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それでもまた私に生まれたい

最近はよく、自己肯定感など耳にする事が増えましたね。
自己肯定感=自信
という意味になりつつ、巷では流行っているけど、
本当の意味は自己重要感だったりする。

昔の私はよく、他人を見て「いいなあ」と思っていました。

クラスで人気者とか、話が面白いとか、お洒落さんだとか、運動ができる、勉強ができる
そんな人たちが羨ましかった。
子供時代の学校生活でも、集団生活はできなくはないけど、ギリギリのラインでどうにか保っていた。
私の時代は、「皆違って皆良い」という教育方針だったけど、
その言葉通りに受けた子供時代、見事にいじめられました(笑)
自分を殺して「普通」をやらなければ村八分にあうと考えていたし、
なんでもできるスーパーチルドレンに憧れていた。
いわゆる「良い子ちゃん」にも憧れていました。

そして見事な完璧主義者になっていました。

大人になり、呪縛のように「普通は」を唱えるようになっていた。
でも、普通ってなに?って考えても、考えても答えがでない。
誰に聞いても具体的に教えてくれない。
社会人になって、社会は「皆同じで皆良い」。
アレ?

実は普通って、みんなの頭の中で作り出したホワホワした存在?

いろんな人と接して、人間って物凄く複雑で個性的な存在であることに気付いた。
誰一人として同じ人生を歩んでないし、当たり前に考え方も感じ方も違う。
自分の辛かった過去、できない・足りない部分、汚い部分
いつも「悪」だと思い込んで否定し、隠して蓋をしてきた。

もっと愛情のある家庭に生まれていれば
もっと皆と無難に仲良く出来る人で生まれていれば

何度も何度も思い、自分をのろった。

もし別の誰かに生まれてたら
違う人生だったろうなあ、あの人の人生いいなあ

そしたら、もっと生きやすかったんだろうなあ

とかよく思ってたけど、
自分にしかない経験があるからこそ、
どんなことに美しさを感じ、幸せを感じて生きていられるんだと思えるようになった。

どんな人が、どんな意見を持っていてもOK
という事を感じられるようになった。
つまり、在るがままの自分でOKだということもわかるようになった。

足りなくても、人よりできなくても、
歩んできた事から感じられる事もたくさんあるだろう。

乗り越えてきたキツいことは沢山あったけど
ふとした時、眠りにつく前、
また自分に生まれたいと思った。

死が隣り合わせの人生、納得して生きようね。

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