見出し画像

Jリーガーだった3年間を台無しにした“他責思考”の因果応報~戦力外Jリーガー社長の道のり5

21歳でガンバ大阪から戦力外通告を受けビジネスの世界に飛び込んだ私の物語を連載でお届けしています。

前回はこちら

“暗黒の3年間”を過ごしたJリーガー時代

前回のnoteでは高校を卒業し、ガンバ大阪での活躍を夢見ていた私が、大きすぎる壁にぶち当たった話をしました。

なぜうまくいかなかったのか?
どうにかしてうまくやる方法はなかったのか?

今でも考えないわけではないのですが、ガンバ大阪から戦力外通告を受けた時点では気づけなかった「敗因」は、トライアウトでのオファーゼロを経て流れ着いた佐川急便大阪SCを去り、サッカーから離れるころにははっきりとわかっていたのです。

Jリーグ誕生のバブル期とは違いますが、やはり華やかな世界。Jリーグに入るやいなや高級車を購入する選手も当時はまだいましたし、「Jリーガー」がステータスという雰囲気も今より強かったのではないでしょうか。

自分では地に足をつけてと思っていたのですが、そんな浮ついた空気が伝播したせいもあるかもしれません。

プロになってからの3年間、あの期間だけはなぜか自分が自分でなくなっていました。

ついに戦力外通告! それでも感情に支配され恨み言ばかり

ガンバ大阪のクラブハウスで西野朗監督(当時)に、チームの構想から外れ戦力外であることを告げられたとき、実力不足を自覚していたにもかかわらず、胸の内では「何で俺だけが?」「もっと他にも切られるべき選手おるやろ」という恨み言が渦巻いていました。

「今に見てろ」
ガンバ大阪では日の目を見なかったけど、自分はまだまだやれる自分に合うチームがあれば、試合にだって出場できる

戦力外通告を受けた時点の私は、「なにクソ精神」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、自分の実力不足を棚に上げ他者の批判をするだけの“他責”の権化でした。

試合に出られなかったのは自分の良さを見てくれない首脳陣のせい、自分の良さを生かしたり、引き出してくれないチームメイトのせい、自分より努力していない選手も、下手な選手もいっぱいいる。

どうひいき目に見てもJリーグに見合う実力がなかったことは、すでに前回のnoteに書きました。試合に出られない、活躍できない、評価されない原因を自分に求めず、他人のせいばかりにしていたことは、今考えると滑稽でしかありません。

サッカーからの撤退を決めたとき、深呼吸してそれまでの3年を俯瞰して初めて気づけたことなのですが、結局Jリーガーとしてプレーした3年間は、ひたすら“他責”の思考で過ごしていたのです。

自分でも不思議なのですが、私の人生において、プロサッカー選手だった期間の前後、小・中・高、そして引退後にビジネスの世界に飛び込んでからを振り返っても、あれほど“他責”思考で生きた期間はありませんでした。

パスミスしたやつが悪い! 生産性ゼロの他責思考

思い出されるのは、ある日の練習試合でのシーン。

「こっち!」
中盤でパスを要求する声を発した私は、ジェスチャーで右足にボールをつけてくれとチームメイトに要求しました。

パスは来たものの、ボールは私の左半身の方向へ。当然トラップは左足になります。

右足に来るつもりで準備をし、相手ゴールに向かう動きを始めていた私は、当然逆を突かれトラップミス。前掛かりだった自チームはディフェンスで後手に回り、失点を喫してしまったのです。失点の主因となってしまった私は監督から叱責を受け、またもや評価を下げることになりました

このときの私の思考はこう。
「右足にパス要求してんねんから右足に出せや! せっかくの攻撃のチャンスなのに、パスミスのせいで責任押しつけられたわ」
まさに他責ですよね。今考えると恐ろしくエゴイスティックで、自分勝手な考え方です。

成長のヒントをくれる自責思考

これを自責に変換するとこうなります。

「右足に要求したけれど、パスを出そうとしているチームメイトの状況もある。もしかしたらプレッシャーを受けていて、左足にしか出せなかったのかもしれない。それなら、自分が半歩左にズレれば右足で受け取って攻撃につなげられたかもしれない」

他責はミスに対して改善がありません。一方自責思考で考えられると、「次はこうしてみよう」という工夫や、失敗点の反省に基づいた成長が見込めます。

思えば、小中高と私がチームの中心選手としてプレーできたのは、サッカーの才能などではなく、自責思考で日々創意工夫、改善を重ねてきたからだったのです。

感情に支配されていた時期は、今までできていたこと、自分にとっては当たり前だったことができなくなっていました。

タラレバ、ifストーリーがあるなら、ガンバ大阪時代に普段通りの自分、自責思考の自分で過ごせていたら、私の現役寿命はもっと長かったのかもしれません。

他責から自責に切り替えた途端、人生が好転し始めた

スパイクを脱ぐ踏ん切りがついたとき、憑き物でも落ちたように責任転嫁ばかりしていた自分に気が付きました。

「なるほど! これはクビなるわ!」

せっかく夢だったプロサッカー選手になれたのに、なぜこんな簡単なことに気が付かなかったのでしょう? 夢だったから、目標として掲げていたからこそ見えなくなっていたのかもしれません。

とにかくこのことに気が付き、腹落ちしてから、
「これからは何があっても他人のせいにすること、他責で生きるのをやめよう」
と心に誓ったのです。

ビジネスの世界に飛び込んで、はじめは右も左もわからない状態でしたが、他責をやめて自責で生きる、自分が選んだキャリアで成長していくために、とにかく今日できなかったことを明日できるようになる、そのためのPDCAを回したことで、私の新しい道は大きく開けていったのです。

続く

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?