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何を失ったかが人生

先日、知人と話していて思ったこと、
知人が話していたこと。
それは、人生は何を失ったかが重要で、失った後の人生が本番。

子供の頃や10代後半の若い頃は、
成長が当たり前で、プラス1、プラス2と進んでいくものだと思っていた
常に新しいものと触れたり
新しい人間関係ができたり
新しいことをする事も怖さもあるけど、楽しかったり。
自分の可能性を感じて、いろんな事に手を出したりする。
若いから受け身でいても、失敗しても、失言しても、
年上の人たちが助けてくれたり、話しかけてくれたり、手助けをして許してもらえた。
環境や人間関係が嫌になったら引っ越したり、
連絡先を絶ってリセットしても若い頃は無限に出会いがあって、空いた穴に新しい人間関係ができた。

けれど、年齢を重ねるにつれ、
落ちる体力や容姿
続かなくなった気力
故意に一度切った縁は戻らない

などなど…

少しずつ確実に老いていき、やはりたどり着くのは
平等にみんな「死」であると思い知る。
嫌だと思っている老人に、自分もなっていく。
若い頃に感じた年上の落ち着きも、ただ単に体力が落ちているだけ
という事も段々とわかってくる。

人と比べてしまってる人は今の自分に集中できていないからだろう。

知人は、
「年と共に可能性は無くなっていく。
失っていく事こそが人生、なにを失ったかが、自分の人生になる。」
と言っていた。
若い時と同じようにはいかないし、若い人に混じっていても、自分の実年齢や肉体自体が若くなることはない。

人生を全体で考えると、ほとんどが中年〜老人の時間を過ごす。

失ったものにちゃんと納得して、残った手札で人生をやろう



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