【No.1227】イモムシは気持ち悪いですか?
古典文学『虫愛づる姫君』を覚えているでしょうか?高校時代に習ったことがある人もいるかもしれません。
平安時代に書かれた、オタクの姫が出てくる話です。
オタクは現代でこそ市民権もあり、むしろそれくらい没頭できることがあることに、僕は羨ましさも感じますが、一昔前は白い目で見られてましたね。平安時代ともなると、もっと疎まれたのかもしれません。
主人公のオタク姫は、高貴な身分でありながら、ゴーイングマイウェイな姫です。当時の女性は男性に見られないように過ごすという常識にとらわれず、平気で外に出て、化粧もしない。たしなめる親にも論理的に反論するくらい、我を貫く姫として描かれています。
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しかも、虫が好きで近所の少年たちとワーキャーやっているので、姫のお手伝いさんも「なんでこんな姫のもとに勤めているんだ」と陰口するような状況です。
すると、それを聞いたお手伝いさんのリーダー格のおばちゃんが戒めてこんな感じのことを言います。
「飛んでいる蝶をきれいだと言って愛でることは誰だってできる。逆に、蝶の成虫になる前の幼虫を蝶だといって楽しむのも変だ。(主人公の)姫は、幼虫から蝶になる過程にこそ興味があり、その探究心が素晴らしいのだ」
勝手に超訳しまくっていますが、そんなことを言って弁護します。この言葉、おもしろくないですか?
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僕たちは、目に見える、成虫になった蝶を愛でる傾向にありますね。
例えば、テレビに突然でるようになった芸能人や起業家を、テレビで見かけるようになった姿で好きだ嫌いだと判断します。
その人が、有名になる前、どれだけの下積みをしてきたか見ようともしません。それで、もともと才能があった、俺や私とは違うなどと、勝手に評してみたり。
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でも、目に見えないだけで、有名になる人は有名になる前に、いろいろと積み重ねているはずですよね。いわゆる一発屋と呼ばれる芸人さんも、意外に芸歴が長かったりします。
『虫愛づる姫君』は平安時代に書かれた文なので、1000年ごろでしょうか。つまり、今からちょうど1000年前に、
目に見えるものが全てじゃないぞ。目に見えないものにも思いを致せ、と言われているのは、興味深いです。文献として残っているということは、それだけ人としての真理をついている原理原則なのでしょう。
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人を、目に見えるところだけで判断しないこと。
また、自分も、今どの段階にいるか。幼虫のような下積み時代なのか、羽化する直前のサナギ時代なのか、冷静に見極めて、適切な努力をすること。
そのように自分をシツケしていきたいですね。
ということで(?)今日も1日「優柔不断は誤った決定よりなお悪い」「あらかじめ○○していたら、あとで楽になる」という言葉を胸に、結果の有無に関わらず、頑張っていきましょう!
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