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荒廃した教育を復活させる一手『教育勅語』に学ぶ和の生き方(前編)~明治維新が目指したものとは?~ー『日本人のこころ』2ー
こんばんは。高杉です。
日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1704565981931-jRxIRHImo8.png)
令和6年。
元日から大変悲しい出来事が起こりました。
私の地域では、大きな揺れはあったものの
家族全員無事でした。
私の友人は被災してしまい、
避難所での生活を余儀なくされています。
また、能登半島では今でも救助活動が続いており、
被災された方が一刻も早く元の生活に戻ることができることを
願うばかりです。
私も微力ながら支援させていただきました。
今はなにより生活に必要な物資が届くこと、
そして未だ助けを求めている方々の生命を守ることが
大切だと思います。
命懸けで支援をしてくださっている自衛隊をはじめとする方々の
足を引っ張らないように私もできることをしていきたいと思っています。
さて、
今回から『日本人のこころ』の本題です。
今年は、毎週月曜日に発信。
ひと月に1テーマ完結。
全12テーマでまとめていこうと考えています。
最後までお付き合いいただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。
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1)世界史で唯一弱小国から経済大国に躍進した日本
![](https://assets.st-note.com/img/1704566627675-44SnTsPSie.jpg?width=1200)
今から150年前の明治時代。
2000年を超える我が国の歴史の中でも特別な時代です。
なぜ、特別な時代なのかというと、
学問的に言うと「近代化を果たした」からです。
大日本帝国憲法の制定、
議会の設置、
選挙を行い国民が選んだ国会議員が立法を担う。
内閣制度を発足させて、
裁判所を整えて、
産業革命で得た西洋の良いものを進んで取り入れていく。
そして、
西洋と同じような工業製品をつくることで、工業国として発展していく。
このように、
政治体制、国家体制を整えるだけではなく、
経済も列強と並ぶ工業国へ転換していきました。
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そのようにして、
我が国は、アジアでいち早く近代化を果たし、
欧米列強と並ぶ大国にのし上がっていきます。
これがどれほど困難なことか。
この時代を生きる軍人、官僚、経済界、
そして国民一人一人が本当に力を発揮し、力を合わせ、
本来であれば到底なし得ない、
あの時代での短期間での近代化を成し遂げることができたです。
当時、
列強はアジアを植民地化しようとしており、
アメリカはフィリピン
イギリスはマレーシア、シンガポール、ミャンマー、香港、インド
オランダはインドネシア
フランスはベトナム
アジアのほとんどの国は、欧米の植民地となりました。
日本とタイだけが植民地にならずに済みました。
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実は、
150年前に弱小国だった国の中で経済大国に躍進した国は、日本だけ
なのです。
あと数年したら、インドも入ってくるかもしれませんが…。
しかも、我が国は、1回だけではない。
2回もやっているのです。
我が国は、先の大戦ですべてを失いました。
社会インフラをすべて破壊され、マイナスからのスタートでした。
そこから、またのし上がって再び経済大国に躍進しました。
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とにかく、明治時代のすごさを
令和の時代を生きている私たちは感じることは少ないかもしれませんが、
明治時代の日本は世界の中でも突出して輝いており、
ぐんぐん成長していきました。
そのおかげで我が国がその後も存続し、
私たちがこれだけ豊かな経済的な生活を送ることができ、
安定した社会があるのも
明治時代の近代国家としての礎を短期間のうちに創り上げて、
工業国としてのし上がった明治時代の軌跡があってのことなのです。
2)『明治維新』が目指したものとは?
![](https://assets.st-note.com/img/1704568119822-w45U4tqmSQ.jpg?width=1200)
「近代化」ということを考えたときに、
どうしても欠かすことができないのは『憲法』です。
どんなに経済が発展しても憲法が整備されて国の体制が定まらなければ、
国の発展はありません。
例えば、
自分が工場をつくって、製品をつくっているとします。
工場や製品の所有権や営業権が認められているから
安心して経済活動を行うことができます。
某国のように、
いきなり役人が来て
「この会社は〇〇円国に寄付しないと、営業停止とする。」のように
役人や国のトップの意向でなんでも変わってしまう。
そのような国では安心して経済活動を行うことができません。
外国の資本も入ってきません。
これを『チャイナリスク』というのですが…。
日本では当たり前のことですが現代でも当たり前ではない国があるのです。
民法や商法や会社法などの法律を整え、
みんなが納得する裁判が行われるように、警察や検察、裁判官などなど
このような国家体制ができているからこそ、
私たちは安心して街を歩くことができるし、
思いっきりビジネスもできるし、
安定して国の経済も発展していきます。
だからこそ、
憲法をつくるということは大変なことでしたが、
明治日本にとって欠かすことのできないことでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1704568202346-2V5oLPjgEj.jpg?width=1200)
そして、
明治日本にとって
『憲法』と同じくらい重要な意味をなしたのがおそらく『教育勅語』です。
『憲法』というのは、
具体的な国家の枠組みが書かれており、
それを実現するためのかなりの数の法律が整備されていきます。
ただそこでどうしても抜けていることがあったのです。
それが、
「修身道徳の根本規範」
です。
「修身道徳の根本規範」がなかったために、
国民生活が荒れていくという事態を招いてしまったのです。
これまで、
明治時代の軌跡についてお話をしてきましたが、
明治時代の中頃。
明治20年くらいになってきますと、教育が崩壊していきます。
江戸時代は、
寺子屋があり、世界でも有数の識字率を誇っていましたが
明治の20年の間に教育が衰退していきました。
![](https://assets.st-note.com/img/1704568286432-eF8PJmzpZP.jpg?width=1200)
『明治維新』には2つの主旨があったはずなのです。
一つが「文明開化」です。
憲法や議会制度、
産業の進んだ技術など外国の良いものを進んで取り入れる。
そのほかにも、
医学や生物学、化学いろんなものを取り入れていくことです。
そして、
もう一つが「神武建国の精神に立ち返る」ことだったのです。
日本の原点とは何か?日本はどのような国なのか?
これを追求していくということです。
だから、
外国の良いものを取り入れていくことと、
失いかけていた日本のよいものを取り戻すということ
この両方を行おうとする営みが『明治維新』だったのです。
『明治維新』は、
外国を模倣して、
外国と同じようになることを目指してたのではありません。
むしろ神武建国の精神に立ち返って、
理想的な日本国家を創り上げていこう。
そのために、
使えるものは西洋のものでも進んで取り入れていこう。
日本は昔から取捨選択をしていました。
やみくもに中国の文化を取り入れていたのではありません。
ちゃんとフィルターをかけて
入れるものと入れないものを取捨選択してきました。
だから、
日本にとってよくなるものがあるならば海外から進んで取り入れていく。
むしろ、
主は「神武建国の精神に立ち返ること」だったのです。
そして、そのための「文明開化」だったのです。
3)教育が荒廃した明治日本の実情
![](https://assets.st-note.com/img/1704568382888-zOeWB2CzAc.jpg?width=1200)
ところが、
実際は、
「文明開化」ばかりが先行していきました。
西洋のものは崇高なもの、素晴らしいものだということで
日本の物は古臭いもの、価値のないものかのように見捨てられていく。
西洋化ばかりに走り、
日本のよいものを進んで取り戻していこうとする努力や取組が
ほとんどなされないようになってしまいました。
そして、
西洋化、欧米化の弊害が一気に彷彿したのが、明治20年ごろだったのです。
人々は金もうけに走り、
他人を追い落とし、
奪い合いの社会のような競争社会。
人々の心が疲弊し廃れる。
そのような社会になってしまいます。
欧米化、西洋化にのめりこんだ結果
国民の内面がすさんでしまい、
私利私欲にまみれたような状態
になってしまいます。
なんだか、今の我が国の状態に似ていませんか?
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では、
明治天皇をはじめ先人たちは
どのようにこの危機を乗り越えていったのでしょうか?
現代の私たちだからこそ学ぶことができる叡智があります。
今回は、
荒廃した教育を復活させる一手
『教育勅語』に学ぶ和の生き方という主題で
お話をさせていただきます。
次回以降、順番にお話していきたいと思います。
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国民一人一人が良心を持ち、
それを道標に自らが正直に、勤勉に、
かつお互いに思いやりをもって励めば、文化も経済も大いに発展し、
豊かで幸福な生活を実現できる。
極東の一小国が、明治・大正を通じて、
わずか半世紀で世界五大国の一角を担うという奇跡が実現したのは
この底力の結果です。
昭和の大東亜戦争では、
数十倍の経済力をもつ列強に対して何年も戦い抜きました。
その底力を恐れた列強は、
占領下において、教育勅語と修身教育を廃止させたのです。
戦前の修身教育で育った世代は、
その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれました。
しかし、
その世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、
経済もバブルから「失われた30年」という迷走を続けました。
道徳力が落ちれば、底力を失い、国力が衰え、政治も混迷します。
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「国家百年の計は教育にあり」
という言葉があります。
教育とは、
家庭や学校、地域、職場など
あらゆる場であらゆる立場の国民が何らかのかたちで貢献することができる分野です。
教育を学校や文科省に丸投げするのではなく、
国民一人一人の取り組むべき責任があると考えるべきだと思います。
教育とは国家戦略。
『国民の修身』に代表されるように、
今の時代だからこそ、道徳教育の再興が日本復活の一手になる。
「戦前の教育は軍国主義だった」
などという批判がありますが、
実情を知っている人はどれほどいるのでしょうか。
江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、
明治以降の近代化努力を注いで形成してきた
我が国固有の教育伝統を見つめなおすことにより、
令和時代の我が国に
『日本人のこころ(和の精神)』を取り戻すための教育の在り方について
皆様と一緒に考えていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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