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丸襟のブラウス

学校指定のブラウスに、ウールのセーターを着込んでジャケットを羽織はおる。私の学校は駅から少し遠い場所にあるから、自転車をぎながらうっすらと汗ばむぐらい暖かくして行かなければいけない。大通りは早朝からたくさんの車が行き交って、信号が切り替わるのを待てなかったらしいノースフェイスが私を置いていく。流行りのコーヒーチェーン店に手を擦りながら入って行く人を横目に、マフラーを口元まで引き上げた。──冬の朝は、驚くほど静かで薄暗い。遅れてやってきた一人が教室の重い扉に手をかけた頃、ようやく新しい陽光が窓際の席を照らした。

焦茶色のローファーはもうずいぶん以前からき潰していて、かかとのヒールが丸く削れている。人よりも多少忙しい生活を送っている都合上、革靴の消耗が早いのは認めざるを得ない。学業に差し障りのない程度の色に、部活動で邪魔にならない程度のヒールは、理想とは多少違うけれど私によく似合っている。刺繍ししゅうのソックスのフリルを遊ばせても可憐かれんだし、シンプルなパールと組み合わせてもいい。どうしたって床と近いから、グラウンドの砂埃すなぼこりで汚れてしまうことばかり憂いてしまう。気がつけば同じような白いソックスばかりがクローゼットに収められていて、いつの間にか私ですら見分けがつかない。

大きなシルクのリボンに、淡く光を反射するパールをつらねたカチューシャがお気に入りだ。就寝前にこっそり仕込んだネイルは小さなラメ入りのホワイトベージュで、案外誰にも気づかれなかったから驚いた。真っ黒なキーボードの上を指が滑るたびに、まろやかな象牙色ぞうげいろと上品な光沢がきらりと映える。トップコートは薄く広げるだけで十分だ。ミルフィーユのように際限なく重ねられたガラスは、小鳥のさえずりを飲み込んでほのかに揺れる木漏れ日を曇らせてしまう。

好きなものは、たくさんあればあるほどいい。
お気に入りのオードパルファムを吹き付けた枕はふんわりと心地よくて、雪兎のように真っ白なカーペットに足を置けば柔らかい絨毛じゅうもうに包まれる。この季節は空気が乾いているから、ハンドクリームが欠かせない。ロココ調の装飾があしらわれたマグカップから立ち上る湯気さえ、映画のアバンタイトルさながらのときめきを振りまいている。玄関の扉を開けると、二つ揃って並んだベルが小気味よく響いた。私は、この世界を謳歌おうかしている。ベッドの中にいても月を見つけることが、人生をより豊潤ほうじゅんに演出するテクニック──演者の作法だ。

大きなレースが施された丸襟のブラウスを着て駅におもむく日は、よく磨かれた厚底の革靴を履くことにしている。エナメル製の露骨な艶は品がいいとは言い難いけれど、これぐらいあからさまに幼さを演出できるほうがかえって軽快な気分だ。由緒正しい銘柄のハンドバッグとデパートに所狭しと陳列されたパンプスとのアンバランスさに眉をひそめることができる人が、この場所に果たしてどれぐらいいるのだろうか。駅舎を埋め尽くすファーコートに揉まれながら、何処からともなく香るアールグレイに視線を彷徨さまよわせる。

校章がプリントされた白いブラウスが私の背筋を伸ばし、丸襟のブラウスは私の胸を張らせてくれる。いつだって私を楽しませるのは私自身──オランダ油絵の凸凹おうとつにノスタルジーを感じるのも、リュートの繊細なアルペジオに北仏きたフランスの宮殿を想起するのも、丹精に育てたピュアな好奇心の賜物たまものである。「嵐が過ぎ去るのを待つのではなく、雨の中でも踊ることが人生」という言葉は、決して現実に苦しむ人に振りかざすものではないけれど、私自身を磨くにはちょうどいい文句だ。濡れた石畳に革靴で踏み込み、オパール色の爪を雫に浸すことが、なにを着ていても偽りのない私でいるための幕開けなのかもしれない。

市場の鐘が夕刻を告げた。
数時間前まで鼠色ねずみいろのスクールバッグや前あきのブレザーで溢れかえっていたデパートに、今はシワのない背広と緩められたネクタイが行き来している。最近出版されたばかりの画集は、とても人気で背表紙も見つけられない。砂糖がけのドーナツと風味の高いカヌレはとっくに売り切れていて、仕方ないから籠は空のままでペダルを踏み込んだ。

錆色さびいろの鍵を差し込んで、門を押し開く。
質素なローファーに雨滴うてきが落ちたら、パールのように光るかもしれなかった。

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