アウトプットはナマモノである
このごろよく思うんです。
表現することにはタイミングというものがあって、それを逃してしまったら表現しようとしていたそのものは、鮮度を失って、意味をなさなくなってしまう。
たまにしか会うことのできない人がいて、次会った時はこの話をしよう、あのことについて聞いてみよう、っていろいろ頭の中で思いついて、でも会ってもその話ができずに、次会うときではもう遅すぎてしまう、とか、
そもそも会うまでの間に自分の中にあった”話”も形が変わってしまったりとか、
自分の中では印象に残っているものごとなのに、それを言葉にしてみると大したことないように見えてしまうこととか、
自分が感じた「!!」をそのままの状態で伝えられないことが多いなと思うんです。
インターンを始めてから、毎日たくさんの学びや気づきがあって、それをちゃんと言葉にしたい!と思ってこのnoteもはじめたけど、まだ書けていないこともいくつもあります。だけどそれらももう鮮度を失って、うまく伝えられない気がしてしまいます。
一つ前の記事に書いたライブで、湯木さんは、メジャーデビュー2周年のその日に、その会社をやめて、自分で作った新レーベルへの移籍を発表しました。
自分が作った作品を、伝えたいときに伝えられない、それがすごく悔しくて、辛かった、とおっしゃっていました。
私は初めそれを聞いた時は、「それでも出せる時まで待って、出したらいいのではないか」と思いました。
だけど、そうじゃなくて、伝えたいときに伝えるってことが大事なのだと気づきました。音楽は、作って終わりではなくて、それを表現する必要があります。そのときにしか歌えないうたもあるのだろうと思いました。
時間が経つと感情が薄れてしまったり、形が変わってしまったりするから、うまく伝えることができなくなってしまうんですよねきっと。
しかし、おもしろいことに、外山滋比古さんの「思考の整理学」ではこんなことが書かれているのです。
何か考えが浮んだら、これを寝させておかなくてはならない。
アイデアはすぐに腐ってしまうものもあれば、時が経つにつれてだんだんおもしろくなるものもある。
何が何だかわからなくなってきますが、私がいまストックしている(寝かせている)言葉たちもいい味を出してくれるのかもしれません。表現することを諦めないでいたいなと思います。
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