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君たちは呆れるほどよく似てる

その昔、パチンコで数百万の借金をこさえた父。
それでも、誰も行かないようなオンボロの"パチンコ◎◎"に通っていた。
「儲かっているパチンコ×××に行けばいいのに。儲かっているパチンコ屋じゃないと当たりが出らんよ。」
と訴える母に、
(母も、「パチンコに行かないで」ではなく、「儲かっているパチンコ屋に行って」と頼んでいるのが面白い 。)

「俺はパチンコ◎◎の方が落ち着くから。」
の一点張り。
痛い目を見てでも、自分の居心地の良さを重視する人だった。他人の助言は聞かず何でも自分で決めてしまう人でもあった。

弟も同じ。
「規模が大きい会社を受けないと、年収も条件も良くないよ。」
「○○大学まで行ったなら、もっといい所受けられるよ。」
と母や私が言っても聞き入れず、
『この会社はプログラミングが好きな人達が集まっているか。自分が通うのが苦では無さそうかどうか。』
という観点で就活を続けた。

結果、条件も厳しいし実家から遠く離れているし小さい会社ではあるが、プログラミング初心者の弟の作品を見て、「どうやってプログラミングを勉強しているの?」と掘り下げてくれるような所に巡り会えた。

お金とかネームバリューとか将来性とか関係ない。彼らなりの正義がある。
そして、ただそこに、小さくとも自分が心地よく過ごせる居場所があれば、彼らはいいのだろう。
外野が何を言ってもどこ吹く風。涼しい顔で我が道を突き進む。
そういう所がよく似てる。
何を言っても無駄。
彼らを大切に思う者としては、『選択肢を与えること・彼らの選んだ道をサポートすること』しかできない。
母は、2人に対して粘り強く働きかけていたなと尊敬の念すら覚える。
ただ、期待しても励ましても動かない人だっているのだ。
そういう人に自分の理想を押し付けるのは必ずしも優しさとは言えない。

まったく、父も弟も、無欲というか生きづらいというか頑固というか変に善良というか。
ほとほと愛想を尽かしたくなる時もある。
付き合いきれん!勝手にしろ!と言いたくなる時だってある。

まあでも、彼らが幸せならモーマンタイ。

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