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妊娠と逃亡

私とKは中華料理屋を辞めKの実家で暮らし始めた。

私はKのお母さんが勤めていた介護施設でヘルパーとして働き、Kは特別何かをするわけでもなく、仕事を探しているという「体」でフラフラとしていた。

そして18歳の夏になる前、私は妊娠した。

Kは頑張って働くから産んでほしい、家族が欲しいのだといった。
Kもまた機能不全家族で育ったACだった。
お母さんはKの理解者ではあったけど、不倫を繰り返し家にいることは少なかった。

そんなある日、Kについてきて欲しいといわれ、ちょっとした客間に通された。
そこには長い机が真ん中にずらっと並んで、その両側にたくさんの人が座っていた。
TVで見たことのあるその風景。
ヤクザが盃を交わす儀式。
まさにそれだった。
Kは突然「先輩」になった人物を信じ、良くしてもらえるからと盃を交わしたのだ。

間違いだったとKが気づくのにそう時間はかからなかった。
その先輩という人物が、監禁、強制わいせつ容疑で警察に追われているという話が入ってきた。
またその人物は、KとKの友人Mに「お前たちも追われている」と嘘をついた。

ある日、出かけていたKから「これから市街地に向かって逃げるから、お前は誰にも言わず車に乗って××で合流する」と電話があった。

その後、K、M、Mの彼女と私、そして謎の先輩の5人が2台の車に乗り、遠く離れた市街地まで行き、用意してあったワンルームマンションに着いた。

その日から、そのワンルームで5人での生活が始まった。

私は妊娠初期、悪阻も始まった頃だった。
不安と恐怖の毎日。
どこからかKの両親が捜索願いを出したという話が届き、私たちは未成年のため、万が一見つかるとまずいからと、先輩という人物から極力外出しないよう半ば脅される。

体調がすぐれないだけでなく、まともに食べるものも食べれない、眠れる場所もない、常に緊張感の中にいて、周りは苛立っていた。

そんなとき、先輩という人物が車の免許証を持っていないことを知り、それなのに私の車を運転していたことも発覚し、Kにやめてもらうよう訴えた。
このとき初めてKに蹴飛ばされる。
私は恐怖を感じ、ここから逆らうことも意見することも出来なくなった。

未来が見えなかった。

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