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どこまでも淡く:そこのみにて光輝く(2014)

登場人物たちの救いようのなさを、ピアノの寂しげで美しい旋律が際立たせる。過去の傷から立ち直りつつある主人公・達夫の足元に、拓児と千夏がうずくまっている。
しかし皆、ただ愛する人を守りたい、守る権利を持ちたいとあがいた結果なのが、作品の持つやるせなさと観た人に愛おしさを抱かせる源泉となる。

※以降、本編のネタバレを含みます

魅力的な彼ら

訥々とした話し方の暗い男、達夫。
明るく、頭が悪く、しかし田舎の日雇いの若者らしく独特の従順さを持つ、拓児。
貧困にあえぐ家庭を支えるために仕事を掛け持ち、身体すら売り、弟のために不倫する女、千夏。

彼らの心情変化は素直で、その表現もストレートだ。相手によって変わる千夏の表情やところどころに入る伏線となるようなモチーフはあまりにもわかりやすい。あくまで「示唆」にとどめるほうが作品には深みが出そうだが、彼らのストレートさに沿っていると考えると、わかりやすすぎるくらいの表現も意味を持ってくる。

映画と現実の狭間で

私は、作品がただのハッピーエンドとして片付けられないことに好感を抱いた。
映画らしく夢いっぱいには終わらない。
これまで浸ってきた貧困や犯罪や倫理に反する状況から綺麗に抜け出すことはできないと、物語は現実味を残した含蓄のある終わらせ方をした。

しかし、どちらともとれない終わり方ではあっても、我々がこの作品を見終わって抱くのは「彼らが愛おしい、幸せになってほしい」という思いではないだろうか。そう思わせられることが、この作品の大きな特長である。
映画は、淡い光と音楽が、彼らと我々を優しく包んで終幕した。

2014年6月 執筆


再掲に寄せて

この作品からは、どことなく是枝裕和監督の「誰も知らない」(2004)に似た印象を受けた。光だ。

両作品とも犯罪行為が描かれることや全体を通した陰鬱さを持つが、どちらも光の使い方が特徴的だ。太陽光(やそれに模した照明)は、何とも切なく淡い。光の持つ力をできるだけささやかに、そして最大限に活かし、「画」としての完成度を高める。

この映画は、誰に薦めればいいだろう。
田舎の郷愁を知る人、陽光の移り変わりを日々に感じていた人には、共感性が高いかもしれない。



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