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1年間で言語をマスター!単身中国で過ごした強烈な環境が養ったサバイバル本能(前編)

目次
■今、改めて中国語の必要性を感じる
■使わざるを得ない環境に飛び込め
■中国の学校生活は想像以上に厳しいスタートだった
■2種の神器「新華字典」と「テレビ番組」
■正にビリギャル!最下位からクラスTOPへ!


■今、改めて中国語の必要性を感じる

私は日本語と中国語のバイリンガルです。
中国語はビジネスレベルでして、
中国や台湾のクライアントを相手に新規開拓の営業や交渉といったtoBビジネスや、
日本のデジタルコンテンツを中国ユーザー向けにローカライズをするtoCビジネスのプランナーを担当した実務経験があります。

生まれ育ちは東京。
両親は中国人で、学生時代に中国の農村部から大学を経て日本へ留学。数年後私が生まれたわけですが、
幼少期までは両親以外に中国語を話す環境ではなく、【你好】【谢谢】【吃饭】【喝水】くらいの、本当にめちゃくちゃ簡単な挨拶や日常の単語以外はほぼ話せない、という状況でした。

学生時代の同級生にいた在日中国人にも、両親の会話を聞いていてなんとなく簡単な中国語を聞き取ることはできましたが、読み書きはおろか、話すことすらほとんどできない人ばかりでした。他にもこういった日本語しか話せない在日中国人の方は意外と多いのではないでしょうか。

中国経済は著しく発展し、ごく一部の富裕層に至っては年収3000万円近く、沿岸部で急成長しているIT企業では平均年収1000万円を超える会社も珍しくありません。

https://heikinnenshu.jp/country/china.html
※参考:中国の平均年収・給料を富裕層・中間層・農村別で解説|「平均年収.jp」

昨年末から巷を賑わせている華為(ファーウェイ)も新卒の月収が40万円ということで話題になりました。
https://news.careerconnection.jp/?p=37532
※参考:ファーウェイの初任給月40万円が話題 「普通に就職したい」「優秀な人は流れていっちゃう」

また訪日中国人も年々増えており、2018年は838万人、前年比14%も伸びています。
https://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/since2003_tourists.pdf
※参考:日本政府観光局 月別・年別統計データ(訪日外国人・出国日本人)
有名な観光地には常に中国人がいますし、飲食店で働く中国人スタッフは体感としても多いです。私の従弟も日本のアニメや漫画が大好きで、日本の芸大で勉強したいために来日し、日本語学校へ留学しに来ており、居酒屋でアルバイトをしています。

今後日本の人口が減少し、移民の受け入れなども始まってくると、ますます英語や中国語をはじめ、外国語を話し、海外と往来する機会も増えると思います。

「今後中国や中華圏で仕事をしたい」
「中国や台湾、香港観光がしたい」
「来日中国人とコミュニケーションをとるため」
中国語をマスターされたい方に自身の体験談をお伝えできればと考えています。言語を習得するために必要な考え方にも触れられたらと思います。


■使わざるを得ない環境に飛び込め

結論から言うと

”習うより慣れろ”

の一言に尽きると思います。

その言語を使わざるを得ない環境に身を置く、

ということです。

9歳のある日、唐突に両親から、
「来月から1年間、中国のお爺ちゃんお婆ちゃん家に預けるから」
と言われました。
元々どこかの中華街で買ったのか、家で中国の国語の教科書を読まされたりしていましたが、ちんぷんかんぷんでした。
ピンインもまとめに覚えていなかったと思います。
「いつかは中国に送り込んで、中国語を覚えさせ、言葉だけでなく文化とかも体感させよう」とちらほら耳にはしていたので、驚いた記憶は特にありませんでした。

ほどなくして、祖父母がいる中国南部の桂林という街に送られました。
風水画で有名な観光都市です。
実際に目にしても、雄大な自然が美しく、きれいな街でした。
高温多湿で四季があり、比較的過ごしやすい地域です。

※象鼻山(張り出した山の姿が、鼻を伸ばした巨象が漓江の水を飲んでいるような姿に見えることから)

ワクワクする気持ちも少しある反面、実際に日本を発ち、両親の元を離れたときにはやはり寂しい気持ちが勝っていました。

祖父母をはじめ、親戚のおじさんおばさんも、はじめまして状態でお互いのことはよく知りません。そもそも言葉を話すことすらままならないわけですから、受け答えや自分の思ったことを満足に伝えることができませんでした。
大人だけでなく、同じ世代の子どもたちとも最初はうまくしゃべることができません。

加えて、様々なギャップがあり、驚きの連続から中国での1年間が始まりました。
まず街の様子ですが、中国の田舎と東京の都会とでは生活が大違いでした。

・信号機がほとんどなく、車が行き交う中、歩行者は平然と横断している。
 (慣れない内は鼻の数センチ先を原付が通っていきビビりました)
・車の運転が荒い。バスは扉を閉めずに発車することも。
・クラクションが飛び交っていてうるさい。
・食べ物は基本的に辛い。どの料理も唐辛子で真っ赤。
・水道水は飲めない。必ず煮沸してから飲むべし。
・買い物は必ず値切る。祖母が値切りの達人で定価の2割まで交渉して買えることも。そもそも言い値テキトー過ぎない?
・方言が強い。標準語を話すとよそ者だと思われ、買い物とかでぼったくられる。
・下水道などインフラが整備されていない。大雨が降ると町中が水であふれる。
・馬車や牛車が目の前を横切ることもあり、臭いが強烈。(市の中心街はさすがに稀)

※桂林市街の中心地の様子。当時からこれくらい栄えていた印象。


※中国の市場。生鮮食品はたいてい市場で購入。
※臭い、汚い、(豚の生首とか置いてあって)きもい、と東京育ちの子ども心には3K揃って見えた。

※少し郊外に足を運べば、レンガがむき出しの吹き曝しの家々が並ぶ農村エリア

桂林市内で、編入できる小学校を探して回りました。
人気のある小学校ではたいていどこも編入試験があります。
・日本の小学校では習わなかった英語
・応用問題ばかりで記述を求められる算数
・そもそも解読不能な国語。もはや呪文にしか見えない。。

結果は英語と算数は30点。。

国語に至っては5点。。

むしろその5点どこで獲った?みたいな惨惨たる有様。。

しかも真剣に受けた結果がこれです。
元々日本の小学校では公文式をやっていたこともあってか、勉強は得意でした。たいてい満点でしたし、計算ドリルはクラスで一番に解き終わるような少年でした。
それが中国に来てから、人生でとったことがないような悲惨な点数に、衝撃を受けたのを覚えています笑


これじゃ中国に来たはええけど、学校に入れん!!

結局私の祖父母が教員をやっていた縁故もあり、地元の小中一貫校を紹介してもらいました。その学校の校長やら教頭やらは元々祖父母の教え子ということもあり、私は特別待遇でコネ入社ならぬコネ入学をしました笑
とはいっても普通の公立学校ですが。


■中国の学校生活は想像以上に厳しいスタートだった


中国は9月入学で、8月末までが1つの学年となります。当時私は日本で小学4年生でしたが、向こうでは5年生として編入することになりました。
小学校での生活でもかなり日本の学校とはギャップがあり、驚きの連続でした。

思い出せるギャップについて列挙してみます。

・1学級70人もいる。わいがやが日本の比じゃない。
・就学年齢が決まっていないため、同じクラスに14歳の人までいる。
 自分は9歳と最年少。みんな背でかい。大人かよ。
・割と裕福な家庭の育ちが良い子と、
 貧しい農村から来て制服も買えない家庭の子が混じっている。
・教師がめちゃくちゃ怖い。罵倒は日常茶飯事。
 担任は男性教師で殴る蹴るなど体罰は当たり前。
・授業が長い。1コマ1時間。1日6~7コマもある。
・勉強がとにかくハード。しょっちゅう教科書文を暗唱させられる上、
 算数も簡単な方程式から複雑な計算がバンバン出てくる。英語も必須。
・試験期間中はまるで受験戦争のように張り付いた雰囲気。
・とにかく成績至上主義。
 試験の点数が高く模範的な生徒ほど、周りから一目置かれ、
 大人たちも態度が180度全く違う。
 優等生には仏のように優しく接してくれるため気持ち良く過ごせるが、
 出来が悪いと辛辣に当たられる。
・クラブ活動が無い。体育も体操だけして自由行動。
・トイレが汚ねぇ。。。雨の日は特に用を足したくねー!
・中等部は寮生もあり、校内に食堂と食用の豚を飼っている(!)
 豚が檻から脱走し校庭内を大暴走し騒ぎになったことも。
・治安が悪い。窃盗や傷害事件もしばしば。

 喧嘩をすると果物ナイフを突き付ける不良も。
・卓球台と平行棒がやたらと多い。

※尚、私がいた学校の10数年前の状況ですので、全ての中国の学校がそうだとは限りません。弟たちも送り込まれていますが、私がいた頃とは全然違ったようです。

※通っていた地元の学校。数年前に爆破事件が発生。

中国語が読めないから教科書に書いてあることが分からない。
テレビ番組で言っていることが分からない。
町中の標識も分からない。
周りが何をしゃべっているのか聞き取れない、理解ができない。
担任の男性教師は国語の担当教員でもあり、めちゃくちゃ怖い。。

その教師は若かったのもあり、熱血でした。
例えばクラスの後ろのドアから物音を立てずに入ってきたかと思えば、居眠りをしていた生徒を往復ビンタしたり、
授業中に漫画を読んでいた生徒から、漫画を取り上げて引きちぎったり、
体操の時間があるのですが、さぼっていた生徒全員を捕まえて、体操の代わりだ!といい、腕立て伏せやら腹筋やらスクワットやらを延々と繰り返させたり、、とにかく鬼のように怖かったのが印象的でした。

更に祖父母も教鞭を振るっていた厳格な性格でした。

生活環境の違い、厳しい毎日に直面し、普通の小学生だった自分は正直生きた心地がしませんでした。
幸い、周りの子どもたちは思いの他純粋で、日本から来た年下の私を物珍しさと好奇の目で受け入れてくれました。
日本のことについて質問の嵐、嵐、嵐でした。私は質問の半分も理解できませんでしたし、理解したとしても思うように返すことができませんでした。

そこで本能的に感じ取ったのは、とにかく勉強を頑張るしかないということ。まずは中国語を一日でも早く覚え、周りが言っていることを理解し、自分の考えを伝えたり、文章を読めるようになることが先決だと。当たり前のようですが、困難に感じられました。

国語の教科書に書いてある、周りの子どもたちが当たり前に知っている漢字についても読むためのピンインや意味を知る必要がありました。日本とは異なり簡体字ですので、ゼロからのスタートです。


■2種の神器「新華字典」と「テレビ番組」

そこで私がどうしたのかというと、

新華字典という中国の辞書を買いました。

そして教科書に載っているありとあらゆる漢字を1文字1文字調べました。


※この字典を始め、あらゆる教科書や辞典をボロボロに使い古した
※ピンイン順に並んでいるため、1つの漢字を調べると、部首だけ違う同じような感じがずらっと並んでおり、ついでに覚えていくことができました。

教科書に書き込み、びっちりとメモ書きで埋め尽くされ、あっという間にページは真っ黒になりました笑

最初の頃は夕飯を食べ終えてから夜23時~日付が変わる頃までせっせと漢字を調べては覚えていきました。

ピンインがアルファベット順に並んでおり、aからzまで全て一通り目を通しました。

学校で強制的に文章の暗唱テストをさせられたのも、
言葉を習得する上では効果的だったと思います。

漢字を覚えるだけではなく、単語や熟語を覚える必要もありました。
特に四字熟語が日本の比ではないほど多く、教科書の中でもバンバン登場してきます。なので字典とは別に熟語辞典も使い古すまで調べ倒しました。


もう1つ、自分にとって大変効果的だったのは、
テレビ番組の存在です。

祖父母の家では起きている間、常にテレビが点いていました。
各局のニュース番組から天気予報、ドラマやバラエティなどを毎日毎日聞く内に耳が慣れていきました。
特に天気予報は、気温や天気の違いはあれど、アナウンスされるセリフはほぼ固定しているので暗記しやすかったです。

何より有り難かったのは、全てのテレビ番組に字幕が付いていることでした。
覚えたばかりの漢字がテレビを通して読まれたり、
ドラマのストーリーの文脈に乗っかって登場することで、記憶に残りやすかったです。

多くのゴールデンタイムに流されていたドラマは、日中戦争ものや、共産党が国民政府を倒し中華人民共和国を建国する話などで、またかという感じでしたが笑

※抗日ドラマの日本兵。中国人キャストの訛った「バカヤロー」が口癖

中には時代劇もあり、コミカルな演出やギャグが多かったりするので、見やすかったと覚えています。

読むこともままならない内は、漫画や小説のように本で活字を目で追っていくだけでは大変です。

それよりもニュース番組やドラマなど、映像と音があり、目で見て、耳で聞く情報の方が覚えやすいです。加えてたいていの番組には字幕が付いていますから、字を目で追って覚えることもできました。

五感をなるべく多く使いながら、ストーリーのある文脈に載せて触れることで、理解が早まるということです。

国語では良く作文の課題を出されることが多く、
定期試験でも30%程度の点数を割いて200-300字程度の作文が出題されます。
しかも日本語みたいに音を表記する平仮名で文字数を稼ぐことはなく、基本的に全部漢字なので日本の文字数より情報量を多く入れないといけません。
当然最初は苦戦しました。
30点中ほぼ0点みたいな、白紙状態だったり、言いたいことの漢字が書けず苦肉の策でピンインを書いたり。。

結局、最初の国語の小テストでは50点くらいで、クラス最下位。。

毎日教科書が真っ黒になるまで勉強したのに。。

ところが、ショックよりもむしろ到着早々学校を探していた頃は0点だったのに、半分得点できていたことになんとなく成長を実感していました。
当然クラスからは笑い者でしたので、周りがすごく羨ましかったことを覚えています。
高得点をとった子たちの点数がまるでステータスというか、
その子が高いスペックや能力値を持っているかのような感覚になりました。

自分はまだマサラタウンを出たばかりで、手持ちはlv6のヒトカゲだけのポケモンの主人公になった気分でした。

「”ひっかく"と"なきごえ"じゃ戦えねーな」
「なんとかしてこの現状を変えたい!」

それまで生きていくために中国語を覚えていた自分が、
今度は「悔しいから勉強をして這い上がりたい」と思うような、心境の変化がありました。


■正にビリギャル!最下位からクラスTOPへ!

当時学校で全国の小学生が書いた作文コンテストで、優秀な作品を冊子にまとめられたものを学年別に毎月配っていました。そこには日常の出来事から小学生が考えた冒険ものの小説やらギャグなど、様々な作品が載っていました。ネットでブログや掲示板を眺めるのと同じ感覚ですが、全国から選ばれた優秀作品ですから読みごたえがありました。
その冊子を暇なときに読むことで、「ああ、中国語の文章ってこうやって書くのか」となんとなくの感覚をつかむことができました。まぁ当時は書くことを覚えよう!という意識よりは、単純に読み物として楽しんでいたわけですが。

結果、いろんな単語や表現、文法を覚えていき、
話す・聞く・読む・書くの4つともめきめきと上達しました。

周りの子どもたちとも会話が成立するようになり、
日本の東京から来た少年という、農村には珍しい目新しさもあいまってか、
割とすんなり受け入れてくれて、なじむことができました。

編入2か月後に行われた前期の中間試験では、
国語が90点くらい、クラスビリからTOP10へ。
国・数・英3教科合わせて70人中4位へと躍進。

こういう結果をとると、周りの態度は分かりやすく変わりました。

定期試験の成績上位者は校門の入り口に名前が張り出されます。

そして謎にクラスの幹部メンバーに選ばれました。

各学級(クラスを「班」という)には、
・班長と呼ばれるいわゆる学級委員(日本のザ・学級委員というよりは、勉学に優れる上にクラスをまとめる人気やカリスマ性があるような生徒が選任される。)
・副班長
・学習委員(勉強領域のTOP)
・国・数・英を始め、各科目別の代表
といった学級幹部が選ばれ、教員をはじめ周りからの反応が変わったり、進学時の内申点に影響する制度がありました。

クラス運営や起きている問題について議論する班幹部会議があったり、
各教科の進行時のまとめ役など、小学生ながら中国共産党の選民的な文化が色濃く残っているような制度でした笑

私は英語の成績どうこうというよりも、日本から来ているので発音などが中国人よりもネイティブに近いだろうという、謎の理由からでしたが笑

※中国の学級のイメージ。
※好好学习,天天向上とは「がり勉して毎日成長しろや」という意味
※毛沢東の写真はあったりなかったりする。

そうなると祖父母や親戚の叔父叔母など、周りの大人たちが褒めてくれたり、一目を置いてくれたりします。

マサラタウンを出発してから、レベルが上げて技を覚え、ニビシティジムのタケシのイワークを倒して、バッヂをGETしたような感覚です。

やっと周りに認めてもらい、自分の居場所を見つけられたような気持ちでした。

底辺から這い上がった感覚を弱冠10歳にして味わうことになったのです。


※画像引用元:
https://kinkon.at.webry.info/201107/article_6.html
http://www.nipic.com/show/1/62/7806073ke9074c10.html
http://kaigai-funinn.com/jitsujyo/china/namayasai/
https://www.koala0712.com/19583.html
http://haohao-xuexi.blogspot.com/2013/03/4-6.html
http://subaru-corp.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-17f7.html

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