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ひとりっ子として生きる

深夜に再放送されている「生きるとか死ぬとか父親とか」をまた観ている。
エッセイの著者である、ジェーン・スーさんもひとりっ子。
私も彼女と同じひとりっ子。
本放送のときから、そうそう!と共感することが多かった。
さらに母親がガンで他界するという境遇も同じ。
それだけに他人事とは思えず、つい何度も観てしまう。
特に第9話を観ると切なくなる。

父親は入院中で、母親にガンが見つかって、入院、手術しなければいけない…
こんな時、一人っ子てほんと大変だ。
看病するにも身体はひとつ。頼れる親族もいない。
身体的にも精神的にもギリギリの状態。

やっと、落ち着いて、涙なしで観られるようになったんだなぁと…

父は、いつか私がひとりになるときのことを思い、できるだけ親戚との付き合いを密にしておこうと考えたが、母は逆だった。

母も私と同じ一人っ子。
しかも長男の娘、直系にあたる。
そのせいか、父親が21歳で亡くなったあとも、なんやかやと、叔父叔母たちは、母に頼ってきた。

面倒を見て欲しい、親類が母に残すと言った財産の相続する権利を放棄しろとか、お金を貸して欲しいとか…それもこれも、母が長男の娘だからだった。

そんな親類の仕打ちや、計算高さに苦い汁を飲まされてきた母は、私を護るために、容赦なく関係を断った。

父はそんな母に、私のことを考えろと言ったが、母は考えているからこそ関係を断つのだと言った。

一時は母の冷酷さ(そのときはそう感じていた)に対し、私の将来のことをもっと考えて欲しいと、不満を漏らしたこともあったけれど、今になってみれば、母がしたことも、それはそれでよかったかなと思う。

兄弟姉妹がいたところで、この歳になれば、それぞれ家族がいて、私が入る隙はないし、母が亡くなったときも、父と私だけで見送ることができた。 

ドラマを観て切なくなるのは、あのときの不安や孤独感を思い出しているだけで、今に続いているわけでも、引きずっているわけでもないのだ。

母がどれだけ生前、私のことを考えてくれていたか、護ってくれていたかが、今になってよくわかる。
そして亡くなったあとになって、どれほどものやことを私に残してくれたかを知る機会の何と多いことか。

親類関係を断ち切る代わりに、できる限りのことをしておこう、残そうとしてくれた母に、今、心からありがとうと言いたい。

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