相手を救う道は自分が助かる道を全て棄てること
最近、"寄り添う"って凄く凄く難しい、と痛感している。
保護者の方に対して、「お子さんの気持ちに寄り添っていきます。」という言葉をよく使っていた。
軽々しく用いていたけれど、私の"寄り添う"ってペラいな…と、穴があれば入りたい気持ち。
私にとっての"寄り添う"は、「悩みを言ってきた子どもに親身になって話を聞いてあげ、解決策を一緒に考える」ということだった。
でも、本当に悩みを抱えた子は自分から打ち明けられないことも多い。
自分自身平気そうな振りをして、実はめちゃくちゃしんどいってこと、何回もあったのに。
『話してくれなきゃ分からないよ。』って思ってた自分がいた。
教育のプロとして失格。
その子の些細な変化にも気付き、声を掛けて、悩みを引き出すように努めることが必要だ。
見ようとしなければ見えないものがある。
自分だけで気付けないなら、情報を共有して多くの人の目で見守るようにすればいい。
「聞いてあげる」から、「聞かせて欲しい」というスタンスに自分を変えていきたい。
それと、「その子がすっきりする方法を解決策とする」のも大切だなと思った。
「解決策を一緒に考える」と聞こえの良い言葉を使いながら、根底には大人側の都合があった気がする。
仲直りはお互い謝らないといけないとか、周りの見解とか、時間が無いなとか、自分の保身とか、色々なことをとっぱらって、その子のモヤモヤが晴れることを一番に考えていきたい。
自分の持てる時間、労力を割いて、その子に本気で向き合うということ。
結果、上手くいかなかったとしても、やらないよりずっといい。
ブルーピリオドというアニメで、
「正しい場所からしか話せないなら、お前に話すことは何も無い。」
という台詞があった。
物事の善悪よりも、その子の気持ちを大切にして、共感し理解するように努めなければ、心を開いてはくれない。
自分が楽な道、助かる道を全て棄てること。
それが、相手を救う道に他ならない。
誰かが、悩み俯き先に進めない時、手を差し伸べて共に歩めるような人になりたい。
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