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【2021年7月】僕は何者だ?



7、8月にちょっとずつ遊ぶ予定が入ってて嬉しい今日この頃。


7月!なんか暑ないですか!?

この蒸し暑さに耐えかねて、ついにクーラーを起動させてしまいました。
(電気代上がるぜ。。)

今日は雨がめちゃくちゃに降ってて、兵庫のほうでは地下鉄の地下のほうにまで水が流れていってたようで「大変や。。」と思ってたのも束の間、すぐ止んだりと、天気がなんだか情緒不安定な一日でございます。


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今日は何を書こうかなあと思っていたところ、Twitterで(確か)友達がツイートしてたのを見て「確かになあ、、」とふと思ったのを思い出したので、それについてつらつらと語っていこうかなあと思います。


いきなりですが、、

あなたは何者ですか?



唐突に訳の分からない質問をしやがるとお思いかと思います。←

その見たツイートっていうのが、ざっくり言うと


「このまま何者にもなれず人生を終えていくのはイヤだなあ」

って感じの内容。


このツイート主がどういう気持ちで書いたのかは知らないが、個人的な解釈でもう少し自分なりに噛み砕くと、

「大した成果や結果、偉業を残さずに、何も成さずして人生を終えるのはイヤだなあ」

的なことやないかと。少しスケール大きくしすぎたか、、?笑


でも自分はこれみて「確かに、、嫌やな。。」って共感したのよ。


偉業とまでは言わないが、せっかくの人生、何か自分の納得いく結果や功績は残したいし、何か一つ大きなことを成し遂げたいと思う。


そう。
平凡な少年Aから、何者かになりたいのです。


漠然と。

ただ何をしたいとか、どうなりたいとかは無い。←

それは今、というより学生時代からずっと探し中。


今考えると、昔から興味のあるものは沢山あったんじゃないかと思う。

・エンターテインメント(歌、芝居、ミュージカル、人を楽しませること全般)
・子どもと関わる、遊ぶこと
・旅
・海外
・写真
・(卓球)


でも、それを仕事にする、または人生を捧げたいほど好きになる、のめり込めるような熱量は無かった。


人を楽しませるのが好きだから、エンターテイナーになりたいのか?
と、言われればそうではないし、

子どもが好きだから、先生や保育士になりたいのか?
と、言われればそうではないし、
(一度思ったが親の一言ですぐ消える程度)

写真好きだから、フォトグラファーになりたいのか?
と、言われればそうではない。



なんやおまえ!めんどくさ!

そう言いたくなりますね、分かります。←


こういうのは沢山の経験や体験を通じて見つかるものだと信じて、いっぱい興味あることに手を出してみようかなと思います。
またこれらが合わさったものが自分のよりやりたいこと、というふうに変わっていくのかもしれないと色んな人の話や本や記事を見ていて思う。


それを踏まえたうえで、まあ強いて言うならカメラを持って旅に出たいなあというのは、今ずっと漠然とあります。(カメラ×旅)このご時世と一人はちょっと嫌みたいなこだわりがあり非常にフットワークが重いです。←


また、自分意外とこう見えて現実思考なもので、将来など先のことをとても考えてしまうのも良くないのかもしれません。


やりたいことをやったうえで、その先があるのか。
老後2000万と言われている中で、蓄えや先の見通しがないと
将来生き詰まるのではないか。等々。


やりたいことが出来る世の中にはなってきたものの、
やりたいことで生きていくというのが、どれ程難しいか。

現実の理想の狭間で揺れ動いております。ぐぬぬ。。



まあ正直なところ、やりたいことにチャレンジしていっても何だかんだ何とかなるだろうとは思います。笑


きっと周囲の視線や俯瞰的に自分を見た時に、自分に重りをつけてしまうのでしょう。


、、、と。
さっきからダラダラと言い訳のような言葉を並べている自分に嫌気がさしてきたのでまとめます。笑



何者かになりたい。

でも何になりたいのか、何をしたいのかは分からない。

しかしもしかしたら本当は分かっているのかも、自分の心に深く問いただしてみよう。

もう少し活動的に沢山動いていかないとなあと、思います。

最近落ち気味、行動力。

わくわくセンサー!!!もっと張り巡らしてこ!!!


*    *   *    *    *    *    *


そしてこの話題に関してひとつとある有名人の話を思い出して、ふと思ったことがあるので語りたい。


あのしょこたんこと中川翔子さんが、昔テレビが何かで、TV出演や本の出版、曲を出したり声優したり色んな分野で活動していることに対してインタビューされてて、それに対する回答が

「いつか人は死ぬけど、死んだら自分自身は何も残らないし、時が経てば忘れられてしまい存在が消えてしまう」「だからこそ死ぬまでに自分は生きた証をこういう形や記録にして、死んでも自分という存在があったことの存在証明として沢山残していきたい」

みたいなことを言ってたのを覚えてる。(かなりざっくり)

これ本当に中学生とか高校くらいだったはずだけど結構鮮明に覚えてるから、その当時から結構感じるものがあったんだろうなあ。


自分も確かにそれに近い価値観ではあるし、人の目は気になるが自己顕示欲も高いと思うから、自分という存在を残したいという気持ちはあるのかもしれない。

だからこそ写真や絵はわりと前から好きだし、エンターテインメントに興じてそれが動画や写真残るのはとても嬉しい。また楽しませたり、喜んでもらうことで、自分という存在が相手の心に残る(良い形で)。これがきっとたまらなく良いんだろう。


またもうひとつは、いつだって【 自信を持って誇れる自分でありたい 】ということ。


自分にそこまで(本当に)自信が無いので、やはり褒められたいし、讃えられたいし、誰かに認められたいし、かっこいいすごいって言われたい。←


昔に比べれば色々と頑張った気ではいるけどまだまだ未熟な所や誇れるような人間ではない。。。


だから何かを成すことで、自分という存在に価値を常に与え続けたいなあと思うのです、、!


そして最後に、何者かになりたい理由として。


自分の名前って生まれた瞬間から死ぬまで変わらない唯一のアイデンティティだと思うんですよ。


やはりその唯一自分を表す存在証明を、平凡なままで、ましてや少年Aと名も無き存在となるのはちょっと悲しい気もするし、このアイデンティティを与えてくれた親に恥ずかしくないくらいには、しっかりを価値を付けていきたいなあって思う訳ですよ。


話は少し逸れるけど、自分は元々名前で呼ばれるのが小学校くらいから好きでした。何なら憧れ。←(仲良い友達感あるし、心の距離も近い感じと認め合ってる感じがあってとても好きだった)

でも名前で呼ばれることは小中高大と全くなく、安定して呼ばれ出したのが社会人になってから。(弊社は社員同士みんなファーストネームで呼ぶルールがあります。最高!)
ずっと呼んでほしかったけど、名前で呼ぶって何故かハードル高いイメージあったりとか、何か仲良い人限定みたいなイメージあって、呼んでって自分から言うことにずうずうしさや馴れ馴れしさを相手に感じさせてしまうのではないかと思って言えず、社会人間際になってようやく呼んでほしいと少しずつ声をあげれるようになりました。笑

だからこそリスペクトと親しみを込めて相手のことも名前で呼びたいなあと思っていますが、実際あだ名で呼んでほしい人や、名前呼びは馴れ馴れしさを感じてしまう人も結構いるので良さげな人や許可降りた人のみ呼んでます←


まあ何と言うか、平凡な名前ではありますが、自分の名前割と親しみがあって好きなんです。笑



そして、ここまで来てこれを言うのは本当に何ですが、


この世に生を受けて、名を授かった時点で、
もう誰でもない、自分という何者かになっている。


と、書き進めてきて今思いました。←




でもまあ。

そんな自分を産んで名前をつけてくれた両親とその親族に恥じない程度には、この名と存在を誇れる自分でありたいと思う。


何者かになりたいというのは人からの称賛や承認欲求を満たしたいが故の肩書きが欲しいというふうに自分の中で思考が寄ってきているが(別にそれは全然良いし自分もほしい←)
真のゴールはやはり誇れる自分であり続けるということなのかもしれない。


だからこそ、そんな誇れる自分であるために、
何かを成し、生きた証を残し、人の心に残る人であり、
その人生をより自分らしく生きていきたいな思う所存であります!!





※深そうで深くない臭いことを最後に言い放ちましたが、
まだまだ20代前半の小坊主なので多めに見てくださいお願いします。←





今年も折り返し!まだまだこれからだ〜〜!!!!🗓




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今日もぶっつけ本番で考えながら書いてるから、内容や言ってることが変わりまくって相変わらずの支離滅裂さだけど気にしない。これがフリースタイル、即興だからと言っとこう。

さ〜〜〜7月!そろそろ遊びのエンジンかけてくで!!









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