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2020.3.28 娘と話す

昨日、昼寝した私たちは夜遅くになんとなく空腹感。
「なんか作っちゃおうか」
とホットプレートを出してホットケーキ?クレープ?もどきを焼き始めた。

私が焼いていると、娘も、
「焼きたーい」
と交代、いろいろ試しながら焼いては食べ、焼いては食べ…楽しかった。

ひと段落ついたところで、娘が話し出す。
「少し障害がある人のこと、軽く話題にするのって私には出来ない。『ボケちゃってるんじゃ無いの?』とかの話についていけないし笑えない」

「友達と話してると、ボケを笑うみたいなノリの時があって…身近にお年寄りがいないとか経験が無いから、悪気は無いんだってわかるから、完全に否定することなんてできない。でもそのうち私の気持ちを言いたい」
と。


その後、話し合ううちに、別居中の時の娘の気持ちも吐露してくれた。
「うちはなんで周りと同じように家族みんなで暮らせないんだろう?なんでリコンしていないのにおかあさんと私だけがこの家(私の実家)にいるんだろう?いつ戻れるのだろう?」
という思いがめぐり、こんな状況にしたのは父親のせいだ、とすることで気持ちのやり場をおさめていたそうだ。母親である私にもそんな気持ちがあったとは思うが、一緒にいたからきっと憎みきれなかったのだろう。

私は子どもであろうがきちんと話をするべきだと思い“父と母の問題で離れて暮らすことになった、あなたのせいではない、大人の問題に巻き込んでごめんね”等と話したはずなのだが、まだ小学生の娘には気持ちの上での理解は難しかったのだな、もっともっと繊細な対応が必要だったんだ、と遅すぎるがやっと気づいた。

子どもにとって家族の形が周りと違うのがどんなに理不尽か、私は知っているつもりだった。学校でも学んだし、本も読んだし、職業柄仕事上でいろんな保護者と子の関係を見てわかっているつもりだった。
でも実際、自分の子には充分な対応ができていなかったんだ…浅はかな自分に愕然。
学校生活のつらさも、同級生とうまくいかなかったことも、体調の不調も…


そういう娘の気持ちを今やっと話し始めてくれたことをありがたく思う。
今までどんなに悲しさや怒りや苦しい気持ちをひとりで抱え込んでいたのかと思うと涙が出るし、申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、話してくれることを受け止めていきたい。

半世紀も生きているのにまだまだ未熟者だということを、娘は気づかせてくれる。
これからはもっとマシな人間になりたい、と思う。