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映画#5 『メメント』/主人公の混乱を擬似体験する

『インセプション』や『テネット』など、斬新な映像と難解なストーリーで日本でも知名度の高いクリストファー・ノーラン監督。本邦公開未定の『Oppenheimer』を除く全作を鑑賞したファンとしては、彼が世界から注目を浴びるきっかけとなった本作について語らずにはいられない。

鳥肌。そして、脳裏に焼きつくとはこのこと。初めて観た時の衝撃は大きすぎて、しばらくその魅力を触れ回っていたのを思い出す。今、改めて鑑賞しても至る結論は変わらない。

「この映画を作った人間は本物の天才なんじゃないか。」

< voodoo girl’s 偏愛ポイント >
・革新的な時系列配置と鮮やかな合流の演出
・最も信用できない主人公

① 革新的な時系列配置と鮮やかな合流の演出

本作の主人公は、ある出来事をきっかけに記憶を作る機能を失ったために、10分程度しか新しい記憶を保つことができない。

この主人公の特殊な状況を観客が疑似体験できるよう、本作はストーリーの結末から10分ずつ遡る構成となっている。直前に何が起こっていたのか皆目見当もつかないまま最新の10分間が進行し、答え合わせをするかのように今度はその前の10分間を再生する、ということの繰り返し。読むだけでも混乱してしまいそうな設定だが、それも狙いのうち。記憶を保てない男の「混乱」と「状況把握の不完全性」を、映像を通して体感させることに成功したノーラン監督、この時点で並じゃない。

そして、最も特筆すべきは”最後”の記憶の再生シーンであり、その演出はわたしの中でノーラン監督を天才たらしめる。

本作には、先述した逆行する時系列の他、順行するもうひとつの時間軸が色を失った状態で存在する。カラーの映像は未来から遡って、モノクロの映像は過去から順当に、ある地点(=ラストシーン)に向かって進んでいく。この二つの時間軸が合流した瞬間、キーアイテムであるポラロイドの画像が浮かび上がるとともに、モノクロの映像にじんわりと色が滲み出し、カラーの時間軸と合わさったことがわかるという仕掛け。あまりに自然過ぎて初見では見逃したというのが正直なところだが、二度目の鑑賞でそれを目でとらえた時、全身に鳥肌が立った。

まだ観たことがない人も、わたしと同じく初見で気がつかなかったという人も、この決定的な瞬間に目を凝らしてほしい。

②最も信用できない主人公

メインキャラクターであれ、物語には登場しない第三者の声であれ、観客は”語り手”の話す言葉や目線を通して物語を理解し、その”語り手”を信頼するのは当然のことである。一方、本作では、主人公が”語り手”の役割を果たす一人称のストーリー展開となっているにもかかわらず、その主人公が記憶を保てないことによって“語り手”の信用性が欠如している。

映画の序盤、記憶障害への対策として身につけた様々な習慣やそこから垣間見える用心深さから、彼は信用に足る人物のように見える。しかし、友人らしき人物テディとの会話の中で、主人公が「記憶の不確実性」を指摘し「事実の確実性」を引き合いに出すシーンから違和感を覚え始める人は多いだろう。彼は記憶を保てない代わりにタトゥーやメモ、ポラロイドに”事実”を記録することで真偽の判別を可能にしているのだが、この”事実”は他人の私利私欲や、自身の手によってすらも、簡単に歪められてしまうという問題点を全く無視している。

主人公が信じる”事実”に沿って語られるストーリーをわたしたちはどの程度信頼したらよいのか?そんな疑いの目で見るドキドキも本作の醍醐味と言えるだろう。

ルーツを探る

『メメント』には、その他のノーラン作品のルーツがたくさん潜んでいる。主人公の妻に関するフラッシュバックの差し込み方は『インセプション』に通じるところがあるし、『テネット』で話題となった「時間の逆行」というコンセプトはある意味本作で既に表現されていたと言える。

もっと深掘りしたい人は、本作より更に前に撮られたデビュー作『フォロウィング』を観てみるのもいい。フィルムノワールらしいスタイリッシュな雰囲気があり『メメント』の空気感とは若干異なるが、観ている側が主人公目線で誘導されるストーリー展開や巧妙に再配置された時系列という観点ではよく似た作品でもある。

同じ監督の作品を複数見比べることは、1人のクリエイティブな人物の頭の中を深く覗き込むことであり、わたしにとってはドラマの一気見よりも贅沢で、非常に刺激的な娯楽なのである。

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