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海外移住後のキャリア構築、ステップとしての再びの大学院進学

この秋から大学院に進学できることになった。自分の意志で応募して合格したのだけれども、経過を考えると「進学する」よりも「進学できることになった」という表現の方がしっくりくるので、そういう表現にしている。それはありきたりな「夫(家族)の理解があって進学させてもらえてありがたい」ということではなく、海外移住後のキャリア再設計、夫婦や家族としての在り方、経済的側面、投資の費用対効果、年齢、その後の展望と、色々な変数を考慮し、色々な選択肢を試し、夫と私のそれぞれの意見をその都度(時には喧嘩をしながら)調整し、結果条件とタイミングが重なって「進学できることになった」からだ。この結果に結実するまでに3年ぐらいの長い長い移行期(トランジション)を経ており、結実するかどうかもわからない、苦しい期間だった。しかもこの決断が良い結果につながるかは、まだわからない。ただ、色々な選択肢をトライした中で最終的に残ったのがこの選択肢なので、進むしかないと思っているし、進めることにワクワクしているし、進んだ先にはきっと何か見えると思っている。

ミドルキャリアで大学院に進学する、それも留学する例はそこまで多くない。特にパートナーがいる女性が留学を考えるには、実際には色々な葛藤やハードルがある。なので私はその観点にフォーカスをあてて、私のケースをここに残しておこうと思う。人生に正解はないけれど、もし同じような状況で悩んでいる方がいたら、ちょっとでも参考になれば嬉しい。

何故大学院を目指すことにしたのか

大前提として、私はもし日本でキャリアを継続していたら、恐らく留学をしようとは思わなかったように思う(進学はした可能性はある)。私にとって留学は積極的に選択した材料というよりは、今後の人生を考えていく中で必要なピースとして浮上してきたものだ。具体的には、海外でキャリアを築くための必要条件であった。

2018年夏に国際結婚に伴いベルリンに移住することになった私は、今後のキャリアをどうするかという点について、夫と次のような大まかな戦略を立てた。

①私が夫に合わせて移住し、当面日本からの仕事を継続する。
②その間に語学(ドイツ語)に注力する。
③語学が追い付いてきたら、現地就職を志す。ただし、夫の仕事は転勤が必須で今後ほぼ確実にまた別の場所に移住するので、長期的視野に立ち、ポータビリティの高いキャリア構築を目指す。(移住を機に、自分のキャリアのグローバル化を模索する。)

その頃の気持ちの一端を後から記事に書いたのがこちら。まだ割と威勢がいい(笑)

多くの移住を伴う国際結婚カップルが大なり小なり同じような戦略を立てるのではないかと思う。私も意気揚々とやってきて、そして私の場合は、③が早々に頓挫した。というのも私の仕事はその土地への理解や言語センスに大きく依存する仕事で、要するに全くポータブルなスキルではない。例え言語がC2レベルになったところで、ネイティブと戦って勝てる領域ではない。それは移住する前からわかっていたので、現実的には英語がメインのグローバル企業のブランチとか、日本に向き合う仕事などがないかと考えていた。ところがいざ探してみると、全然そういう求人がない。ちょっとかすったぐらいの求人はあったが、マネージャーレベルやシニアレベルでかすった程度の業務経験しかない段階で、もう全くお呼びでない。かといってエントリーレベルに応募するにはミスマッチだった。いくつかリクルーター経由の面接も受けたが、どうやら考えていたようにはいかなさそうだと気付くまでに、さほど時間はかからなかった。(おまけに②のドイツ語にも苦戦し、自分のふがいなさを痛感もした。)

このままの状況を続けていても何も変わらないなと焦りを抱き始めた頃、パンデミックが発生し、①の日本からの仕事についても大きく状況が変わってしまい、持続可能性が危ぶまれた。戦略を練り直す必要性に迫られ、その時点で私が取れる選択としては、今のキャリアを軸に深度と幅を広げるか、これまでのキャリアを捨て、新たにポータブルなキャリアを一から構築するか、の大きく二つの方向性があった。

それぞれに課題があった。前者はこれまで日本で構築したアセットに依存しているので、これまでの延長だけでは発展性と将来展望に欠けていて、今を切り抜けても遅かれ早かれ同じ課題に直面するだろうと思われた。後者は、10年以上積み上げてきたキャリア、それもやりがいもまだまだ今後やりたいこともある分野を全部捨てることにものすごく葛藤があった。その上、アラフォーで全く新しい分野にチャレンジすることはあまりにもリスクが大きいように思われた。

そうして、「結婚した」ということを改めて実感した。私1人であれば、一度日本に戻って幅を広げた職歴をつけるなり、こちらでももう少し求人の選択肢の多い都市に移ったりできるのだけれど、結局何を考えるにしても、自分の一存では何事も決められない現実が目の前にあった。夫の仕事は。家族計画は。主語が一人称単数ではなくなるというのはこういうことか、と思った。

周りの人々にも多いに揺さぶられた。語学学校で同じクラスだった韓国人女性は、40代半ばだったけれど、プログラマーに転向すべく学部から入り直すことにした、と教えてくれた。かと思えばフリーのトラベルブロガーだったフランス人女性はあっという間にドイツ語が上達し、同時にフランス語圏のメディアから仕事をコンスタントに請けるようになり、仕事の幅はむしろ広がった、と言っていた。あるいは出産し、積極的に子供を中心とした生活に切り替える人もいた。自分にとってのロールモデルを探したけれど、あまりこれだ!と思えるケースはなかった。

それぞれの方向性でありうるシナリオ、実際に応募を想定する仕事や必要な能力、付随するあれこれを棚卸ししていった結果、どの方向に行くにせよ、少なくとも学歴をアップデートすることが必要だろう、ということになった。仕事内容がポータブルでない、というのに加えて、私はこれまで海外と山ほど仕事はしてきたけれど、CV上は学歴(高等教育)もキャリアも日本で完結している完全ドメスティック仕様なので、そういう意味でもグローバルな労働市場ではリスクが大きい人材である。日本の仕事にしても、海外目線の知見を求められることが多くなっていた。1つの選択肢に可能性を全部賭けられるような年齢ではないが、スタートラインとしての学歴はその後どんな選択肢を取るにしてもプラスになりこそすれマイナスにはならないだろう。それが大学院進学を目指した理由だった。

まずは取りやすい選択肢を試してみる

大学院進学を目指すことが決まったところで、まずは通える範囲、そしてオンライン学位を軸に探し、出願した。

ドイツの大学院は金銭的な意味ではハードルが低い。何しろ学費が基本的に無料なので、純粋にカリキュラムや教授だけで考えることができる。ただ、応募要件という意味では私にとっては非常にハードルが高かった。ドイツの修士課程は専門性の認定が厳しく、入学の条件となる履修済単位の分野や単位数が細かく決まっている。私は日本で修士も出ているものの、学部と修士の専攻が異なる上に、仕事の専門ともちょっと異なるので、履修済単位の分野が広く浅く、この点が大きなネックになった。

とある大学院に至っては、事前に相談した研究科スタッフの方から書面でOKを貰っていたにも関わらず、実際に出願したら履修済単位不足という理由で出願資格無しになった。不服申立ても行ったがなしのつぶてで、学生候補としての私は返信する価値もない存在なのかと思い知らされた。

オンライン学位は門戸は広かったが、費用対効果が課題だった。多くの大学のプログラムはオンラインだからといって安いわけではない(大学にとって稼ぎ頭なので当然と言えば当然)。魅力的なプログラムは幾つかあったものの、回収の見込みが不透明な中で投資に対してリターンがあまりにも少ないように感じられた。特にせっかく進学するならば、学位だけでなく人的ネットワークの構築に期待する点も大きかったので、その点が弱いということが大きなネックになった。

大学院の応募と審査は半期または1年単位だ。その間引き続き他の選択肢を試しつつ、夫の方のキャリアの調整ができないかを模索したり、話し合いを重ねた。明快な答えは出ず、何度も喧嘩になった。この時期が一番精神的に参った。友人知人がキャリアの脂がのった時期にあってそれぞれに活躍する中、また学生からやり直しどころか、これまで自分が積み上げてきたものも認めてもらえず、学生にさえなれないのか…と。

ただ、出口はわからなかったけれど、実際に試して上手く行かなかったことや嫌なことは明確になったので、そういう選択肢を省いていった。例えばドイツで全く新しい分野を学部生からやり直すことは選択肢から外した。再び4年間学部からやり直すということに自分自身の感情が追い付かなかったというのもあるし、何よりキャリアがポータブルだからという理由だけで一から学びたいと思える分野がなかった。自分の仕事が嫌になったわけではないのだから。そこで、大学院進学という大きな目標は残して、その次の年度は出願先をEU圏に広げてみることにした。

インナーボイスを脇に置く

EU圏に視野を広げたことで、常に頭のどこかでささやく声が聞こえてくるようになった。いや、ささやきじゃなくて、聞きたくもないのにわざわざ近くにやってきて連呼する選挙カーぐらいのボリュームがあった。連日連日、繰り返しスピーカー再生された。

「一緒に暮らすためにわざわざベルリンに移住したのに、わざわざ別居してまで留学する意味はあるのか」
「その先にキャリアが約束されているわけでもなし、数百万単位の自己投資をする意味はあるのか、そのお金は家族のためにとっておくべきではないのか」
「何にもならなかったらどうするのか」

私の条件では民間の給付型奨学金は対象外だ。大学が提供する奨学金が取れればラッキーだが、基本は自己負担することになる。頭では「YES」「どうもしない、他に道がないのだから、無駄にはならない」と言っていても、気持ちは「わからない」と常に返答をよこした。こういうことはいくら考えても結論は出ない。手元に現実的な選択肢すらない段階で悶々と考えても仕方がないので、選択肢が出来てから考えることにしようと脳内選挙カーに何とかお引き取り願い、とにかくカリキュラムが合っていて応募要件を満たすEU圏内の大学に応募した。これまでのキャリアを深める専攻と、幅を広げる専攻の双方に出した。

そうしてまた季節が廻り、再び大学院から不合格の連絡が1つ、また1つと積み重なるたびに、頭も「…やっぱり客観的に見て価値はないのかもしれない」と傾いていった。これが全部ダメだったら、もう打つ手がないのに…と。

そういう日々にもさすがに嫌気が指してきていた頃のことだ。1通のレターが届いたのは。

「あなたのような学生こそが我々が支援したい学生だ」

何の変哲もないTimes New Romanの文字が、光り輝いて見えた。専攻から1人選ばれる、学費が全額免除になる奨学生として合格したという通知だった。単に大学院に合格しただけではなかった。奨学金にまさか受かるとは思っていなかったので、この言葉はしみじみと心に沁みた。そして専攻は、私のこれまでのキャリアを深める分野だった。

もう1校、合格通知が届いた。そちらもこれまでのキャリアを深めるカリキュラムだった。幅を広げるためのカリキュラム(実は第1志望はそちらだった)は全て落ちた。その後の求職を考えれば幅を広げる方が良い気がしていたのだけれど、結果を見て、肚が据わった。ニッチな道だけれど、行けるところまで行ってみよう。客観的に可能性を信じて投資してくれる人がいるのだから、自分自身も信じなければ。生活費は自分で負担する必要があるが、それは自分への投資として許せる金額だった。

そうして大学院に進学できることになった。

家庭とキャリアのバランス問題:デュアルキャリアという考え方

答えが出ない日々の中で、1つ、心の支えになった言葉がある。大学院への出願作業も終盤、幾つかは既に結果を待っているという頃、篠田真貴子氏のツイートが流れてきた。

「デュアルキャリア」という単語にピンとくるものがあって、吸い込まれるように無料公開されている日本語版序文を読んだ。そうしてこのキャッチコピーに遭遇した。

それぞれのキャリアも、二人で歩む人生も、諦めない。

ああ、私が欲しかった言葉はこれだったんだ、とスーッと胸のつかえがとれたような気がして、即座に本を購入した。フランスのビジネススクールINSEADで准教授を務めるジェニファー・ペトリリエリ氏のこの本は、デュアルキャリア・カップルを「二人とも自分の職業生活が人生に大切で、仕事を通じて成長したいと考えているカップル」と定義した上で、「家庭もキャリアも両方を求めるカップルの方が長期的には幸せな人生を歩んでいる」ことを32ヵ国113組のカップルへの調査結果に基づいてまとめた本だ。

「家庭もキャリアもなんて、贅沢だ」
「皆どっちかだけでも大変なのに、特段器用でもずば抜けて優秀でもない自分には高望みでは」
「二兎を追う者は…って言うし」

これまた脳内でうるさく反響する声を、この本は軽やかに、しかし説得力を持って飛び越えてゆく。誤解を避けるために書いておくと、この本はいわゆるパワーカップルになるためのHow toを提供するビジネス本ではない。二兎を追うカップルを社会学の観点から調査に基づいて整理したれっきとした研究論文であり、調査対象のカップルたちが、ライフステージの途中で子育てや介護などに直面して目標を修正したり、物事を妥協したりしつつも、カップルとしての充実を考える課程を丹念に追った上で、帰納的に導き出した共通項と言えるライフステージごとの課題、陥りがちな罠、乗り越えるための方法を紹介している。行間に113組のカップルの息遣いを感じながら読み終える頃には、私自身大事にしたいことがクリアになり、将来のイメージが柔軟になった。別に社会的に成功したいわけじゃない。夫との未来も楽しみだ。ただ自分の人生が、自分のものだけでなくカップルとしての人生に否応なく変化していく中で、自分を置き去りにして後悔したくないだけなのだ。

今は第1章も一部無料公開されているので、是非色んな方に読んで欲しい。

ちなみに早速夫にも著者のHBRの記事をシェアした。夫にはそこまで刺さらなかったようだけれども(苦笑)

未来はわからないけれど

進学できることになるまでの道のりは、本当に藪の中を手探りで進むような道のりだった。

これまで積み上げてきた仕事の分野や領域としての可能性には全く疑いは持っていなかったけれど、それを「自分のキャリアとして」続けられるかどうかは全く自信がなかった。人材としての価値は自分が提供する価値と労働市場のニーズが一致するからこそ生まれるのであって、ポータブルなスキルがないのであれば、よほどオリジナルな価値を提供しない限り、どうしてもいる場所は重要なファクターになってくる。いる場所が外部条件として決まる生き方をする以上、その制約からは逃れられない。場所を気にしなくて済むほどに自分の可能性を信じられれば良いけれど、そこまで個を立てるような仕事の仕方はしてきていないし、就活にしても出願にしてもこれだけ否定されることが続くと、残念ながらそうそう楽観的にはなれなかった。

それでも、ご縁があって入学が許可されて、諦めなくて本当に良かったと思う。捨てる神あれば拾う神あり。今更2年間大学院に通っただけでこの先のキャリアが劇的に変化すると思うほどナイーブではない。外部環境は何も変わっていない。ただ、少なくともまたスタートラインに立てたというか、この先に細くても道を繋げていく機会を得ることができたことが嬉しい。途中で諦めていたらそういう機会すらなかった。せっかく与えられた機会なので、思う存分学び、思う存分色々な可能性を試したい。どうせレールを外れてしまったのだから、どんどん背伸びして、自分が必要だと思う仕事に見合う実力を付けたい。非連続な変化ができれば、おのずとその先にこれまでとは違う景色が見えてくるだろう。

余談:まわりの反応

余談だけれど、今回の決断を友人知人に知らせた時、2種類、気になる反応があった。

1つは、「えっ、別居してまで」「今の働き方で充分では(家庭で旦那さんを支えるべきでは)」。こういうことを言われることに驚きはなかったけれど、背後にバイアスがないか、胸に手を当てて考えて頂けると嬉しいなと思った。もし状況が男女逆で、妻が家計を支えている状況で夫が今後のキャリア構築のために別居して進学すると言ったとしたら、果たして同じコメントをしただろうか、と。コメントの裏で、(自覚的か無自覚かは別として)私のキャリアの方が夫のキャリアより価値が低いという価値判断を行っていることに是非気付いて欲しい。勿論、私自身も自問自答した。けれど、自分が考えることと他人に言われることは全く意味が違う。私のキャリアと夫のキャリアのバランス、それを実現するためにお互いが受け容れる諸々の条件は当事者である私と夫が都度話し合って決めることであって、性差によって自動的に決まるものでもなく、またタイミングによっても変わるものだ。(ちなみに念のため、こういうコメントをする方には男性も女性もいた。)

もう1つが、「旦那さんよく許してくれたね」「理解があってすごいね」というものだ。私も夫の理解には感謝しているけれど、これも違和感があった。私の希望は夫が一方的に許可したり理解を示すようなものではなく、お互いに対等な立場で調整するものだ。実際、夫も最初から別居まで理解があったわけではなく、長い長い話し合いと試行錯誤のプロセスを二人で歩んできたからこそかなと思う。今は別居は寂しがりつつ、私達にとって必要なステップであることを理解し、誰よりも応援してくれている。そういう意味では長いトランジションの期間にも意味があったとも言える。
ただ、こういうプロセスが所与のものではないことも知っている。同じような決断をしたかったけれど、家庭事情で実現しなかった、という話もあった。どうにもならない事情の場合もあるが、ジェンダー的なステレオタイプを理由に諦めるような事態に関しては、撲滅されることを願う。

とはいえ、こういうコメントは少数で、大多数の方は暖かく応援して下さった。それはちょっと自分の予想を超えていて、本当に感激した。以前だったらもっと否定的なコメントも多かったのではないか。時代は確実に良い方向に変化している。


※8/2「余談」に一部加筆しました。

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