人生の決断 ~5年後の物語~
誰にも流されていない
自分で決めた、人生で一番大切な決断
東京で働くこと
私は、昭和の価値観が根強く残る田舎で生まれ育ち、23歳まで暮らしていました。
23歳までの私はいつも人生の大切な決断を他人に委ねていました。
『人生の決断』は24歳を目前にして、生まれて初めて故郷を離れて、東京で自分の夢を見つけた話。
そして、この決断から5年が経ちました。
もう一度、私の人生が大きく動きそうな気がしているので、今の正直な気持ちを綴ってみたいと思います。
2019年3月
後先考えず、新卒で入社した証券会社を1年で退職しました。
当時23歳だった私がもう一度自身のキャリアを考えた時、どうしても地元でやり直すことを考えられなかった。
実家に引き籠った時期もありましたが…何かを突き破りたいと思い、葛藤していました。
「ここでこのまま20代を過ごしていいのか・・・」
地元も実家も離れたことが無い、世間知らずで箱入り娘な自分。
「若さ」しかない、「若さ」だけはある私にとって、地元の環境にどこか「物足りなさ」を感じていた。
地元の岡山を離れた理由は2つ
「教育に対する想い」と私が抱える「生きづらさ」
(※詳しくは『人生の決断』をご覧ください)
上京したばかりの頃は、都会のスピードについていけず、完全に都会の波に溺れていました。人混みに疲れ、途轍もない孤独感に苛まれることもありました。それでも…一度もこの決断を後悔したことはありません。
スタートアップ企業で血気盛んな同年代と切磋琢磨して働いた経験。
文化や政治、最新の流行、日本の中心に居る感覚。
上京してからできた大切な友人の存在。(私の親友)
若さゆえにできること、たくさん経験をしました。
私にとって、もう一つの居場所になった「東京」
きっとこれから、どこで何をしても、東京で過ごした時間は私の糧になる。
今、私が感じていること
それは、環境を変える「だけ」では、人は変わらないということ。
そして、自分で「こうありたい」という強い意思や想いから来る行動が、何より自分を成長させてくれる。
仕事関係で出逢った方の中には、職場を離れた今でも連絡を取っている方や人生相談に乗ってくださる方もいる。
仕事に限らず、「教育」に対する想いと行動の先で出逢った人達が、気づいたらいつも私のそばにいて、その人達の存在やかけてくれた言葉が心の支えになっている。
これが私が東京で得た一番の財産。
なので、「東京」という場所が特別自分を変えたわけではないが、人との出逢いを通じて、夢が昇華し、将来のありたい姿がより明確になった場所だと感じている。
「東京に行って、何が一番違うと感じた?」
よく地元にいる家族や友人に訊かれる質問。
一つ答えるなら「人」
別に特別な人がいるわけではない。
ただ…本当にいろいろな人に出逢うことができました。
全く違う生き方、世界の中で生きてきたんだなぁ…と。
そして、自分がいかに画一的な価値観の下で育ってきたのかに気づきました。
東京は、出会いや挑戦の機会が格段に多い。
それでも最後は、自分の「行動次第」であるということを学びました。
気付けばアラサー
世間的に見てもおそらく多くの女性が悩む時期といわれる、いわゆる「結婚適齢期」と呼ばれる年代。
SNSやテレビを観れば、同年代の友人・知人、その他、芸能人の結婚ラッシュ。
「あー…もう私ももうそんな年齢なんだ。」
特に焦っているわけではないのだが、世間の風潮に流され、何だか急かされる感覚。
体感ではまだ24歳くらいなんだけど、気にしなくていいのに、気になってしまう葛藤。これが「アラサー」というものか…
母親は、今の私の年齢で結婚し、30歳になる年に姉を生んだ。
「30歳前後で結婚できたら良いかな」くらいには思っていたが、実際どうなるかは分からない。
一度だけ、母親に訊いたことがある。
「将来、どんな人と結婚したらいいかな?」と。
母は「明日香のことを叱ってくれる人」と答えた。
生まれる前から今に至るまで、私のことを誰よりも信じてくれている人の言葉を信じたい。
帰省をすると、周囲の人たちのライフステージの変化に気づかされ、何だか取り残されている感覚。
でも…あの時「東京に行く」という決断をしなかったら…
地元の暮らしやすさ、家族や友人のありがたみ、一人暮らしの大変さ・・・
自分の本当にやりたかったことを見つけられなかったかもしれない。
未来を案じ、悩むこともあるけれど、「決断」と「行動」の延長線上に未来があるわけで、
だからこそ「今」は、出逢った人たちを大切にしたいと思う。
それと…やっぱり叶えたい夢がある。
私の夢は、きっとみんなの夢だから。出逢ったみんなと一緒に叶える夢だと思っています。
▼私のやりたいことはこちらから
5年前の自分?
昨年、教育関係のイベントで、ある一人の女の子に出逢いました。私と5歳違いの女の子。
イベントが終わってから恒例行事になりつつある、参加者同士のオンライン1on1。
特にイベントの運営側だった彼女から色々話を聞きたいなと思い、誘ってみた。誘ったきっかけは、「彼女の歌声が好きだった」から。
彼女は、私の23歳当時の状況と似ていた。
話を聞いているうちに、「あ…5年前の自分と同じだなぁ」と。
社会とのギャップや、仕事の適性、働く中で「自分」を見つけれらない。
でも『「働く」って、もっと楽しいことじゃないかな』と、どこかでまだ希望はある。でも、まだ見つけられないもどかしい感じ。
踏み出す一歩が欲しかったのか、
気づいたら話し始めて2時間以上が経っていた。
「今日はありがとうございました!」
1on1が終わって、彼女から連絡が来た。
『「大きな決断ほど、先延ばしにすると人はやらない方に傾く」という言葉がとっても響きました。』
『あと…「はしもっちゃん」じゃなくって、今度から「明日香さん」って呼んでも良いですか?』
すごく新鮮だった。私に「さん」付けは…珍しい…!
なぜなら私は、どこに行っても「末っ子」だからだ。家庭でも、職場でも。プライベートで関わる人達もみんな年上。
ありとあらゆる場所で存分にそのキャラクターを使い倒し(使いこなし)、めちゃくちゃ甘えるし、散々生意気な口を利いてきた。
~noteをご覧いただいている先輩の皆さん~
これまでたくさん生意気を言って、困らせて、本当にすみませんでした笑 当分、生意気はところは健在だと思いますが、生意気を言った分だけ、今度は後輩のためにいただいたものを返していきます。
それからしばらく経って彼女から連絡が来た。
誰かの人生を動かす経験
「私も…上京することに決めました!」
「明日香さんと話したその日に、(次のステップに進むための)行動に移しました。きっとあの日が無ければ、またいつも通りの日々だったと思います。」と。
私の言葉で1人の人生を変えた。
嬉しさもあるが、同時に責任も感じた。
この後どう過ごすかは、本当に自分次第だからだ。
上京を決めた彼女と一緒に、今年の7月に新潟へ旅行に行った。
目的は二つ。
・新たな門出を祝う旅にすること
・新潟にいる友人の20歳のお祝いをすること
教育関係のイベントで知り合った私の仲間。
みんなとの関係をどういう言葉で表したら良いのか、適切な言葉がまだ見つからないけれど、今の私は「友人」なのか思っています。
20歳の贈り物
友人の20歳のお祝いをしました。元々、誰かのために「贈り物」をすることが好きでしたが、今回は、「永く大切に」使ってもらうことを意識して、選んでみました。何歳になっても思うけど、「20歳の贈り物」って、やっぱり記念になると思います。
~プレゼントに込めた想い~
・「教育」に興味を持ったきっかけとなるバレエ(シューズ)
・7月の誕生石「ルビー」
誕生石を身に着けることで、「幸せを招き、災いから逃れる」らしい。
・「ルビー」は成人の贈り物としても使用されるらしい。(「らしい」が多いな笑)
私の思う「教育」
これまで私は本当に人に恵まれてきた。
そして、いつも誰かに、人生が変わるきっかけをいただいていた。
人生の岐路に立って、悩み、立ち止まった時、一体どれだけ多くの人が私のために、時間を使ってくれたのだろうか…
この半年間、人に何かを「与える」ことを意識して過ごしてきた。
そして、地元の帰省や旧友との再会で、過去を振り返る時間や機会が何度かあった。
その度、私が過去に関わってきた子ども達のことを思い出していた。
(また会いたいなぁ…)
子どもたちと過ごした時間の中で、私が何かを教えていたとしても、実は私の方がたくさん教えられていた。
これが私の思う「教育」なのかなぁって。
多くはないですが、私には「教え子」と呼べる大切な存在がいます。
年齢や性別、国籍、経験など関係なく、互いに教え・教えられる関係性の中で、人が育ち、成長すること。それが私の思う理想の教育。
私は、そのことを教え子から教えてもらいました。
みんなとの出逢いがなければ、今の私はいません。
本当にありがとう。
最後に…
23歳の私へ
これまで東京で色んな人に助けていただきました。
よく「都会の人は冷たい」とか、「人に興味ない」とかって言われるけど、全然冷たくなんかないです。人との距離をわきまえて、でも、みんなどこかで誰かを気にかけてくれています。困ったときには手を差し伸ばしてくれます。
きっとそれは、「故郷を離れて独りで頑張っている人達への優しさ」なのかなと思っています。
だから…それだけは覚えておいてね。
28歳の私より
※今回の投稿に関して、実際に顔が映っている方には事前に写真の利用許可を得ています。
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