見出し画像

会話の妙

 最近のヒット。坂元裕二作「往復書簡・初恋と不倫」。字の文やト書き等の説明が一切なく、男女の手紙やメールの会話だけで成り立っているこの小説、「会話の妙」を存分に楽しめます。想像する余白がふんだんにあって、読み進めたいけど、進めたくない、みたいな。
「え? 今何があった? ひょっとして飛ばした?」
なんて戻ってみてももちろん飛ばしていなくて、後々それが効いてきたり。

 一日の会話が、ほぼメール。ほぼSNS。それって私だけじゃないよね、きっと。結構疲れていて。特にビジネス的メールに。
こう、文字ではうまく説明できないニュアンスを、どう~~やって伝えたらいいのじゃ、こりゃこりゃとデスクで悶えたりして。美しくまとめたいわけじゃなく、でもわかりやすく、でも誠意や熱意は伝えたい・・・とか。それで「もう文字会話は嫌じゃ(涙)」なんて思っていたところに、この本。
ああそうか、文字でも声でも、会話って、ただ相手の言葉を受け取ってそれに答える「応答」だけじゃなくて、文字や言葉から「何」を受け取ってどう「反応する」か、その反応がどう返ってくるかが楽しいんだって、今更ながら思い出しました。だから、例えば相手の「問い」に「yes」「no」以外の答え方があって、どう応えったっていいわけで。「答える」と「応える」。

インプロのワークショップを受け始めた影響もかなりあるんでしょうね。
ちょっと話が逸れますが、インプロと朗読もかなり似ていると思っていて。相手の反応を見てどんどんストーリーを繋いでいく即興と、決まった文字を読んでいく朗読。「どこが似てるんじゃ?」と言われるかもしれませんが、一人で読む朗読だって、自分の声を聴きながら朗読するので、予定調和的に「こう読もう」と思っていても感情がついていかなかったら、声には出せない。出せても嘘くさい声しか出ない。嘘くさい声が続けば、聴いている人にはバレるので、どんどん心が離れていくのが、朗読しながら手に取るようにわかってしまうという・・・ああ、待ってそこのあなた、みたいな。だから終着点がわからない、という意味の「即興」では朗読は表現できないけど、同じストーリーでも読む人によって解釈やニュアンスが全然違うという意味では即興になり得るし、むしろそんな朗読がしたいと常々思っています。

 閑話休題。で、最近はメールも楽しくなってきて。それでもうひとうわかったのは「気持ちに余裕がある人でないと無理」。物理的に忙しいのはもちろんだけど、自分の事でいっぱいいっぱいの人には、会話の妙なんて「何それ。美味しいの?」ぐらいのことなんでしょうね。yes、noぐらいの返信で済むように、なんて考えていたら、会話自体、相手をちゃんと見て、感じる余裕がないと成り立たないんだな・・・と。コミュニケーションが大切なんて言ってるけど、そもそもそんな余裕が現代人にはなくなってきているのかもかも・・・?
#往復書簡 #初恋と不倫 #朗読 #インプロ #会話 #コミュニケーション

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?