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「ここが、一番安全な場所だよ。」

「おかえり。」
実家に帰ると、
久しぶりに弟が部屋から出てきた。
髭が仙人のように伸びている。猫背。ニキビだらけの肌。この前会った時よりまた太ったな。
生活は見た目に出るのだと改めて思った。
まだ若いのに。世捨て人みたい。
胸がギュッと締め付けられる。
私の弟は1年前から引きこもっている。
食事の時以外ほぼ部屋から出てこないらしい。

弟は、昔やんちゃな子どもだった。
今からは信じられないほど。
友だちとよく遊び、よく喧嘩もする。
男の子らしく、毎日放課後は外へ遊びに行き、
部活も運動部でガタイも良かった。
性格も溌剌。

でも、高校受験前、決定的なことが起きた。
弟は、母が志望する高校に入るために○位以内に入らねばならないという約束をさせられていて、それを守れなかったのだ。
弟はかなり嫌がったが、母は無理矢理、弟の部活を辞めさせた。
県内でも偏差値トップの高校に受かったものの彼はあまり嬉しそうではなかった。

高校に入ったら、次は大学受験。
弟へ更に厳しい条件が与えられた。
中学とは違って、学力レベルの高い集団の中で良い成績を出し続けるのは難しい。
弟は、高校になって入った部活もわずか1年で辞めることとなってしまった。

そのぐらいから、
何をやっても母に辞めさせられるから無駄だ。
と人生に対して諦めるような事を言うようになった。


母は弟に当たりが強かった。
基本、放任で育った私とは違い、弟へは傍目から見て異常なほど過干渉。
「男は高学歴であるべき」
とステレオタイプなことを以前口にしていた。
長男だからこそ学歴や色々な面での期待も大きかったのだろう。

弟の進路や、習い事、着る洋服まで母が決めた。
そこで、弟が少しでも意にそぐわない言動をすると烈火のごとく叱り、罰を与える。
言う通りにするまで弟へ喚き散らす母。
私が宥めても決して態度が軟化することはなく、無力感に苛まれた。


二人で、他愛ない話をするのも久々で、嬉しかった。
ひょんなことから運転の話になった。
「免許とったけど、運転しないの?」
と問いかける私に、

「しないよ。絶対。」
と、素っ気なく答える弟。

私「なぜ?」

弟「だって、僕は人間的に欠陥品だから。人を轢く可能性がある限り乗らない。世の中に迷惑をかけたくない。」

言葉が出なかった。
彼の自尊感情の低さに。
そんなことないよ、と言葉で慰めても癒されぬ心の傷に。
弟がこうなってしまったのには、私にも原因があると。

やり取りを近くで聞いていた母が
「運転しなくてもいい仕事なんて無いんだから!そんなんじゃ今年も仕事見つからんよ!」
と、怒り出す。

まずい…!
そう思ったのも遅く、弟は無言のまま、すくっと立ち上がり、自分の部屋へゆっくり戻って行った。
俯いて曲がった背中。
彼の表情は見えなかった。
きっと能面のような顔。
もう傷つきたくない、否定されたくないという心の叫びが聞こえるようで。
思わず涙が零れた。

母は、
「扱いづらい。」
と呟き、またテレビを見始めた。

「せっかく、話せて嬉しかったのに。」
思わず母へ恨み言を言ってしまったが、

母「何で泣いてるの?」
と。本当に分かってない。



きっと、2階の部屋は彼にとって安全基地。
誰からも否定されない。
誰からも指図されない。
温かな布団に包まれ、幸せな夢を見ることができる。
卵の中にいる雛のようだ。
どうやって、その殻の中から解放してあげられるだろう。
母も、食事をせっせと運ぶ親鳥のように、弟にへばりついてる。

私の実家は巨大な卵。中に居るのは弟と母2人。
歪んだ愛情で依存し合う。

私に何ができるだろう。
ここには書ききれない程のことが沢山ある。
どこからやり直せばいいのだろう。
そんな無力感を胸に、1人暮らしの家へ戻る。

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