も続かないし(リズム感ゼロなのに何故やってみようと思ったのか自分でも謎)。父親からの遺伝はどこかに置いてきたのか絵画もダメ。で創作活動というものとは無縁の生活を続けておりました。

そんな生活の中で実質は家と職場の往復。気持ちの切り替えが出来ていないことを自覚していました。仕事でも責任が増したり、公私とも同じようなテーマで人文系の読み書きをしていると、どうも頭が重くて動かなくなるるのです。

「精神保健福祉士や公認心理師とか名乗って、人の話を聴いて助言とか言っている場合ではないな。まず今は自分のケアが必要だわ」

自分の課題が見えていない、向き合えない者が「支援」のつもりで他者に関わる危険性とか偉そうなこと言ってたな。あぁ。

ということで何か言語を介さず、もっと五感を使って過ごす時間を持てないものかと考えていました。ルーティーン化している日常の中で、眠っている感覚をもっと刺激したり、心動かされる経験を欲求していたのかもしれません。

そんな折に思いついたのが”写真”だったのです。

まぁ写真撮影といっても場所が室内だったり屋外だったり、被写体も物撮りだったり、人物だったり、絶景を収めたり色々とあります。

わたしはおもに「スナップショット」で町の風景を撮っています。カメラが好きな方の中には、綿密に計画を立てた”画作り”をしてすばらしい写真を撮られる方が沢山いらっしゃいますが、わたしの根気では難しそうです。

歩くというのは健康に良いのでしょうが、あてどなく散歩するというのも長くは続きません。その点カメラをひとつ持って歩くと目的が生まれます。
所謂「お散歩カメラ」ですね。
「撮影を意識すると風景の見え方が変わる。見慣れた町でも毎回発見がある。少し足をのばしてみようと思える。」そんな効果があります。
わたしは行動半径を徒歩よりもう少し広げるために、通勤用のミニベロで「スナップ&ポタリング」が週末の習慣になりました。

ポタリング用のミニベロ

わたしが写真を始めたきっかけは「心のメンテナンス」のためでした。そして、その時そこにいた自分には見えた、聴こえた、嗅いだ、味、手触り、空気、映せない何かも残しておきたい。そんなふうに感じるようになりました。

このページを訪れてくださったということは、写真に特別な思い入れのある方が多いのかもしれません。わたしも色々なnoteを訪れて、みなさんが写真を撮る目的にも触れてみたいと思います。

追伸
わたしは気が多く一度始めると色々と興味が出てきます。星景写真も撮ってみたいと考え、超広角レンズを探したり、手ごろな三脚を見つけようとしたり、撮影方法を調べたりしています。一方、完全に主題にした人物撮影にも憧れたりしています。(試しに娘を撮った時は「人は撮らない方が良いよ」と諭されてしまいましたが)めげずに自分の写真の世界を広げていきたいと思っています。そのうち投稿するかもしれません。




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