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#9 抽象と幻想-大竹伸朗展に行かなかった

VOLOJZA(ボロジャザ)という名前でラップをしたり、ビートを作ったり、アートワークをやったり、映像やったりしています。諸々メモがわりにかいてこうとおもいます。

先日、大竹伸朗展を観に国立近代美術館に行ったのだけど、美術館に14時くらいについて当日券は16時半からのチケットしか変えないという盛況ぶり。最終日だったからだろうか。
家族の理解を経てといえど休日に自分だけ家のことほっといて妻に全部ぶん投げて長時間ふらふらするのはさすがに気が引けるので予定を変更し常設展だけ観てさくっと帰ることにした。
国立近代美術館の常設展はいつも特設展示を観た後にいくのだが特設展を観た後のお腹一杯の状態でしか見た事なくていつか常設だけでじっくり観てみたいなと思っていたのでこれはこれで楽しみ。
入場料も500円だし。

気になったのを何枚か撮った


岸田劉生


これも岸田劉生 代表作の一つっぽい
この絵かなり好き 構図がぐにゃぐにゃしてて生活から地続きのサイケ


これも岸田劉生 高橋由一っぽい


村山知義 日本で初めてダダイズムを用いた作品らしい。
ダダイズムについては俺には聞かないでほしい。


昔やってた抽象と幻想展をVRで再現してたり


アンセルアダムス
戦時中のアメリカの日本人収容所のまわりの写真らしい



これもかっこよかった


草間彌生さんの若かりし写真もかっこよかったな

 大竹伸朗展観れなくて残念だったが(ちらっとだけ覗けたから覗いちゃったけど覗いちゃ駄目だったのかも笑)これはこれで大変満足でした。常設は空いてるし、展示のキュレーションもテーマがよくてアートの歴史を過去からざっと現代まで浅薄な自分にはとにかく新しい発見だらけでとても楽しいし勉強になりありがたかった。

抽象と幻想というテーマは第一次世界大戦下で日常も常識も粉々になっていく中で何を信じるか?ってなってそれは自分の感覚って話になってきて。
個人的な物や本質的な物を追求する中で幻想とか抽象という表現が盛り上がっていったという背景があるらしくて(ざっくりそう理解したんだけど間違ってる?) それはウィルスやら戦争やらインターネットの発展やらで加速していく現代と少し重なる部分があるのかなと。
たとえばラップで言えばplayboi cartiとかのマンブルラップとか幼稚とか稚拙ともとれるけど、原始的で本質的ともいえなくもないというか。
反知性的なものというか。lil  uzi vertとかはもともとめちゃくちゃラップうまいからまさにわざとそういう意味でやってると思う。
実際海外で通用する日本でやってる人もそういう部分を掴んでる人が多い気がする。
わからない人に理解させるのにより難しく専門的なことをやってもわかならないというか…。(でも何故かそれを提示する例は数多…逆に簡単だから?)
だから違うやり方。それがノリ、グルーブ、難しくいうと幾何学的な反復で動物的な共鳴を起こさせるみたいな?(逆によりむずい?)
 具体的にしすぎると該当しない人が増えちゃうんだよね。肌、生まれ、性別、思想などなど

この最近みたアトムブーツも抽象化の例としてわかりやすいかなと。
ここにたとえばナイキのロゴが入ったり、シューレースが入ったり、カカトが高かったりしたりするとただの赤い靴から、
ナイキのシューレースのカカトが高い赤い靴になる。
それは余計な情報がありすぎて本質がぶれる的な。  鉄腕アトムもアニメの祖みたいなとこあるしいい例かなと。


なんだこの話…

何はともあれ


土曜日LIVE遊びにきてね



読んでいただきありがとうございました。

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