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100日もnoteを続ける理由

#noteでよかったこと

 僕は近所の年下の子供たちの世話をするのが好きでした。小さい子供たちが喜んでいる姿を見ると自分も嬉しくなるからです。

 こうして人を喜ばせることが好きになった僕は、それが転じて他者を優先させることに重きを置くようになっていきました。人は注目されると気持ちよくなります。僕ではなく相手を引き立たせることで、自然と注目されている環境を作り、喜んでもらえると思ったからです。よって僕は常に”聞き役”でした。

 僕は中高を通していい子でした。

 僕は相手の気持ちを汲み取るのが上手でした。

 僕は会話の展開を予測して、二手三手先の会話を先回りするのが得意でした。

 僕は周りに合わせるのが得意でした。

 僕はあまり意見を言わず、他人に抵抗することはありませんでした。

 よって僕には存在感がありませんでした。コーチや友人に迷惑をかけず、”無難”な行動をとることが第一。自分の意志は度外視で、他人に迷惑をかけないよう、精いっぱい自分を消すことに尽力しました。

 そんな僕だったので、中高では一度も先生に怒られたことがありませんでした。誰の気も引かず、”いい子”で居続けたからです。

 自分の主張を全くしなかったので、先生方は僕のことをよく知りません。「平子くんは本当にいい子で...うんぬんかんぬん」。僕と母と先生の三者面談は、キレイな言葉がたらたらと並べられた表面上の僕の説明が続きました。

 このような自分を押し殺すという姿勢は、いつしか僕の内面までも支配していきました。自分が何をしたいのかわからなくなっていったのです。

 なんとなくで高校を決め、なんとなくで文系を選択し、なんとなくで大学へ進学。なんとなく経営学部を選びました。

 こんな十代を過ごしてきたので、今でも自己主張は苦手です。そんな僕の今の最大の脅威は”就活”です。

 日本の就活では、主体性やコミュニケーション能力が第一に求められます。僕の10代までとのモットーとは真逆の資質が必要でした。

 だから”自分を押し殺す姿勢”をさらに押し殺し、主体性やコミュ力のある自分を演じています。 

 話がややこしくなってきましたが、今の僕は、”本来の僕を押し殺した僕を押し殺した姿”なわけで、それは結局本来の自分の姿なのではないか?しかし今の自分を演じている就活は非常に疲れる。

 いったいどれが本当の自分の姿なのか。そもそもこうして”自分を押し殺す”と捉えている事象は実は”成長”なのではないか

 自分の頭ではいくら考えても答えは出ませんし、出るわけがありません。答えは”自分が信じたもの”であり、それはコロコロ変わっていくから。

 このような混沌とした頭の中を整理するためにnoteを始めました。頭の中で当てのない道をひたすら歩くより、こうして書き出した方がスッキリします。

 1年以上noteを続けてきて、幾分か頭の中の混沌を言語化することに慣れてきた気がします。うまくはなっていないけど、出来るようにはなってきた。

 100歳頃まで生きるとして、人生残り80年。これから何度自分を見失うか分かりません。今のうちから内省することに慣れておいて全く損はないよね...?


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 という風にnoteを始めた理由と続ける意味を格好つけて書きましたが、一番の理由は暇だったからです。それだけ。そんなもんでしょ!


ーー終ーー

 

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何か秀でた能力があるわけでもなく、友達が多いわけでもない。1日誰とも話さない日もザラにある。引きこもり文系大学生の心に秘めた思いをツラツラと。