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あいさつ文 〜8:00前の修羅場〜

僕のnoteを読んでくれている皆さんなら
既に知っている事実であり、しつこいようだけど

父が宗教にズッブズブにハマってんです。

…が故の、小6の頃に起きたある朝の出来事。

・あいさつ文とは

朝起きてすぐに、各家庭に設置した小さめの仏像や
仏花なんかを置いた棚に向かい、その宗教独自に
作られた文章・お経のようなものがラミネート
されたA4の紙に書いてあるものをブツブツと
数種類程度唱える、信者に課せられる日課。

…を巡る、俺が小学6年生の頃の話。

早朝すぐそんなもんやりたくねーよ。
何で朝から正座してそんなのしないといけないのよ
クッソ眠いし。ボロいマンションに住んでて、
その和室でそれやるんだけど和室には
エアコンが無いから夏と冬は最悪。
あと朝ごはん食べたいんだけど。腹減った。
冷蔵庫に昨日あったから、母さんがパルキーを
焼いて卵焼きも作ってる。メニュー最高。
おはスタも観たいんだけど。おっはー。

パルキー。


…とにかく小さい頃からこの日課が嫌いだった。
だいたい10分〜15分くらいは朝からかかる。

・ある朝

幸い、父は土木工事の職人なので俺たち家族がまだ
寝てるくらいの早朝に仕事に出掛ける。
なので年間の朝の大半は面倒くさいあいさつ文は
避けられる。母は強要しないからだ。
…けど梅雨の時期は別だったかな。
土木の現場は雨天中止になりやすいから、
仕事がなければ家に居る。
そういう時はさすがに読むしかなくなる。
そんなモーニングルーティーンだった。

梅雨の時期だったかは忘れたけど、ある朝
母は朝食を作りながら、俺と姉二人は学校の制服に
着替えたりしながら、そのさなか、父は珍しく
何もせず居間でTVを見ていた。
仕事が休みだったのか、仕事の時間が遅めなのか。

・時短、したいじゃん

学校の制服に着替えて、父が今朝は家に居るから
あいさつ文は読まないといけない。
 多分ね、その当時読む文字数はそれぞれであれ
4枚はあったかな?とにかく、多く感じる枚数。

そりゃさ、しっかり読むぞって時はあっても
どうしても注意力散漫?集中力ゼロで
サラサラーーって流したいくらいの
気力の無さになったりはするよね。
何せ朝だよ?そもそも眠いのにそんなもん
まっぴらな時はあるよ。むしろそれが大半。
ってか幼少期からやらされてるけど
普段朝読まないから習慣が付ききってないしね。
ってな調子だったもんでブツブツ読んでるフリで
やり過ごして、本当にやりましたよ的な顔を作って
朝ご飯の事を考えながら和室を出ようとした。

小学生とはいえ、朝の5分〜10分はでかい。
他に重要なことをする訳ではないけど、
誰にだって朝のその時間は貴重。

・ホンマに読んだんか

あいさつ文を読む仏間(?)になっている和室を
出ようとしたら、TVをボーッと見ていたはずの
父が和室の前に居た。

そして一言、
「おー、利喜弥、あいさつ文読んだんか」

ギクッ。
「うん、読んだよ…?」

「ホンマか、ホンマに読んだんか」

ギックーッ…
「えー?うんうんうん読んだ…よ」

「どれや、ちゃんと全部読んだんか」

…中腰になって、アレとコレとソレを
読んだよって説明した。

「これ全部読んだにしてもお前

時間早過ぎるんちゃうか!」

ギクッッッッ!!
逃げられない。
どう言い逃れしようかまごつくその瞬間、

殴られた、本気で。


常用している眼鏡は飛び、気付いた時には
俺のドテッ腹にのしかかりマウントポジションで
自らが発する大声の罵詈雑言をBGMにして俺を
何発もごつい拳で頬やアゴを殴っていた。

そんなに長い時間ではなかったにしろ、
1分そこそこ殴られた体感はあった。体感で。

あとの事はあまり覚えてない。
遅れて学校に行ったのはぼんやり覚えている。

・午前8時前の修羅場について、母曰く

UFCばりのマウントポジションで父が俺を
半ば本気でシバき、その後のやりとりは母が
鮮明に覚えているという。

父が俺に本当にあいさつ文をちゃんと済ませたのか
詰問しているとき、母は家族の朝食の支度を
していた最中だった。

身長約150cmの俺に身長178cmの父が馬乗りになり
罵詈雑言を張り上げながら拳を何発も振り下ろし、
片や泣き叫ぶ俺。ひどい騒ぎを台所から聞きつけ、
ただ事ではないと母は思わず急いで駆けつけ、
暴行の現場を目撃したという。
姉達も状況に絶句していたに違いない。
その時、母は気がつけば朝食の支度のために
使っていた包丁を握りしめたまま駆けつけて
しまった
らしい。もうパニックだ。

何が起きたかはあまり判らないものの、
敬虔な自身の宗教観を我が子に押し付ける夫が
生んだ事態ということは明察できただろう。
何にせよ、目の前には自分の夫が我が子を
虐待している事実があるということに変わりない。
虐待、という言葉を使うのは語弊が生じるかも
知れないが、“もしも”だったとしても
想像したくない光景が眼前にある。

「アンタ私の子に何してんの!!」

「コイツがなぁ!!
俺に嘘つきよったんや!!」

「嘘つかなアカンようにしてしまったんはアンタなんちゃうの!!」


母が思わず、“この子”や“〇〇(本名)”や“私達の子”
ではなく、私の子、という表現になってしまった
のは、その瞬間ばかりはきっと自身の伴侶でもなく
利喜弥の父親ですらもなく見えず、ただただ、
抗えない暴力を理不尽に自分の息子に振るう
身勝手極まりない男
という風にしか見えなかったが故、口をついてそう叫んでしまったに違いない。

その場で母は涙ながらに父から俺を庇い、
二人は口喧嘩になり、俺は泣きながらそこで
力なくへたり込んでいた。

その後、その件は目下の解決をみて、
俺は母から今日学校に行きたいか行きたくないか
訊かれた気がする。すぐに行くと答えたかな。
母は俺の通う小学校に、遅れて登校する旨の電話をして、午前中には学校に行った。

当時の担任の先生曰く、遅れて登校したものの、
そのような事があったにも関わらず、いつも通りの
振る舞いで過ごしていたらしい。

多分、学校に行きたいって言ったのは、
そんな事があった家から脱出したいと
思ったからだろうな。

その日父は何を感じて何をして過ごしていたかは
察しもつかないし、知らない。

・振り返ってみる

父は、我が子における教育方針の中の、
殊に“叱る”という分野については、記憶する限り

「頭ごなし」

というものしか知らない人だったと思う。
“親の心子知らず”とはいうが、大人になった
今ではそうだったといっても過言ではない。

“軽い注意”、“諭す”、のような薄め方については
きわめて不器用だったように思える。

ある時、こんな事があった。

俺が中学生くらいの頃、母がレモネードの
粉末を興味本位で買ってきた。
水やお湯に溶かせば手軽に出来上がる代物だ。
それが密閉型の大きめの袋に入っていて、
スプーンでお好みの量をすくってマグに入れる、
インスタントコーヒーのようなものだった。

家族は皆それを一様に珍しがったものだから、
食後に揃って飲んでみることにした。
全員分のマグを持ってきて、俺がレモネードの
粉末をスプーンで段取りする役目になった。
分量はパッケージに書いてはあるが、適当に、
スプーンで山盛り入れていったら母や姉から
「ちょっとちょっと入れすぎwww」と言われて
ゴメンゴメンなどと言いつつ手を止めた途端、

「利喜弥お前何してんねや!
そういう事で一事が万事になるんや!」

と怒鳴りつけた。
当然のこと、家族団欒は白けたものになった。

いや、言い過ぎだろう。じゃない?
たかが粉末レモネード如きで騒ぎ過ぎだ。
たかがジュースの薄いだの濃いだのを針小棒大に
責め立て過ぎなんじゃないかな。
スプーン一杯多いだけで一事が万事だなんて。
劇薬や爆薬じゃないんだから…
ちょっと分量を間違えようが後からぶつくさ言う
程度にして薄めでもすればいいじゃない。
金を払って飲む喫茶店じゃないんだ。

アンタの器ってスプーン一杯分しかないのか?

……まぁそういうアンガーマネジメントが
不得手な父親である。
けど俺自身アンガーマネジメントという言葉が
あんまり好きじゃない。本当のブチ切れの瞬間に
そんなモンやってられっか!って思うし、
アンガーマネジメントって語感と字面そのものが、
怒りの権化みたいなデケェ重火器っぽい名前
しやがって、って思う。

まぁ話を戻して、とにかく頭ごなしにしか怒りを
表現できない人間なのだ、俺の父親は。

本件の、あいさつ文を読み切らず誤魔化した
俺の過失については、もう少しひと呼吸
置くなりして、ひとまずそこは

「利喜弥、何や知らんけどあいさつ文をおざなりにして朝から他のことをしたいのは分かる。
けどな、きちんと読み上げんと仏様に
“今日も生かして頂いて感謝、今日もまた
精一杯生きていきます”という気持ちは伝わらん」

などと諭してくれたらこうはならない。
そして、行く末こんな記事も生まれない。

よく分からないけど、いっぱしの宗教観をもって
生きんとするなら、息子のその程度の愚行、
そもそも仏教をベースとした教えなのだから、
仏教で神聖なものとしてみられる、水面に凛として浮かぶ蓮の花の如く、平常心をもって
対処するのがいいのではないか。
そんな事で仁王の如く怒鳴りつけ殴り飛ばすのは、
俺が仏敵にしか見えなかったのか?
そうじゃないだろう。
父にとって“そんな事”じゃないにしても。
宗教というものについて露ほども分からないが、
自分の精神を安んずるような、心の拠り所と
するものに則るなら、そんな事で激昂するのは
間違いな気がする。主観でいえばね。

それを宗教観からみた躾と称するなら、
俺の父親は俗に言う毒親だと思う。
ただの頭ごなしの自身の宗教に対する
熱意の押しつけ。
多少なりその宗教の何たるかを教わっているもののたかが子どもにあなた程の熱意などない。
個人差というものは存在するが。

まぁどのみち、もし俺が父親になったなら
そんな風にならないでおこうという
教訓にはなったか?あえてポジティブに考えれば。
Viva la 宗教。
God save the 宗教。

……ちなみに、朝から父の仕事の手伝いに行く際や
また宗教の総本山に行く車内では、助手席に座って
略式であいさつ文を読まされた。

それでいいのか。あいさつ文。

あいさつ文とは。

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