真砂

物書き志望

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【小説】語り手が一人の場合・複数人の場合を言い表す言葉の提唱

 小説は、基本的に一人の語り手によって語られることが多いが、複数人の語り手によって語られることも少なくない。どちらのパターンもよく見かけられるものである。しかしながら、それぞれの場合のことを表す一般的な言葉は、今のところ存在しない。  そこで、私は、前者を「単叙」、後者を「複叙」と読んではどうかと考える。すなわち、「一人の語り手が物語を語ること」を「単叙(スル)」、「複数人の語り手が物語を語ること」を「複叙(スル)」という言葉で定義するのである。(私の過去の記事を読んだ方には

    • 【小説】「会話文」という言い方は適切なのか?

       小説の文章は、基本的に語り手による語りの部分と登場人物の台詞の部分から構成されている。一般的に、前者を「地の文」、後者を「会話文」という。このうち、後者について、このように呼ぶことは果たして本当に適切なのだろうかと私は思う。というのも、登場人物の発言は必ずしも常に会話において行われているとは限らないからである。  例えば、独り言がその例である。当然ながら、独り言は誰かに向けて発するものではなく、ただ一人でするものであるから、会話中の発言であるとは言えない。しかしながら、発言

      • 「良く喩えること」「悪く喩えること」を表す言葉の提唱

         あるものを何かに喩えるという行為は、しばしば、それを良く言うため、あるいは悪く言うためになされることがある。  例えば、「あの人は神だ」という喩えは、「あの人」を神のように素晴らしい人だとして褒めるためになされる。また、「あいつは何々の犬だ」という喩えは、「あいつ」を「何々」の言うがままに従うものだとして非難するためになされる。  このように、あるものを良いように喩えることを「善喩(スル)」、悪いように喩えることを「悪喩(スル)」と言ってみてはどうかと私は考える。というのも

        • 「一人称視点」「三人称視点」という考え方の問題点と「内叙」「外叙」という言葉の提案

           小説における物語の語り方には、大きく分けて2つの方法がある。1つは、物語世界の内側から語る方法、もう1つは、物語世界の外側(というものがあると考える)から語る方法である。前者においては、物語世界の中に存在する人物が語り手となり、物語世界の内側から同次元的に物語が捉えられる。一方、後者においては、物語世界の外に存在する人物(これについても、そのような人物がいるものと考える)が語り手となり、物語世界の外側から高次元的に物語が把握される。  一般的に、前者のように語り手が物語世

        【小説】語り手が一人の場合・複数人の場合を言い表す言葉の提唱

        • 【小説】「会話文」という言い方は適切なのか?

        • 「良く喩えること」「悪く喩えること」を表す言葉の提唱

        • 「一人称視点」「三人称視点」という考え方の問題点と「内叙」「外叙」という言葉の提案

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        記事

          信号機の「通りゃんせ」についてのちょっとした疑問

           今ではすっかり数が減ってしまったが、信号機の中には、歩行者用信号が青の時に、「ピヨピヨ」や「カッコー」といった鳥の鳴き声ではなく、音楽が流れる、いわゆる「メロディー信号」というものが存在する。このメロディー信号において採用されている音楽は、青森県の「乙女の祈り」や愛知県名古屋市の東山動物園前交差点の「おうま」などの若干の例外が存在するものの、基本的には「通りゃんせ」と「故郷の空」の2曲である。このうち、前者の「通りゃんせ」の信号機におけるメロディーについて、以前から少し気に

          信号機の「通りゃんせ」についてのちょっとした疑問

          「物語が良い/悪い結末で終わること」を言い表す言葉の提唱

           物語の結末には、それが良いものである場合と悪いものである場合、そしてそのどちらでもない場合の3つがある。一般的には、良い結末は「ハッピーエンド」(あるいは「グッドエンド」)、悪い結末は「バッドエンド」と呼ばれている。そのどちらでもない結末については、特に呼び名は与えられていない(「メリーバッドエンド」という言葉があるが、これは受け手の解釈によって幸不幸が分かれる結末を言うものであり、幸でも不幸でもない結末を指す言葉ではない)。  では、「物語が良い結末で終わること」、あるい

          「物語が良い/悪い結末で終わること」を言い表す言葉の提唱

          「反訓」という概念の提唱

           美波の「カワキヲアメク」という曲の歌詞の中に、次のような興味深い表現がある。  前者では「軽い」という言葉に「おもい(重い)」という読みが、後者では「真実」という言葉に「うそ(嘘)」という読みが、それぞれ当てられている。  このように、ある言葉に対し、その意味とは反対の意味の読みを当てることを「反訓法」と呼び、その当てられた読みを「反訓」と呼んではどうかと思う。当てられる言葉と反対の意味の訓だから「反訓」というわけである。  訓の類型としては、今のところ、「生命」を「いの

          「反訓」という概念の提唱

          読書日記(2022年9月~12月)

           お久しぶりです。真砂です。  本当は何か文章を書いて投稿したいんですけど、なかなか思うように書けないので、代わりになるかは分かりませんが、昔つけていた読書日記でも投稿しようと思います。  これは、何月何日にどんな本を何ページから何ページまで読んだということをひたすら記録していくというもので、去年の8月の末から今年の最初あたりまでつけていました。いつどんな本をどこからどこまで読んだかを記録しておくことで、後からどの本のどの部分をいつ読んだかを思い返せるようにするというのが目的

          読書日記(2022年9月~12月)

          山田リョウの「リョウ」っていう名前って、クールな見た目だから「涼」→「リョウ」になったんだろうか。

          山田リョウの「リョウ」っていう名前って、クールな見た目だから「涼」→「リョウ」になったんだろうか。

          荒楠(あれくす)神社の「荒楠」もアレックス(Alex)から来てそう。

          荒楠(あれくす)神社の「荒楠」もアレックス(Alex)から来てそう。

          最近『氷菓』を見直して思ったんだけど、入須冬実の「入須」ってアイリス(Iris)から来てるのかな?

          最近『氷菓』を見直して思ったんだけど、入須冬実の「入須」ってアイリス(Iris)から来てるのかな?

          Aimer「Black Bird」とイカロスの翼

           以前、カラオケに行った時、Aimerの「Black Bird」という曲を歌った。映画「累」の主題歌となった曲で、個人的にAimerの曲の中でも特に好きな曲の一つなのであるが、この曲を歌っている時に、ふと、ある歌詞が気になった。それは、「真っ赤な太陽 羽を溶かすの? I fly?」という一節である。なぜ気になったのかというと、この歌詞がイカロスの翼の話を元にしているのではないかと思ったからである。  イカロスというのは、ギリシア神話に登場する人物の一人である。父と共に閉じ込め

          Aimer「Black Bird」とイカロスの翼

          YOASOBI「アイドル」とサカナクション「アイデンティティ」

           現在放送中のアニメ「推しの子」の主題歌であるYOASOBIの「アイドル」の歌詞に、「今日何食べた? 好きな本は? 遊びに行くならどこに行くの?」という一節がある。  これについて、私は以前からサカナクションの「アイデンティティ」っぽいなあと思っていた。というのも、「アイデンティティ」にも、「好きな服は何ですか? 好きな本は? 好きな食べ物は何?」という歌詞があるからである。いずれもその人の人となりを問う質問が連続するというものであり、特に「好きな本は?」という部分は両者とも

          YOASOBI「アイドル」とサカナクション「アイデンティティ」

          法律用語としての「善意」「悪意」という言葉は変えたほうがいいのではないか

           日常用語とはかなり異なった意味で使われる法律用語として、「善意」及び「悪意」という言葉がある。  これらは、日常用語としては、「善い意図」「悪い意図」といったような意味で用いられる。しかし、法律用語としては、「善意」は「ある事実を知らなかったこと」、「悪意」は「ある事実を知っていたこと」という意味で用いられ、そこに意図の善悪についての価値判断は含まれない。すなわち、法律の世界に於いて、「善意」「悪意」と云った場合、それは単にある事実を知らなかったこと、ないしは知っていたこ

          法律用語としての「善意」「悪意」という言葉は変えたほうがいいのではないか

          「遺言」を「イゴン」と読むことへの違和感

           「遺言」という言葉は、一般的には「ユイゴン」と読むが、法律用語としては「イゴン」と読むことが多い。  これは、『精選版 日本国語大辞典』によると、法律上の「遺言」を日常用語としてのそれと区別するために、明治末年ごろからなされるようになった読み方であるらしい。法律上の「遺言」は、日常語のそれと、言葉こそ同じであるものの、あくまで法的な意味を有するものとしてのそれを指すため、両者を読みの上で区別しようとすることは、ごく自然なことであろう。  しかし、そうした読み分け自体は妥当

          「遺言」を「イゴン」と読むことへの違和感

          最近買った本

           この間、高校時代の友人と梅田に集まって忘年会をしてきました。バイト等を除けば、家族以外の人間と会うのは実に三週間ぶりで、やはり定期的に人とあっておかないといけないなあと思いました。高校の時からの付き合いなので、本音で話し合えるのがいいですね。焼肉の後に行ったカラオケでも、お互い遠慮することなく、マイナー/メジャーの別を問わずとにかく自分の歌いたい曲を歌い、下手でも全然OKという雰囲気だったので、非常にやりやすかったです。こういうカラオケが一番楽しいと思いました。大学の人とも

          最近買った本