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2軸で考えるシンプルさと危うさ

モノゴトの複雑性(VUCAでいうところのC、Complexity)を紐解こうとして、もしくは、削ぎ落として、2軸で考えることをよくします。

僕らは3次元空間に居て、2次元つまり平面、要するに紙📄は使い勝手が良いから、この2軸、2次元はとても扱いやすいのです。

高次元から、低次元へ。

理解しやすいツール🔧のひとつ。

(x, y)みたいな感じで、x軸、y軸にプロットされることが多いので、中学生あたりの頃、誰もが見たことがあるでは?

算数、数学みたいな問いや、元々2値しかない情報なら、問題はないでしょう。

問題は、シンプルにする過程で、2値の話にもってく過程で、元は一緒に付いていた情報を棄てていることです。
その棄て方が、棄てることをおこなった人の考えが結果に影響を与えているということが問題です。

棄てる行為は別に悪いことではないです。

ある結果をもたらしたくて、情報を棄てることをおこなう。
その結果は、果たして何なんでしょうか?

(残念ながら?)
高次元からはできてしまうわけです。

意図的な低次元化。
モノゴトの意図的な置き換え。

それでいて、よく解った答えに。
より解りやすい説明に変身してしまった。

本当に、それでいいのでしょうか?

大事なものを棄てている。
大事なことが有ったことすら、もう知らない。

それが、意図的に密かになされているとしたら?

気づかないほうが良いのでしょうか?

気づけないほうがバカなのでしょうか?

なので、
僕は虹🌈が好きです。





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