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ブルームーンの矢印:ブルージャスミン(2014)

映画「ブルージャスミン」

※映画のネタバレがあります。ご注意ください。

ジャスミンが口ずさむ「ブルームーン」は、1934年に生まれたジャズのスタンダードナンバーである。
映画中ではピアノのみでの演奏だが、原曲には歌詞がついている。
「Blue Moon, you saw me standing alone(ブルームーン、私がひとりで佇んでいるところを見たでしょう?)」から始まり、その"me" に突如愛する人が現れて幸せな私へと変わっていく様子が描かれる、輝かしい曲だ。

「勝ち組」と「負け犬」

若くしてセレブの世界に入ることが叶い、華やかな生活を送っていたジャスミンにとっては自身を歌っているかのようで気分がいい曲だったはずだ。
しかし、そのセレブな生活は一転、すべてを失いながらも、過去の栄華の記憶だけを捨てられずにいる「憂鬱なジャスミン」へと変貌する。質素で「負け犬」の生活をする妹の世話になりながら、セレブに返り咲くことだけを夢見て、新たに恋人となる男に自身の過去を隠す。

悲劇か、喜劇か

この映画は、夫に浮気をされた挙句離婚をほのめかされた彼女の不憫さに心を痛めるにも、地に落ちてからもプライドが高いままで、嘘を吐き続けてしまう彼女の愚かさをただ笑って観るにも、自由である。
あからさまにどちらかの要素にフォーカスするでもなく話が進み、映画が示していきたい方向性を前面に押し出すことは無い。

しかしながら、「ブルームーン」の歌詞に考えが及んでしまうと、映画が示したい方向への矢印は滲むように眼前に浮かんでくる。彼女がこの曲を口ずさもうとするたびに、我々にはその歌詞と彼女との対比が痛々しく突き刺さるようになる。

Blue Moon
Now I'm no longer alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own

Blue Moon, 1934, Music by Richard Charles Rodgers, Lyrics by Lorenz Har

ブルームーン
もはや心に夢も無く
恋人も無いなんていう
私とはもうさよなら
意訳:獅子谷

彼女は最後、このブルームーンの歌詞を思い出すことができない。
「前は思い出せたのに……」
しかし、再起に失敗し、頼るところもなくし、見栄だけをはってきてしまった彼女は、もうこの歌詞を思い出せない方がいいのだ。

2014年5月 執筆


再掲に寄せて

三十路を迎えた今改めてこのコラムを前にすると随分と印象が違う。
「年をとってから観ると印象が変わる作品」があるが、私には過去の自分が書いたコラムだけで十分だ。もう一度映画を観る気にもなれない。

大学卒業後に病気を患い、えらく大仰な診断が下された。病気を抱えた状態での再起にも失敗した。
特にセレブだったわけではないが、大学の友人たちからすれば「負け犬」もいいところだ。

このことを誰かが笑っても構わない。
彼女や私を笑っている人の後ろにはいつでも落ちうる崖が待っている、と下界から必死に脅している私を滑稽だと、虚言で塗り固めたジャスミンと大差ない、と笑ってもらえるくらいが、ちょうどいいかもしれない。


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