『先人は生きていく上で何が大事だと教えていたか』第7言

歴史で習う第二次世界大戦。その戦後、自分の国から無くなってしまった「修養」という教育。修養では何を教えていたんだろう、それを手繰り寄せたくなる時があります。(勿論、わたしが小学生の時も「道徳」という名の時間はありましたが)

今日は「ばぁば」と「父」、この2人からその糸口を探ってみたいと思います。

昨日の第6言でご紹介した「ばぁば」こと、鈴木登紀子さんはまさに「修養」を学んだ世代です。わたしの父はというと、戦後生まれですが「修養」世代の大人たちに育てられたことでしょう。

「ばぁば」と「じぃじ」

「ばぁば」はご主人のことを「じぃじ」と呼んでいます。「ばぁば」と最初聞いた時、なんて丸みを帯びた優しい音だろうと思いました。そして「ぁ」の位置が違うだけでこんなに違うものだな、とも思いました。「ばぁば」と「じぃじ」、「ばばぁ」と「じじぃ」ーーー「ぁぃ」が慎ましやかにも真ん中にあるだけで、なんて愛らしいキュートな衣を纏う(まとう)ものだろう。

箸袋に書かれた「じぃじ」

縦書きで書かれた墨色の「じぃじ」の文字。じぃじは、箸袋を手にする時にもばぁばから大切に想われてることが伝わって、さぞかしうれしく思っただろうな。

言わずもがな、お相手に愛情をもって思いやること、お相手にそれが伝わるように努力すること、「想い」の学びだと感じました。

羨ましかったんだって。ゆるしてあげられる?

これは当時、幼稚園だったわたしに父がかけた言葉です。この言葉の意味ーーーその事・言(こと)の重みと大きさがこの歳になってようやくわかった気がします。

幼稚園からの下校時。いつものように下駄箱をみると、上履きがなく、きっとわたしは先生に言い、先生はうちの両親に事情を説明したでしょう。

場面は変わり、ここからです。(ここだけ鮮明に覚えているのです)

父は小さいわたしに語りかけるように言いました。「〇〇ちゃん、~ちゃん(わたしの名前)の靴が可愛いかったから、羨ましかったんだって。羨ましかっただけなんだって。」「ゆるしてあげられる?」ーーー最後はわたしへの質問でした。

当の本人、幼稚園児のおチビちゃんからすると、このあたりは妙に冷静なのですが、、(いやぁ、ゆるすも何も、わたしが買った靴じゃないし、お父さんたちが買ってくれた靴だからわたしに聞かれても~・・・・・。)それでも おさなごころに言わなきゃいけない空気を感じて(うん)と首だけうなづいたのを覚えています。

その後、このことはすっかり忘れていました。それが数十年後、不惑の、惑わされないお年頃に、すっと記憶が蘇る時がやってくるのです。

よくよく考えてみれば、他の子がわたしの上履きを盗んでしまったわけですよね。でも、父は〇〇ちゃんがとった、盗んだ、という表現はしていなかったと思います。

それが良かった、と後に気づかされるのです。

もちろん盗むのは悪いことです。そのこと自体は弁解の余地もないし、昨日もお伝えしたように「相手を傷つける」=「自分を傷つける」、あなたはわたし、わたしはあなた、ですし、因果応報、結局自分にブーメランのように還ってきます。

でもこの時、父がわたしに求めたのはそこではありませんでした。

「相手の事情」の理解と「ゆるす」の選択

まだ幼稚園児ですよ?靴も自分のお金で買えない(笑) そんなわたしに向かって、「ゆるしてあげられる?」と投げかけたお父さんは、その時とこれからのわたしを信じてくれていたのかな、と今ではそんな風にうれしく思います。首を縦にふる=ゆるすという”選択”をわたしにさせてくれたのですから。

大きくなると、そして大人になると、いやだなと思うことを言われたり、え?なんでわたし?と思うような理不尽なことに巻き込まれたり、絶望を感じるほどに苦しい時、背負いきれず、抱えきれず、放り投げてしまいたい時もありますよね。

でも、どんなにつらくても、わたしの心の中に「憎しみ」がない(というよりは)長居ができないようになっているのは、このことを教えてもらっていたからなんじゃないか、と思うんです。

人生にタラレバはありませんが、もしあそこで盗んだ子やその親を責めて、憎しみや非難めいた言葉のオンパレードを父から浴びせられていたら。。。そう思うと、うまくは言えませんが「そうじゃない父で良かった、”ゆるしてあげられる?と聞く父”で良かった」と、今のわたしも、また、童心に戻ってみても、そう思うのです。

「やる側じゃなくて、やられる側で良かった」と強がりめいたこの言葉をお守りのように胸に抱いていた時期もあります。でも、不思議なもので、そんな時にもまた蘇ってくるのです。

やられる側に苦しみがあるように、やる側にも苦しみがある

ふと見た何かの記事に書いてありました。まるであの時の父の言葉を思い出させるように。

父が亡くなってもう何年も経ちますが、あの日から何十年も思い出すことがなかった分、余計に、魂に沁み込んでいたんだなと思います。まるで三つ子の魂百までですね。父は”大事なこと”をちゃんと教えてくれていたんだなぁとここ最近、改めてつくづく実感するんです。

もちろん、難しいですよ。そんなに(都合の)”いい人”にはなれませんしね。だけど、それでも、そういうことや、それらの難しさも知っておくのとそうじゃないのとでは、違うのかなと。「日々勉強」、、そーいや、これも父は言ってたっけ。結構いいこと言ってるんだね、お父さん(笑)

これもまた、「想い」の学びだと思います。

なーんで生きている内に気づかんかったかねー。そう思いもしますが、そのわたしにとても大切なことを教えてくれていたんだなとわかり、足るを知るを理解するようになった今も、何万回感謝しても足りない、しきれない、と思うのです。

生きていく上で、生き抜く上で、大切なことを教えてくれてありがとう。



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