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ハローキティのポップコーンマシーンの歌について

 皆さんはハローキティのポップコーンマシーンをご存じだろうか? 商業施設などにときどき置かれているもので、見たことがあるという人も多いだろう。サンリオのキャラクターであるキティちゃんのデザインのポップコーンマシーンで、お金を入れて操作するとポップコーンができるというものである。
 このマシーンからは、常に次のような歌が流れている。

ハローキティ こんにちは
キティは みんなの人気者
わんぱく いじわる おこりんぼうも
やさしいキティと いっしょなら
つられて やさしく なっちゃうの

 この歌について、私は当初「キティちゃんって結構自惚れているんだな」と思っていた。というのも、この歌においてキティちゃんは自分で自分のことを「みんなの人気者」「やさしいキティ」などと言っているからである。しかも、わんぱくな子やいじわるな子、そしておこりんぼうな子も、優しい自分と一緒にいればつられて優しくなるとも言っており、よっぽど自分に自信があるんだなと私は思っていた。
 しかし、ある時ふと、実はそうではないのかもしれないと思った。すなわち、この歌に出てくる「キティ」というのは一人称ではなく三人称なのではないかと思ったのである。それまで、私はこの歌における「キティ」を当然のように一人称であると解釈してきた。しかし、この「キティ」が一人称であるということを裏付けるものはどこにもないのである。確かに、一人称として捉えても意味は通る。しかし、三人称として考えたほうがより自然にこの歌を解釈できるのではないかと思ったのである。
 この歌における「キティ」を三人称として解釈した場合、この歌は、第三者である歌い手(小説で言うところの「語り手」)がキティちゃんについて客観的な立場から述べたものであるということになる。つまり、キティちゃんが「みんなの人気者」であることや「やさしい」こと、そしてわんぱく・いじわる・おこりんぼうな子たちがキティちゃんと一緒にいるとつられて優しくなるというのは、客観的事実としてそうなのであり、なにもキティちゃん本人がそのように主張しているわけではないのである。もしキティちゃんが自分からそのように言っているとすれば、それはあまりにも自己愛が過ぎると言わざるを得ない。このようにキティちゃんがナルシストとなってしまう一人称の場合の解釈よりは、客観的にキティちゃんが人気者で優しいということになる三人称の場合の解釈のほうが、より妥当ではないかと思ったわけである。
 キティちゃんの一人称が実際に何であるのかはよく知らない。が、もし「わたし」などの代名詞であれば、この歌の「キティ」は三人称でほぼ確定であろう。もっとも、自分の名前である「キティ」が一人称であったとしても、必ずしもこの歌の歌い手がキティちゃんであるとは限らないので、三人称である可能性は排除されない。
 いずれにせよ、この歌については、キティちゃんの実際の一人称が何であるかということを抜きにして考えれば、「キティ」が一人称である場合と三人称である場合の2通りの解釈が成立しうる。前述の通り、妥当なのは後者のほうであるが、前者の解釈もいちおう成り立つこと、そして前者の解釈をとるか後者の解釈をとるかで歌の見え方が変わってくることに、私はこの歌の面白さを感じた。

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