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あの時、君が褒めてくれたから


「山崎の作文、めっちゃ泣けたんだけど!!」

 すれ違いざま、興奮気味に感想を投げ付けてくれたのはコトミだった。

 読者の感想を待っていた私は、「え?そう?」なんて平静を装いながら、期待していた反応があったことに手応えを感じた。

 あの冬の日、私は一つの宝物を手に入れたのだ。


 私は現在37歳。自営業をしながら会社員の妻と3歳になる息子との3人暮らしだ。息子が生まれてからというもの、育児が私の頭の半分を占めている。

 息子が伸び伸びと成長するにはどうすればいいか、それを考えるのはどの親も一緒だろう。親が押し付けるのではなく、彼が夢中になれることを見つけてあげたいと思うのが、現代育児のセオリーである。

 そんな私が最近ふと考えたのは、自分が文章を書くきっかけだ。

 私は、もう2年近く育児の日々についてエッセイやTwitterで発信し続けている。受けとってくれる人の数は多くないが、こんなにも続けることができているのは、私自身が楽しめているからに他ならない。
 私はどういう経緯で「夢中」になれることを見つけたのだろう。

 記憶を巡らせていくと、まだ幼さが残る青春時代の私が、ひょっこり顔を出した。


 中学生活もあと僅かとなり、卒業が現実味を帯びた15歳の冬。誰もが適当に書いているはずだった文集の原稿に、私は並々ならぬ想いをぶつけていた。

 当時の私は迫り来る友人達との別れに焦っていた。保育園から一緒だった友人達との別れは、まだ十数年しか生きていない中学生にとって、大きな変化だ。
 当たり前に会って話をしていた顔が遠ざかっていく。長い間親しんだ「毎日」が変わる。

 たまたま目の前に提示された課題は、それを表現するのに丁度良かった。冊子にして200人もいない全校生徒に配布されるその文集の原稿は、3年生一人ひとりに課せられる。

 最後に友人たちを感動させたかった、と言えば聞こえはいいが、実際はもっと自己中心的な感情だった。俺が感動させてやるよ!くらいの、生意気で、中学生にありがちな衝動と、勢いと、暇つぶし。

 ただ、みんなが喜んでくれるのではないか、という純粋な気持ちが確かにあった。学校生活を楽しませてくれた同級生に、心から感謝していたのだ。

 内容は、同じサッカー部だったタモツへのメッセージだった。

 怪我で最後の大会に出場できなかった彼へ、勝ち進めなくてごめんな、という直接的なメッセージ。それを公開することで感動を誘う作戦だ。
 実際は大袈裟にするほどの結果を残した部ではないが、このように一部分をドラマ化すると味わいが出てくるものだ。
 タイトルも「たもっち、ごめんね」という、一瞬で同級生達の興味を引くキャッチーなものにした。
 今でもこの視点とアイデアは、中学生離れした素晴らしいものだと自画自賛している。


 コトミは、いわゆるヤンチャな女子だった。

 短いスカート、茶髪、他校のヤンキー彼氏。喜怒哀楽をハッキリと見せ、よく怒ったり泣いたりしているのを見かけた。
 短気で攻撃的な性格のため、友人が多かったわけではない。彼女も周りに媚びるような人ではなかった。
 日本人離れした綺麗な顔と大きな胸は、思春期の中学生男子を惹きつけるのに十分な威力があったから、男子のくだらない世間話には度々登場する女子だった。

 どういう訳か、当時の私は、彼女から気軽に話しかけられるポジションにいた。特に仲が良かったという程ではないが、私のキャラクターが彼女の許容範囲だったのだろう。話しやすい男子として、光栄にもその立ち位置を賜っていた。

 彼女が、誰かの作文に感想や評論を述べるほど、日ごろ文章に触れていた訳ではない。隠れた読書家だったり、国語だけが他を圧倒して成績が良かったり、といったエピソードは聞いたことがなかった。
 むしろ真逆の場所にいたことは、会話の中で垣間見える語彙力や、日常の粗い言動で疑いなかった。


 文集が生徒に配布された日、私の期待は最大限を迎えた。

 小説家が渾身の作品を世に送るときの気分はあんなだろう、と見たこともない目線で想像している。よくある物語としては、この後、誰からも評価されず、文芸界の厳しさや自分の甘さを痛感するのが定説である。

 しかし、私の作家デビューを好スタートにしてくれたのは、コトミだった。


「あれ何なん!なんか泣きそうなんだけど!」

 休み時間の廊下に響き渡った高く明るい声は、私の背中にぶつかって来た。
 相変わらず語彙力の無い感想ではあったけれど、彼女の少し涙ぐんだ表情はその気持ちを表すのに充分だった。
 この場で思い出して涙ぐむなんて、作家冥利に尽きる読者だ。

 彼女の大声を機に、他のクラスメイトからも次々に称賛の声をもらうことができた。
 主役となったタモツも喜んでくれ、「やま、ありがとな」と声をかけてくれた。彼の、独特のイントネーションで言われる感謝の言葉は、落ち着いていて重みがあった。私の作品は間違いなく日の目を見たのである。

 ちなみに、いつも感情的に生徒を叱りつけていた教師が、偉そうに高評価と更なる改善点をくれたことを付け足しておこう。


 これが、私と文章の出会いである。

 記憶の糸を辿っていくと、なんでこんなに大切な思い出を今まで放っておいたのだろうと後悔することがある。

 田舎の町の小さな中学校で、私は成功体験を得た。それは小さな体験で、大人になった私には、宝箱の中をくまなく探さなければ見つけられなかったくらい、目立たない存在だった。

 しかし、あの体験がなければ、いまの私はこうして文章を書いていないだろう。今ではSNSのプロフィールにはエッセイストと自称するほど、心から夢中になれている。

 お金になるとか、職業にするとかいう前に、こうやって思いを表現できていることが楽しい。息子にも、こういう楽しさと自由を知って欲しいと思う。


 コトミは今どこで、何をしているだろう。

 あのときに、彼女が思い切り褒めてくれたから、今の私がある。

 コトミが投げたあの言葉は、ひっそりと私の中に生き続けてきた。

 もちろん、それを今の彼女は知る由もない。私だって置き去りにして来たのだから。

 これからは、いつでもポケットに入れておこう。


 いつか彼女に会う機会があったら感謝を伝えよう、なんて、恥ずかしくて絶対できない。

 でも、15歳の彼女がくれた笑顔に負けない表情で

「久しぶり!」と声をかけよう。

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