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私は私の一番いい部分だった

生まれて20数年、ずっと変わろうとしていた。

重箱の隅をつつくように自分の悪いところを見つけては、
「このままじゃ駄目だ」
「もっとちゃんとしないと」
「何でこんなこともできないの」
と責めていた。
常に小火のような焦燥感が心の中をチリチリ焦がし、"何か"にならないといけない、と急き立てられていた。
"何か"というのは、
『ちゃんとした人』
『ミスしない人』
『明るくてポジティブな人』
など漠然とした理想像。


教師という仕事を選択して、それは更に加速した。
「正しいことを言わないといけない」
「子どもから尊敬させるような存在であらねばならない」
「保護者や同僚からも信頼されるような存在であらねばならない」
「弱みを見せたらいけない」
自分は一人しかいないのに、何人分求めるんだっていうぐらい全方面に完璧主義。
毎日苦しくて、血反吐を吐く思いで職場へ向かっていた。

社会人4年目、遂に心が壊れてしまった。
病院に行って治療したり、学校を少しの間お休みしたりさせていただく中で、ようやく分かった。
私は私以外にはなれないのだ」と。
"私"という人間の枠はもう決まっていて、そこを無理に広げたり形を変えたりすることはできない。
だからこそ自分のできないことにフォーカスし改善に努めるのではなく、今持っている自分の良さを認め、勝負できるように磨いていくしかないのだと。
諦めにも似た境地。
でも、自分の良いところを見つめ出すと生きるのが楽になった。
意外とあるんだな、って思えた。


アレン様のお言葉を引用させていただく。
「本来の自分を出せないのって絶対成功しない。カッコいい自分だけ見せようとか、上手いことやってやろうなんて見ている側は面白くない。」
もうまさにこの通りで、
子どもたちにも保護者にも、もっと自分のかっこ悪いところも面白みも見せていい。
上手いことやろうと思っているうちは上手くいかない。
自分を隠した正しくもつまらない人に、人は心を開かない。
より良くなるのは目指すけど、変わることはもう自分に求めない。

専科という立場だからかもしれないが、今が、一番子どもたちと自然体で関われている気がする。
仕事も楽しい。
子どもたちも可愛い。
そう心から思える自分は凄く良いと思う。

私は私の一番良い部分だった
って胸を張って言える日が来たらいいな。

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