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太宰治の1stアルバム

 太宰治の短編集に、『晩年』というものがある。これは、彼の作品集としては最初に世の中に出されたものである。
 太宰の作品集は、大抵の場合、収録作のうちのどれか一つのタイトルがそのまま作品集のタイトルになることが多い。しかし、この『晩年』については事情が異なる。この短編集の中に、「晩年」という名前の小説は収録されていないのである。
 これは、「晩年」というタイトルが、収録作のそれに関係なく作品集自体●●のタイトルとして名付けられたことによる。すなわち、「晩年」というのはこの短編集自体に付けられた名前なのであって、太宰治の小説として「晩年」という作品が存在するわけではないのである。
 このことは、音楽の世界における「アルバム」になぞらえて考えると理解しやすいかもしれない。というのも、小説における短編集も音楽におけるアルバムも、いくつかの作品を収めたものであるという点では同じであり、また、アルバムのタイトルは、(そこに収録されている曲のそれから採られることもあるが)収録曲のタイトルにかかわらず名付けられることが少なくないからである。
 すなわち、『晩年』という短編集は、音楽風な言い方をすれば、太宰治というアーティストの1stアルバムなのであり、そのタイトルは収録曲の名前に関係なくアルバム自体のタイトルとして名付けられたものであって、タイトルチューンとなるような曲がそのアルバムの中に収録されているわけではないのである。
 このようにして考えてみると、小説における短編集も音楽におけるアルバムも、本質的には同じであるということに気付く。違いは媒体(前者は本、後者はCD等であるが、小説も音楽もパソコンやスマートフォンなどの電子媒体で楽しめるようになった現在、媒体の違いは完全なものではなくなってきている)と、そこに収録されているのが小説であるか音楽であるかという点であって、いずれも複数の作品をまとめて収めたものであるという点では同じなのである。こうしたことに気付けば、小説の世界と音楽の世界が少し近くなったように思われてくるのではないだろうか。

 なお、余談であるが、太宰の2番目の作品集である『虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ』についても、『晩年』と似たようなことが言える。この作品集のタイトルの後半の「ダス・ゲマイネ」については、同名の作品がその作品集の中に収められているのであるが、前半の「虚構の彷徨」については、そのような名前の作品は存在せず、その作品集の中に収録されている3作品「道化の華」「狂言の神」「虚構の春」の総題となっている。「虚構の彷徨」というタイトルは、作品集に対して付けられたものというよりもこの3作品に対して付けられたものであるように思われたので、先ほどは挙げなかったが、「晩年」という題と似たような性質を持っているので、ここで言及しておくことにする。
 この2番目の作品集『虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ』は、これも音楽風に言えば太宰の2ndアルバムといったところになるであろう。もっとも、収録作品数を考えると、「虚構の彷徨」3作品+「ダス・ゲマイネ」1作の計4作であるので、1stEPと言ったほうが適切かもしれない。

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